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聖書に書かれている『記念の十二の石』は、君が代に歌われている『さざれ石』に象徴とされているのか。

今回の記事の内容につきましては、あくまで当ブログ主である私個人の見解であり(聖書の記載は除く)、真偽につきましても私個人が負うものであることを、あらかじめお断りいたします。

さて、『記念の十二の石』なるものを初めて聞きました、という方も多くいらっしゃるのではないかと思います。私も少し前まで全く知識を持っていませんでした。

しかし、聖書には『これらの石は、永久にイスラエルの人々の記念となる』と書かれていて、とても大切なものであることがわかります。

では、この『記念の十二の石』とは、どのような『石』なのでしょうか。

少し長くなりますが、どうかお読みください。

ヨシュア記 第3章:ヨルダン川を渡る

11-13
見よ、全地の主の契約の箱があなたたちの先に立ってヨルダン川を渡って行く。今、イスラエルの各部族から一人ずつ、計十二人を選び出せ。全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう。

14-17
ヨルダン川を渡るため、民が天幕を後にしたとき、契約の箱を担いだ祭司たちは、民の先頭に立ち、ヨルダン川に達した。春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を超えんばかりに満ちていたが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、川上から流れてくる水は、はるか遠くのツァレタンの隣町アダムで壁のように立った。そのため、アラバの海すなわち塩の海に流れ込む水は全く断たれ、民はエリコに向かって渡ることができた。主の契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川の真ん中の干上がった川床に立ち止っているうちに、全イスラエルは干上がった川床を渡り、民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

ヨシュア記 第4章:記念の十二の石

1-7
民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、主はヨシュアに言われた。
「民の中から部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜野営する場所に据えさせなさい。」
ヨシュアはイスラエルの各部族から一人ずつ、かねてから決めておいた十二人を呼び寄せて、言った。「ヨルダン川の真ん中の、あなたたちの神、主の箱の前に行き、イスラエルの人々の部族の数に合わせて、石を一つずつ肩に担いで来い。それはあなたたちの間でしるしとなるであろう。後日、あなたたちの子供が、これらの石は何を意味するのですかと尋ねるときには、こう答えなさい。『ヨルダン川の流れは、主の契約の箱の前でせき止められた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の流れはせき止められた。これらの石は、永久にイスラエルの人々の記念となる』と。」

お読みになられて、いかがでしょうか。

私はここまで読み進めた時に、ある閃きを得ました。

そうです、この『記念の十二の石』は、日本の国歌である君が代に歌われている『さざれ石』のことではないか、と。もちろん、『さざれ石』が、『記念の十二の石』そのものであるのではなく、象徴として大切に日本各地の神社等で祀られているのではないかと。

そんなとんでもない、突拍子もない話だと、お考えになられるかも知れません。

しかし、『日ユ同祖論』という説が現実に存在し、「古代イスラエルの十二部族あるいはイスラエルの失われた十支族の一部の人々が日本に渡来し、日本という国家の歴史文化に影響を与えている」という、おおまかな流れは信憑性があると、私は考えています。

古代イスラエルの十二部族といえば、まぎれもなく聖書に登場する人々で、彼らの子孫がイスラエルから遥か東方の、日本という国へ渡来してきた、と考えるだけでも壮大な歴史ロマンを感じませんか。

このことを心に留めて聖書を読むと、今までよりもずっと聖書の記述が身近に感じられますし、聖書に書かれている物と日本の歴史遺物とを照らし合わせ、想像力を働かせてみたり、とても興味深く読むことができます。

この閃きを得た時、私は聖書を読むにあたって「どうか、私にしか解くことのできない聖書の封印を解かせてください」と、神様にお祈りしていました。

この聖書に書かれている『記念の十二の石』と、日本の『さざれ石』との関係の真偽については私にはまだわかりませんが、このことは必ず形に表さなくてはと思い、記事にいたしました。

どうか一人でも多くの日本人の方が、神様の御言葉である聖書をお読みになり、神様の人類への深い愛に気付くことができますように、心からお祈りしています。


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