私、ミキオ先輩の総理大臣に就任しました Vol.7「総理のきけんな決断」

 人間には簡単に決断できることと、簡単には決断できないことがある。カシオの時計を一つ買うくらいのことなら何のためらいも要らないにしても、ニワトリを一羽飼うかどうかはなかなか即決できない。さまざまな価値基準が邪魔をするからだ。
 いま、私はミキオ先輩からの電話で、武器をもつかと尋ねられていた。
「総理、ご決断を」
 けれどこれも簡単に決断できることではない。
「……バイクとパソコンは、無事に取ってきたんですか?」
「ええ、それは無事に回収しました。今のところ、怪物は誰が盗みに入ったのかはわかっていません。これから僕が知らせないかぎりは」
「知らせる気なんですか? そんなことをしたら通報されますよ」
「されませんよ。失礼ですが、じつはだいぶ以前から探偵を使ってご自宅の経済状況を調査していました。お母様のお仕事からの収入ではとても生活を賄えません。すると、怪物が何で収益を上げているのかが問題になるわけですが、これが判然としない。表向き、怪物は昼間は総理の自宅で眠っているだけです。出かけるのは深夜。しかし、彼は警戒心が高いのか、その仕事先までの移動ルートさえ日々変えています」
「……怪物はあまりよくないことをしている、と?」
「恐らく。ですから、彼は警察には言いません。水面下にことを片付けようとするでしょう。ただし、たとえこちらの経済制裁の意志をきちんと伝えたとしても、穏やかな解決にはならないと思います。むしろ、こちらの手の内を知ったことで、何か攻撃を仕掛けてくることはじゅうぶんに考えられます。いいですか、総理。もうすでに、戦争は始まっているのです。怪物は二人のけが人を出しました。これが経済制裁だと伝えたところで、理性で話せる相手とは思えません」
「それはそうですけど……」
「ひとまず、そちらに戻ります。話はその後で」
 電話は切れた。
 私は落ち着かない気持ちで、慣れない、ふかふかすぎるベッドの上でミキオ先輩が戻るのをじっと待っていた。
 ミキオ先輩が現れたのは、朝の九時を過ぎてからだった。彼は昨夜より微かに窶れて見えた。彼は、抱えてきたアタッシェケースを私の横たわっていたベッドの足元に広げた。
「御覧ください。これが現在この屋敷にある武器です。すべて、ご自由に総理がお使いになることができます」
 アタッシェケースの中身を覗いてみて驚いた。そこにはマシンガンやライフル、小型のアーチェリーやサバイバルナイフがぎっしりと詰まっていた。
 ミキオ先輩はライフルを手に持ち、くるくると華麗に回してから元に戻した。
「武器なんて物騒な、とお思いでしょう。しかし、ある者は言います。武器は平和を守り、人々を困難から解放し、敵対する者に痛みを最小限にとどめた死を与える最善の解決策なのだ、と」
「いやです、そんなもの……しまってください」
「しまうにせよしまわないにせよ、それは総理がご決断された後の話です。総理は武器を持たれますか? それとも、武器は今後も保持しないのですか?」
「保持しないと言ったら、どうなるんですか?」
 ミキオ先輩は小さくため息をつき、遠くに目をやった。それから、ナイフを手にとると、壁に向かって投げた。ナイフは風を切ってまっすぐに飛び、白い壁に音一つ立てずに突き刺さった。
「茨の道にはなりますが、バイクとパソコンを怪物に返還します。そして、さらに百万円を包んで渡します。怪物が金に困っているだけなら、当面はこれで納得してくれるでしょう。しかし、一度金を払う姿勢を見せてしまえば、相手はさらに調子に乗って金額を釣り上げてくる。そのたびに総理が危険な目にさらされることは必定です」
「……でも、武器はいやです」
「本条仮名子国家も、この国を真似ればいいのですよ。軍隊は持たない。されど自衛のための武装は許される。これらの武器は自衛のための道具です」
「……以前のペーパーナイフとは違います。これは明確に武器です。戦争のできる武器じゃないですか」
 私はこんな提案を眉一つ動かさずにするミキオ先輩が、怖くなった。もともと、どこか夜のベランダみたいなひんやりとした理性を持っている人だとは思っていたが、実際に武器を目の前に広げられると、彼が本当に手段を選ばないタイプなのだという気がした。
「ミキオ先輩はどうしたらいいと思うんですか?」
「わかりません。総理のご指示に従うまでです。平和を貫かれるのも総理。戦争を選ぶのも総理。僕はそれに従うだけです。僕たちがいるのは、本条仮名子国家です。僕はあなたの決断にしか従わないんですよ」
 その言葉で、さっき感じたことが誤解かも知れない、とも思った。自分は冷静なミキオ先輩を怖いと思った。でも、本当はちがうかも。本当に怖いのは、ミキオ先輩ではなく自分自身。武器を持ってしまったら、自分自身が通常の理性がはたらかなくなるんじゃないか、と考えて怖かったのじゃないの?
「アーチェリーをください」
 自分でも思いがけない台詞を口にしていた。けれど、言ってしまうと、存外そんなものかというくらい後悔も何もなかった。むしろ、しょうがないよ、これは当然の選択だものと自分を慰めたい気持ちのほうが勝っていた。
「……よろしいんですか? 総理」
 この武器を使うつもりはない。ただ持っているだけ。もしもこの武器を持っていても、拳銃じゃないし、屋外に持ち出さなければ、問題にはならないはず。持っているだけ、持っているだけ──。
「お願いします。私は自分と母を守らなくてはなりません」
「……このままここにずっといていただいても、僕は構わないんですよ?」
 いつの間にか隣にやってくると、ミキオ先輩はひときわ甘い声でそう囁いた。その瞬間だけ、目の前に武器が広げられている現実を忘れることができた。
 けれど、私は首を横に振った。
「いいえ、ご好意はありがたいですけれど、母のためにも、戻ります」
 母のために? 本当に母はそれを望んでいるだろうか。
 わからない。けれど、このままここでのうのうと暮らしていくわけにはいかなかった。
 ミキオ先輩がそっと小型アーチェリーを取り出すと、それを私に手渡した。初めて手にする武器は、硬質で、想像よりずっと自分を勇気づけてくれた。そのことが頼もしくも、怖くもあった。
「この敷地の奥に練習場があります。いまから夕方まで練習してから帰ったら、きっとすぐに上達するでしょう」
「……ありがとうございます」
「ただし、総理に今一度言葉ではっきり伝えておきますね。これはお遊びではありません。軍事演習です。それをご理解ください」
「え……」
 持っているだけ、持っているだけ──。そんなふうには物事はいかないのが、お金と武器なのかも知れない。
私は悟った。ああ、いま自分は、侵入すべきではない危険なくさむらに足を踏み入れてしまったのだった、と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?