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「まほり」(高田大介)読みました。

とてもおもしろかった。
“記録は残っていることが不自然で、保存されているからには何らかの意図がある。”

ネタバレ注意、というよりネタバレ盛りだくさんです。
まだ読んでいない人には何のことやらさっぱりわからないと思います。
あと、私の読解力不足で勘違いしているところがあったらごめんなさい。
そしてめちゃ長いです。

まほり 高田 大介:文芸書 | KADOKAWA
https://www.kadokawa.co.jp/product/321904000322/

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●登場人物紹介

長谷川 淳(はせがわ じゅん)
埼玉から群馬に越してきた中学生。

「いち」
淳が偶然川で出会った着物姿の少女。

勝山 裕(かつやま ゆう)
東京の大学に通っているが、夏休みに地元で調査を始める。休み明けに院試を控えている。

飯山 香織(いいやま かおり)
裕の地元の同級生。群馬の図書館で司書のアルバイトをしている。

大橋(おおはし)
裕の地元の同級生。群馬大。裕が調査をしている間の下宿先。

田淵 加奈(たぶち かな)
裕の大学の同級生である加藤の幼馴染。

朝倉(あさくら)
歴史民俗博物館の学芸員。

古賀(こが)
郷土資料館員。

桐生 朗(きりゅう あきら)
裕の大学の同級生である杉本が懇意にしている言語学の女性講師。変人。

宮司(ぐうじ)
巣守(うろもり)郷の神主

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(p125)
大衆史なんて言うと偉そうですが、要するに大文字の『歴史』は為政者のもの、政(まつりご)つもの、統べるものの記録でしょう? それはその時代、その時代に起こっていたことの一端に過ぎないわけです。えてして記録を残すというのは政つもの、統べるものの特権でもありますから……『残っていく歴史』にはどうしても死角が出来る。
(p127)
『歴史』は真実の記録であるよりむしろ、往々にして真実の隠蔽の記録、改竄の記録でもあるわけです。
(p271-272)
歴史は遡ればきっと何らかの……残酷無惨に行き当たるもんですよ。歴史に分け入れば、そうした時代の無惨、時代の酷薄に迫ることになる。どこか猟奇趣味めいた気味を帯びてくるのは普通です。そこで気が萎えたら美辞麗句の糖衣に包まれた偽の歴史を摑まされることになる……
(p292-293)
およそ言葉というものは、欠けるにしても足されるにしても、形が変わるのに必ず動機を必要とする。なぜなら、放っておいたら勝手には変わらないというのが言葉のかなり重要な機能の一つだからだ。世の人が一般に信じているほどに言葉というものは闊達に変化したりなどしない。
(p323)
『噓も百回言えば本当になる』って言うでしょ、そういうことが起こりがちなのね。いつの間にか根も葉もない伝承が、数々の文献に裏打ちされた既定既定の事実みたいな顔をしはじめる……
【中略】
なんだって只では伝存なんかしない訳でしょ。家伝にしても社伝にしても、あるいは由緒、由来、縁起といったものも、放っておけば永年の日々の営みに紛れて雲散してしまうようなもので、残っていくっていうのはそれだけでちょいとした不自然があるわけですよ。消えてしまうのが天然自然のところ、そこを曲げて撓めて伝承を維持していくっていう不断の努力と意図の働きがある
(p331)
悪い話は──よく響くからな。すぐに伝わる、想像もしていないところまで

ここは痺れたなあ。
なんとなく昔から感じていたことを言葉にしてもらえた感。
私は高校の時、古文漢文は大好きだったけど、歴史関係はどうにも好きになれなくて、それはたぶんだけど歴史系は争いやなんかの記録が多くて、気が滅入ってしまうから。
だけど古文漢文はどこか一線を引いて読める感じがあって、すんなり入っていけた。
まあ半分は氷室冴子さんの作品のおかげでもあるんだけど。
あれで時代背景や調度品やしきたりなんかがイメージしやすかった。
(でも今ではもう古文漢文は半分も読めないと思う…泣)

私がライブレポを書くのも、忘れたくない、数ある日常の一部に埋もれさせたくない、ずっと覚えていたい、という気持ちを抑えられないからだ。
まあ本来は実際に参加した人達だけの特権ではあるから、あまり褒められたことではないんだけど…間違って覚えている可能性も高いし…。
まあとりあえずそれはそれとして。

資料の調べ方、読み方のくだりがもう楽しい!羨ましい!
私も高校時代に研究したいテーマが見つかっていたら大学に進んで調べてみたかった…こんな風なやりとりがしたかった。
「大学でやりたいこと」が何も思い浮かばず、楽器もできないのに音響に興味が湧いてしまって、そちらに進んでしまった。
そして今は音響とはまた違う業務をしている…。
いやどれも後悔はしていないんだけど。

前作の「図書館の魔女」よりはだいぶ、難解な漢字や表現は控えめになっているようだけど、さすがは言語学者(現在はフランス在住)だなと思う表現がたくさん。
これまで知らなかったことを知るのがもう本当に楽しい(*´∀`)
語源というか、その言葉の成り立ちとか、古い言葉ってやっぱなんか痺れますね。

桐生先生、たったあれだけの出番で全部おいしいとこ持っていきましたね。
最後の「お生憎様」という言い方が、人見知りなはずなのになんで急にこんな砕けた口調に? 裕を気に入ったのかな? と思ったけど、皆さんの感想を読んで、マツリカ様にキャラを寄せてるのではないかという意見に、なるほど。

あと私はわりと早い段階で、裕の母親の「足も目も悪くて」「戸籍が存在しない」で、まあ「いち」とほぼ同じ境遇だったんだろうなと思いました。
「まほり」の語源は全然わかっていなかったけど。
祭祀で何が行われるのかも、まあ具体的なやり方についてはわからなかったけど、「空の境界/痛覚残留」でそういう行為があることは知っていたし、足が悪いというのも、「銀魂」で「日輪(ひのわ)」が軟禁状態になっていたことも思い起こされたし。
まあ、さすがにお守りの中身が何なのかまでは気づかなかったけど。


◆以下、誤植疑い

◇p231「顕性な遺伝形質が発現しがちにはなるかもしれない」
→「潜性な遺伝形質~」?

https://twitter.com/march_hare_bro/status/1184067277148176385

因みに、遺伝形質の「優性・劣性」は最近になって「顕性・潜性」と言うようになった印象だったけど、界隈では昔からあったようですね。

https://www.m3.com/open/clinical/news/article/567617/

実は、「優性」と「劣性」を見直す機運は10年以上前からありました。2008年には日本人類遺伝学会の方と一緒に、これらの問題に関する用語編集委員会も立ち上げています。
新聞などで報じられたタイミングで唐突な印象を受けた人も少なくないかもしれませんが、これまでも議論が積み重ねられてきた経緯があり、「優性」と「劣性」を言い換えた「顕性」「潜性」という言葉もわれわれが作ったのではありません。100年近く前に「dominant」と「recessive」を訳す際の候補として挙げられていたもので、市販の生物学辞典の中には既に明記しているものもあります。

◇p311「一髻(いっきつ)」
→本全体のルビは並字のようだけど、ルビ小書きはたぶんここだけだったと思う。(p382は「一髻(いつきつ)」ルビ並字)

◇p335「ファーストフード」→「ファストフード」?(fast food)
※会話文ゆえ?

◇p273「国会図書館のデジタルコレクション」
→「国立国会図書館デジタル化資料」?

「国会図書館デジタルコレクションって2014年まではデジタルコレクションって名前ではなかったんですよね。」
https://twitter.com/eu_rasia/status/1183220401595240448

「旧暦7月15日が新暦9月1日に当たる年を調べたら、2012年でした!」
https://twitter.com/10Baumocho/status/1179688120851189760

http://dl.ndl.go.jp/ja/history.html
国会図書館デジタルコレクションの歩み

2011(平成23)年4月
「貴重書画像データベース」と「インターネット資料収集保存事業(著作別)」を統合し、「国立国会図書館デジタル化資料」として古典籍資料(貴重書等)、図書、インターネット資料を提供開始。

2014(平成26)年1月
図書館向けデジタル化資料送信サービス開始。
「国立国会図書館デジタル化資料」の名称を「国立国会図書館デジタルコレクション」に変更。

p485から、9月1日が土曜日ということなので、2012年であってそうですね。


◇これは誤植なのかあえてなのか…私の知識不足なのかもしれないけど…
p15「いずれ住み慣れた都会の我が家を売り払って面倒の多い田舎暮らしに飛び込んできたのだった。」
この「いずれ」ってどういう意味…?
「長年」とかそういう意味あったっけ…?
「結局」「つまるところ」という方の意味なのかな。
何度読み返しても、「そのうち、近い将来」の方の意味が先に出てしまうので、どうしても頭が混乱する。

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◆ここからは、個人的に気になったこと。
大したことではないのかもしれないけど、私の気にしすぎなのかもしれないけど、ちょっと引っかかったところ。

◇p469, 478「どっから」
→え、なんでこの人たち、洞の抜け道を知らないの??
そこを塞いだのはそっちなのに?
ということは、洞の抜け道の場所と、そこを塞いだことを知っているのは一部の人だけってこと?

p12「声は数人が呼び交わしている」
→宮司含めて3人ほど?、「いち」が逃げ出したことを知り、追いかける→洞に抜け道があることを把握し、そこを祠に偽装?して塞ぐ。(p145「近時に修繕した節が残っていた」/p144-146、裕と香織が見つけた、田淵佳奈は知らない、彼女が小学生の時に見たものではない方の祠)

p469「ぐるりを五、六人の郷のものが取り囲み」
→この“神事”に関わる人数が実際どれくらいかはわからないけど、とりあえずこの5~6人のうち、宮司を含めた数人だけが、「いち」が逃げ、抜け道を塞いだことを知っている。が、その他の人はそれを知らない、ということなんだろう。これだけ閉鎖的な集落なら、「いち」が逃げたことも、洞の抜け道を塞いだことも、すぐに知れ渡りそうなもんだと思うけど…うーんまあ、これも淳が感じた不自然、違和感の一要素、なのかな。

(p348)
だが、見回しても文字の無い村、それは淳には著しい不自然のように思われる。この集落は他者への呼びかけを欠いている村、人に言葉をかけぬ村、外界に対してまったく閉じてしまっている郷なのだ。

(※余談だけど、「ぐるり」が「周囲」という意味の名詞だということを高田さんの作品で初めて知りました…。「ぐるりと」という副詞も出てくるのですごい混乱する…)


◇「市子」について
※今回の話では、「市子=巫女候補」、「巫女=その年の祭祀を行う少女」と認識しています。
p412「年ごとの祭礼は十二支十干は問わない」
→えっ毎年やってるの??
ということは毎年、その年頃の少女を攫っているの?
どうやって見繕ってきたんだろう。毎年も。
まあでも毎年のように飢饉や天災やらが発生していたなら、毎年やるってことになるんだろうなあ、たぶん。

しかしまあよくこれまでバレなかったね。
こんだけ閉鎖的で、隣村から毛嫌いされていれば、「攫われる」系の言い伝えなんかがもっと人々の口の端に上ってもよさそうだけど。
淳のばあちゃんは「仲が良くない」「(あの辺りは)むつかしい」と言うだけだったし。

有名なWikipediaの良記事、「地方病(日本住血吸虫症)」では、病気の理由がわからないなりに、危険性が言い伝えられている。
(※病気関連、寄生虫関連が苦手な人は要注意)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%97%85_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BD%8F%E8%A1%80%E5%90%B8%E8%99%AB%E7%97%87)

幕末の頃になると、甲府盆地の人々の間でこの奇病に因んだことわざが生まれた。
流行地へ嫁ぐ娘の心情を嘆く俗謡のようなものが幕末文久年間の頃から歌われ始めた。

(Wikipediaは情報の質が記事によって全然違うので鵜呑みにしてはいけないというのが常識ですが、これは最高レベルの質の良さ。文献もちゃんと揃っており、本当に素晴らしい)

外部の人間に悟られずに外から攫ってくるなら、村外に協力者がいないとちょっと難しいのでは。
捜索願を出されそうにない、ある程度御しやすい少女を慎重に選ばないとすぐに露見しそうな気がするけど、そういう子ってそんな簡単に毎年見つかるもんなんだろうか。
それなりに成長した少女を、しかも毎年攫うのってやっぱりリスク高すぎでは?

かといって、生まれたばかりの捨て子をすぐに攫ったのなら、「市子」が一人しかいないのは変だしなあ。
「巫女」にふさわしい年ごろになるまで養育するなら、来年、再来年の「巫女」が既に用意されているはず。
それに毎年なら洞の抜け道から逃げ出したのが300年前のあの子と今回の「いち」だけって、少なすぎない…?
それとも、p145で「修繕」というのは、塞ぐための祠は昔からあるけど、何度も修繕している、ということだろうか。
ならなおさら、抜け道の場所を一部の人しか知らないのはちょっとお粗末すぎないか…?とも思うけど…。

親権者も後見人もいないということは、養護施設から里親制度で引き取ったわけでもないだろう。
でも過疎化・高齢化の進んだ村内からは「市子」を出せそうにない。
それとも村のどこかに「市子」を産み育てるための夫婦が軟禁されてるとか?

裕の母親、そして田淵加奈たちが見たかもしれない子供、今回の「いち」、と考えると、「祭祀」は12年おきくらいかと思ったんだけど…。
その性質上、一人につき一回しかできないし。

「いち」はおそらく見た目から12~14歳くらい。
中学生の淳(中1か中2? p6-7:二学年下の武男を「学童」、「小学校も中学校も同じ屋舎に押し込められたこの地の分校で」から)と同じくらいか、少なくとも小五の依子よりは上。
言葉を発しないが、他人の言葉はある程度理解できているようだし、「躾」も身についている。
養護学級に通うような少女に限定して狙っていたのだろうか。

「いち」はおそらく長期間監禁・軟禁されていた。
でも一年程度で、こうも「躾」がうまくいくんだろうか?
まあ手慣れたものなのかもしれないけど。

毎年、どうやって「市子」を選んでいたのか、そして「祭祀」が終わったらその「巫女」はやっぱり用済みなのか?
そして、そこまでして村人が避けたかった災厄ってなんだろう。
その村だけ、飢饉かなんかのおそれが毎年あったの?
それとも、単なる習慣として感覚が麻痺していた、やめる理由がないからやめなかったというだけの話なのか。
やめたらどうなるかわからないから。
まあ現実でも、信じられないほど凄惨な虐待や暴行を正当化する人間もいるから、あながち否定もできないんだけど。

余談だけど、淳が差別用語とは思わずに口にしてしまうことに関して、

(p235)
これは淳の「ばあちゃん」の言葉をそのまま引き取って言っているまでだろう。
(p236)
それとなく淳の物言いを窘めた

とあるのはなんかすごい上手いなと思った。
こういう話題に対する、世間一般の人が感じる懸念・逡巡を簡潔に表現しているように思う。


◇裕の両親について
というか、とりわけ父親がやっぱり変。
十中八九、裕の母親も「巫女」経験者なのだろう。
なぜ就籍をしなかった?
記憶喪失でも新しい戸籍を作ることはできるようだ。

「自分が誰か分からない」記憶喪失により新たな戸籍を取得した男性|特定非営利活動法人エス・エス・エス(NPO法人 SSS)
https://www.npo-sss.or.jp/column/detail20180822/

でもそれをしなかった。知らなかっただけ?
息子の庶子の手続きはしたのに。
その時母親のことは絶対聞かれるだろうに。
そして母親の墓はあるとのこと。(p91)
なんで? 死亡診断書出ないし、死亡届も出せないよね?
そしたら「火葬・埋葬許可書」も出せないのでは?
どうやったの? 先祖のお墓にこっそり?
まあ墓自体は死亡届がなくてもいいんだろうけど…。
具体的な手順はその自治体によるらしいから不可能ではないにしても…うーん、葬儀はやったのかなあ…?
それ関係の役所の定めがいつからどういうふうに決められたかまでは、ちょっと検索しただけではわからなかった…(´・ω・`)
群馬県にはT市が3つあるけど、さすがにそれを一つひとつ調べる気力は…。

そもそも、裕の母親の存在は、裕の生まれ故郷ではどういう扱いだったんだろう。
その存在は知られていたのか。
目と足が悪かった、ということは、外には出ないようにしていたんだろうか? 隠れ住んでいた?
裕が生まれたとき、両親以外は誰も立ち会わなかったのか?
戸籍上は母親不詳にしておきたいなら、母親が普通に家に居るというのがバレたらまずいよね。
でも墓があるということは、少なくとも存在を知っている人は複数いそう。
田舎っていうのは大なり小なり人間関係が固定されているのだから、外に出ないにしても、生活用品や衣服の調達は必須だし、隠れ住むのはいろいろと難しそう。
協力者もいる一方、巣守郷のスパイにも目を付けられていたのかな、とか妄想してしまう。

いずれにせよ、おそらく父親は母親(自分の妻)の事情を知っている。
知らないのならたぶん普通は「知らない」と言うしかないだろうし、黙りこくるのは不自然…。
これ、やっぱり父親の周囲に事情を知っている協力者がいないと難しいんじゃないか…?
というかそもそも父親はなんで知っているのか…馴れ初めが知りたい。
p92「親父は天涯孤独じゃないんだが、親類縁者には無音を通している」ということだけど、もしかしたら元々は巣守郷の人間だったのかなあ…とかちょっと思っちゃう、可能性の一つとして。

そして宮司は、裕の顔に見覚えがあったのだろうか、と思ったのは私だけではないはず。裕の父親か、母親か、あるいは両方か。

p476「彼こそ誰よりも目を見張って裕の顔を見つめていた。」
p478「宮司が裕の顔をまじまじと見つめている。」
p479「どうして宮司はあの若造に何にも言い返せないでいたのか【中略】宮司の様子があまりに深刻そうで頑なだった」

そうか、もしかしたら、今度は裕が「返リ子」とみなされる可能性もあるのか。
そうしたら今度は、天涯孤独の少女を保護することが「祭祀」に…なるの、か…?(・・;)
そうか、だから「いち」を救うのは裕でなければならなかったのか。
歴代巫女の血を引くものの言葉(宣託)でなければ、この宮司はおそらく…。
なーんてのは、さすがに考えすぎかな(;^▽^)


◇祀りを阻止したあと、裕はどこで一晩過ごした?

p485「裕はけっきょく大橋の下宿には戻らず、香織は朝方に着替えに自宅に戻った。二人は翌日土曜の昼も連日になるが長谷川家を訪れた。」
→「長谷川家を訪れた」ということは長谷川家には泊まっていない。
香織の家かとも思ったけど、p481で「こんど来たとき(香織の祖母に)紹介するがね」ということは香織の家にも泊まっていない。
p156で「お婆ちゃん、朝からずっと台所におるんさ。」とあるから、朝方帰宅したんなら顔を合わせるはずだし、会えなかったとしても、昼頃に長谷川家に行くのに、それまで香織の祖母に会う機会がないのは変だし。
香織は裕のことはもう既におばあちゃんに話しているのだから、裕が隠れる理由もないように思うけど。
(香織の両親については記述がないのでなんとも)
繁華街まで出て、ビジネスホテル的な宿に泊まったのかなあ。
そしたら大橋くんのところに戻るのとあんまり変わりない気もするけど…。
まさか実家…?とも思ったけど、p481から、それを香織が知らないのはおかしいし。
田舎は基本車社会。
裕は車どころか免許も持っていない(p88)し、タクシーなんて呼ばなきゃ来ない。
そんなことするぐらいなら、長谷川家の誰かが車で送っていくか、香織が送る流れになる。
疲労困憊の裕が、街灯も乏しい夜中に歩いて行くことも有り得ないし、野宿なんて長谷川家も香織も許すはずがない。
裕はいったいどこに泊まったの?

そういえば、本作には上州弁がよく出てくるけど、村岡恵さんの「人狼執事の物騒な日課」で触れていたので、半分ぐらいはなんとかわかりました。あと半分はもうなんとなくの雰囲気で読み進めた感じです(^^;

あと、まさかとは思うけど、出版をこの即位の年に合わせたのかな、なんてのはさすがに勘ぐりすぎかしらね。
即位にあわせて、数日前に桜が咲き、当日朝から禊ぎの雨が降り、開始直前に虹が架かり、烏が啼き、それまで雲に覆われた富士山が姿を現し初冠雪、なんて出来すぎだと騒然となったことをちょっと思い出したり。

とりあえず読んだ感想はこんなところでしょうか。
気になるところは色々ありますが、総合的にはとても面白かったです。
近年、長編小説を読むのには気合いが必要になってきているのですが、これは面白いのがわかっているので、存分に読み耽りました。
続篇とかスピンオフとかが出たらまた読みたいです。

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