見出し画像

ニューズレターを再開したよ

私はかつて「おたより」というニューズレターを発行していた。

始まりは2006年ごろ。パリに住んでいた私は、フランスと日本の違い、フランスの面白いところ、住んでいる界隈の話などを友達に手紙で知らせていた。

が、ひとりひとりに同じことを書くのは面倒だなーと思い、みんなに一気にお知らせするのは「新聞のようなもの」がいいんじゃね?と思って始めた。

と、いうことと。

当時私は「ほぼ日」

そして、大橋歩さんが発行していたアルネという冊子(既に終了)

が大好きで、隅から隅まで読んでいた。

そして「いつか私もこんな感じの発信がしたい」という、淡い思いを抱いていた。

そこで私は「その時にできる範囲で」新聞を発行してみることにした。(といっても数人の友達向け)

それが、おたより。

おたよりは日本に戻っても続け、少し休んでは続け・・と、気がつけば(pdfでのメール配信含めて)多い時には100人以上の方に送っていた。


休止する


が、2020年。

経済的な不安が私を襲ってきたとき「こんなこと続けても、誰にも喜ばれない」「無駄な労力」「ひとりよがりの発信なんて」「郵送にお金もかかるし続けられない」・・なんてなんて。

押し寄せるネガティブな思考に責められ、止めてしまったのだった。


その年の11月ごろかな。

ある友達からお手紙と彼女が作ったキャンドルが届いた。

そこには「楽しくて、読んだあとに自分を振り返ることが出来るおたよりをありがとう!」と書いてあった。彼女もまた、長年「おたより」の読者だったから。


自我の気持ち



彼女の訃報を聞いたのは、翌年の春頃。
SNSを見なくなっていた私は、彼女は退院して普通の生活に戻っているものだと思っていた。

友達のメッセージを読み返しても、私はおたよりを再開しようとは思わなかったし、他の友達から「あれ(おたよりのこと)はもうしないの?」とか「おたより面白かったよ!また始めたら?」と言われても、ほとんど心は動かず「そうだね・・」と言葉を濁していたんだ。

「何かしないと」と焦る気持ちはあった。けれど「お金がないから」という理由で「稼ぎに繋がらないもの」はしたくないという自我。

そうなんだよね、それは思考で叩き出された「自我」であって本心ではなかったんだよね。

言葉を濁していただけで、きっぱりと「もうしないよ」と言わなかったんだもんね。



ブワーっという体感が来た


それが、今年に入り、久しぶりに友達2人とレストランで話していた時のこと。

ひとりの友達が、お手紙とキャンドルを送ってくれた彼女の話を始めた時、ブワーっとなんとも言えぬ感覚がやってきて、彼女のメッセージと共にある光景が目の前に広がった。

それはメッセージの言葉と同じ「楽しくて、ふと自分を振り返るメッセージを届ける」というものだった。

それが、私の役目・・というよりも「今やっていくこと」という人生に刻まれた過程のようなもの、という感じ。
(”ここ”を通らないと”そこ”へはいけないよ、みたいな)

と、同時に「それ、やりたい!そうだやりたかったんだ」って気づいた。そして、なんだかすごくホッとした。


そのままでよかったんだね


だけど、私の中にはまだ「読んでもらうんだから、役に立つことを書かないといけない」という思いが強かった。

それに、それまでの内容について、なんとひとりよがりな!という気持ちもあり、気恥ずかしく感じていた。

それを一緒にいた友達に話すと「え?全然」と。

自分への認識と、実際に読んでくれていた友達の認識は別のもので。拍子抜けしてしまった。

「あ、そうなんだ。あれで良かったんだね」


2024.3.15再びスタート


ということで、3月15日に「おたより」を再開した。ポストに投函する時はこれまでにないほどドキドキした。大切な人に大切な思いを伝えるような。

亡くなった友達が書いてくれた「読み終わった時に、ふと自分を振り返るような」につながることがあったのかなかったのか。それは分からないけれど。

おたよりを発行する、というひとつの行動が何に繋がるのか?

何かのためにならなくても、やってきた感覚を受け取り、そしてそれを素直に動かせばいい。

それが、今の私がやることなのだ。


今日の話はこれでおしまい。
おたより、天国の友達にも届きますようにと願いを込めて。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?