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チエさんのピアノと囁一さんのピアノ

※ヘッダー写真:榎本司さん(天体写真家)コニカミノルタプラザ展示の際、ご自身のHPで配布していたものです。(本文の内容とは関係ありません)
http://tsukasae.blogspot.jp/

どーにも仕事がはかどらないので気分転換。
チエさんこと、kidlit/深水チエさんのピアノと、囁一(しょういち)さんこと、感傷ベクトル/田口囁一さんのピアノについて、勝手な想像というか妄想というか、ひとりごと。

(注)偉そうなことを好き勝手に書いちゃったけど、実はこれまで私は、ピアノの生演奏を聴いた経験があまりない。
学校の先生のピアノとか、同級生のピアノとかばかりで、プロの演奏というのを、間近で体験したことが、たぶん、ない。
あるかもしれないけど、覚えていない。
ピアノ自体は子供の頃から憧れてはいたけど、習いたいって言えなくて、そのまま。楽器は全く弾けない。学生時代に2年ほど合唱部だったことくらい。(こんなんでよく音響技術科に進んだよなあ…卒業はしたけど、もう音響の仕事はイベント仕事の映像のついででしかやってない…ケーブル巻きだけは自信あるけど)
だから本当に申し訳ないのだけど、私の印象は勝手な妄想であることをご承知おきください。


チエさんのピアノは、Annabelさんのライブで初めて聴いた。(2015/10/3 Annabelワンマンライブ@代官山LOOP)
もう第一音から衝撃だった。
あまりにも優しくて、あまりにも綺麗で、あまりにも柔らかくて、あまりにも暖かくて。

「ピアノが喜んでる」

ピアノがチエさんに弾かれたがっている。
ピアノに血が通う、体温が宿る。
ピアノに魂を吹き込むとはこういうことなのか…と思うほど、ピアノもチエさんも生き生きしている。
チエさんの演奏は、そんな風に感じた。

私がもしピアノが弾ける人間だったら、こんな風に弾きたいと思う。
でも、もし私がピアノが弾ける人間になれたとして、あまりの才能の違いに打ちのめされるだろうと思う。この人には絶対に敵わない、と思い知らされるだろう。

チエさんは、Annabelさんの公式LINE@によると、とある音楽大学を首席で卒業したのだという。
それはライブ終了後に知ったのだけど。
どうりで綺麗なわけだ…。

そしてもうそれ以来、チエさんのピアノの虜になった。
それまで、Annabelさんやmyuさん(大好きな作曲家さん)経由でチエさんを知ってはいたけど、正直CDでは満足できなくなってしまった。チエさんのピアノの良さが、CDだけでは表現しきれていない、物足りないと思い、なるべく直接聴きたいと思うようになった。(私がもっとちゃんとした音響環境を構築できればいいのだろうけど…いろいろと余裕がなく…_:(´ཀ`」∠):_)それになにより、楽しそうに嬉しそうにピアノを弾くチエさんの姿が好きで。

チエさん自身も言っていたけど、満足のいく音が毎回出せるわけではないし、納得がいかず、悩むこともあるだろうと思う。

チエさんはたぶん、どんな音を奏でたいか、どんな音楽にしたいか、自分の中ではもう決まっている人なんだと思う。

これは、まだ読んだことのない人にはネタバレになってしまうのだけど、漫画家の篠原千絵さんが書いた小説「還ってきた娘」の主人公、三田村由麻とそっくりなのだ。
最終巻(6巻)で、恩師に「ユマ、あなたの音楽には迷いがないね」と言われて、意味がわからない顔をする。どうすれば理想に届くのか、悩んでいるのに、と。
「普通、自分の演奏の方向性には悩むものです」
だけど由麻は、「どの方向に行けばいいかということなら、考えたことはなかった」。既に自分の中ではわかっていたから。

技術が足りなくても、表現力が未熟でも、自分の目指す音楽がわかっている。創りたい世界がわかっている。
チエさんの演奏は、そういったことを経てきた感じがする。
周りがどんなに技術と才能を認めても、自分の中で納得できるかどうかはまた別の話、というか。

喩えるなら、天使の羽・翼。
空から降りてきたような音。
少なくとも私にはそう思えるほど、美しい。

チエさんは、自分の中の何かに導かれるように、ピアノを奏でている、気がする。もしかしたら前世からピアノを弾いていた、愛していたかもしれない。そんな気がする。そしてそれは絶対に美しい。
だから私は、チエさんのピアノが大好き。
チエさん本人もとても可愛らしい素敵な方で、人柄も大好きです。

新名義の「kidlit」は「児童文学、子供向け読み物」という意味らしい。検索では「子供の本の読み聞かせ」というニュアンスが多い気がする、けど英語わかんないので違ってたらすみません〜。

*kid litの意味・用例|英辞郎 on the WEB:アルク https://eow.alc.co.jp/search?q=kid+lit
児童文学◆litはliterature(文学・文芸)の略


そして、囁一さんのピアノ。
これ言ったら怒られるかなあ…と思いつつ、でもどうしてもそういう風に思えてしまうので、書いてしまう。(お気に障ったらすみません)

囁一さんは、ピアノに煽られている。

「やれるもんならやってみろよ。やりたいんだろ?」
喩えるなら、某BLE○CHの斬魄刀(ざんぱくとう)。
エンリルでたぶん卍解(ばんかい)の状態になったのかなと思う。
でもまだたぶん、充分にコントロールできるまでには至っていない。おそらくまだ、煽られている。…かもしれない。(ああ、でも「青春の始末」でいくらか解放できたのかなとも思う)

囁一さんは、曲を作る自分と演奏する自分は別の人間、と言っているし、それは見ていてよくわかるw
自分に対する期待値・理想像が高すぎるのか、それでよく落ちこんでるし、よく理想と現実の狭間でもがいてる。(まあでもそれが逆に作品の糧になってる気がするんだけど(素人考えだったらすみません))
創作ができない私からすれば、漫画も音楽もできる囁一さんが羨ましくて眩しくてしょうがないんだけどw(まあそもそもアウトプットに興味のなさすぎる私自身に問題があるとは思うが…)

しかも囁一さんの音楽は、優美さも、荒っぽさも、鋭さも、衝動性も、退廃的な諦観性なんかもあって、振れ幅が大きいというか、いろいろな色があるというか。
本当にいろんな画材と色を持っている人だなあと思う。
そして、命とか精神とか、自分の大事なものを削って、演奏している気がする。
寿命削ってない?大丈夫?って、いつもいらぬ心配をしてしまうw
でも音楽やめられてしまうと、けっこう…少なくとも私は、かなり依存しているので立ち直れる気がしない…ので、どうにか続いてほしいところ。(なので、「やめるのやめた」のは本当にホッとしました)
なかなかねー、偉い人を説得するのは大変だろうし、バンドとなるといろんな事情が絡むだろうから、いろいろしんどいことも多いだろうし、あんまり無理は言えないけど…。
なんつーか、「子どもが読む本は親(大人)が決める」ていうのと似た葛藤を感じる。

でも、囁一さんのピアノソロライブの時にもTwitterに書いたけど、囁一さんが楽しそうに嬉しそうに演奏しているのを見るのが好きなのですよ。そしてそう思っているのはたぶん私だけじゃないと思うんですよ。だからできるだけ多く、長く、囁一さんの、感傷ベクトルのやりたいことを、なんでも、いつでも、何度でもやってほしいと思うのです。(手始めにファンミーティングとかどうですかー|д゚)チラッ)

【2015/12/22 “感傷ベクトル”田口囁一 ピアノソロライブ 『回帰線上のモノローグ』 - Togetterまとめ】
https://togetter.com/li/920163

(※補足:「pianismic」(ピアニズミック/囁一さんの造語@公式LINE)は同人CDで出てはいるのですが、残念ながら現在絶版状態…知るのが遅すぎた…orz)

「ドレミとソラミミ」みたいに。こういう曲を囁一さんが作ったっていうのが、私には嬉しいんです。めちゃくちゃいい曲ですよ、「ドレミとソラミミ」。大好きです。カラオケで歌ったらめっちゃ難しくて困ったけど。

“あれもしたいな これもしたいな
かみさま 勇気をください
あれもしたいな これもしたいな
すこしだけ自由をください”

ああ、ついでだから…と言ったら失礼かもしれないけど、それぞれの音楽の印象を書き殴っておこうかな。
あくまで個人的な印象です。

感傷ベクトルは「抉る(えぐる)」
かさぶたを剥がしちゃうような感じ。

Annabelさんは「浚う(さらう)」
草原に風が流れるような、浜辺の砂が波に浚われるような感じ。

チエさんは「天使の梯子(はしご)」
雨上がりに雲間から日が射すような感じ。


さすがに好き勝手にいろいろ書きすぎた気がするので、そろそろ作業に戻ります…。

あっ! 書き忘れてた! チエさんが出した同人CDに、「Nostalgic Fabric」というアルバムがありますが、その中の「musics」という曲、チエさんと囁一さんのツインボーカルという最大級に俺得すぎる曲があります。めちゃくちゃいいです。耳が幸せすぎるほど幸せ…。
http://www.dojin-music.info/cd/3231/

“丁寧に生きていたいだけなんだ musics 聞いて”

この二人のウィスパーボイス&コーラスワーク、とんでもなく最強に尊い…つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚

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