見出し画像

遅すぎたフジファブリック「若者のすべて」体験に導かれて

 フジファブリックというバンド名をいつ頃知ったのか、しょうじき記憶が定かではない。が、「茜色の夕日」も「銀河」もリリースされて間もなく認知していたように思う。けれど、どこかで自分とは縁遠いバンドだ、と感じていたのも確かだった。
 音楽として聴くには、やや個が立ちすぎていて灰汁が強い、と感じていたように思う。志村というボーカルの個性がそれだけ強烈だったということもある。歌詞がというよりは、声だろうか。一語一語をはっきりと届けようとする明確な意志は、くるりの岸田繁以上に際立っていて、歌う詩人のようでもあった。それゆえに当時の自分には「通して聴くには聴きにくいバンドかも知れない」という勝手な危惧を抱いてしまったのかもしれない。
 日本語ロックに僕が求めるのは、「なんか聞き取れたけど、意味はわからない」「でも読み取れないだけで意味がなくはないかもな」という感覚だ。だから、あんまり明瞭にメッセージが飛び込んでくると、くしゃみが出そうになる。猫だったら高くジャンプして逃げ出しているかも知れない。「君と会えなくてつらい」という核の部分に目を伏せて、その周辺を描くような書かれ方が好きなのだ。奥田民生だったら「イオン」、くるりだったら「ばらの花」といった感じだ。それは、元を辿ればはっぴいえんどのやり方である「風景に寄り添う/ゆだねる」というやり方の延長上にある書き方であるとも言える。
 フジファブリックの志村の詞の書き方も基本的にはそうなのだ。しかし、それを志村が歌うことによって、志村の個性があまりに際立ちすぎるように感じていた。2009年の暮れに志村正彦が亡くなってからも、その距離感は変わることがなかった。ただ、ずっと気にし続けていた。何がそんなに気になっていたのかわからないのだが、とにかくずっと気にし続けていた。だから彼らが解散せずに続けるとわかったときもやっぱりその楽曲は絶えず機会があれば聴いてきたし、くるりのツアーにギターの山内総一郎が参加したときもなんだか身内を見守るように聞き入ってしまった。とくにツアーでの「奇跡」の演奏の山内は素晴らしかった。でも、だからと言ってフジファブリックを振り返って聴きまくるなんてことは、やっぱりなかった。
そうして時が流れて、作家になり数年が経った。作家という職業がこんなに想像を絶する忙しさだとは思ってもいなかった。売れない専業作家だというせいは多分にあるにせよ、私はとにかく昼も夜もなく書き続けていた。そうしたなかで、たまたまある夏にふと数日間の暇ができた。暇ができると人間というのは何もしないもので、せいぜい動画あさりばかりになる。そうこうしていた時に、本当にたまたま、フジファブリックの「若者のすべて」が流れてきた。もう何回も聴いている楽曲だったけれど、夏だし、たぶんちょうど季節的に合っているなあくらいに思って聴いていたんだと思う。
驚いた。一番を聞き終える頃には、よくわからないうちに涙がこぼれて止まらなくなっている。何だこれは。どうしたんだ俺は。そのままじっと耳を澄ます。二番が始まる。ダメだ。サビにいくまでもなく泣いている。鼻まで啜り出している。意味がわからない。何なんだ。どうしたんだ俺は。
気が付くと、結局その日、二十回以上動画を再生していた。もちろん、すぐにアルバムもその日のうちに購入した。そしてむさぼるようにフジファブリックを聴き、椅子の上に正座して深く深く反省した。フジファブリックは素晴らしいバンドだった。本当に、文句のつけようがないくらい素晴らしいバンドだ。キーボードのロックな跳ね方はユニコーンの阿部義晴と互角かそれ以上だし、繊細でもあり大胆でもあるギターはきわめて「人間的」だ。そしてベースは非常にスマート。全体にちょっとやり過ぎなくらいロックでもあり統制もとれているバンドという印象をもった。
やっていることはユニコーンの延長上のようにも見えるけれど、独特の音律がきわめて古風な日本の原風景を、抒情的に喚起させる。これはある程度の田舎で、それも神社とかが近所にあって、そのバックに山があって、というような……何と言ったらいいのか、ざっくり言えば、土地にやおよろずの神々の気配を感じて育った者でないと作れないメロディだな、という感じがする。
とりわけ「若者のすべて」という曲の歌詞はそれが顕著だった。「僕」も「君」もいなくて、ただ「花火」があって「僕ら」がいる。その「僕ら」は一緒にいても、いなくても、「僕ら」として描かれている。そうでありながら「ないかな ないよね きっとね いないよな」と気にしている。けれどここでも「僕」や「君」という個は登場しない。
花火の上がる神聖な夜の前では、個の存在は羽虫のように舞いあがって「僕ら」になる。この「僕ら」はどこまで拡張したって構わない。家族を含めても、親友を含めても、何だっていいのだ。そして、どこまでも拡張される、一緒にはいないであろう「僕ら」が、それでもこの花火の上がる一瞬のあいだに、会えるかも知れない可能性を求めている。
20代半ばを過ぎたあたりから、花火の眺め方が変わった。そこには失われた時間があり、失われた時間が戻ってくるのではないか、というあり得ない奇跡の可能性が同時に眠っている。人が花火を好むのは、一瞬のあいだ、眠っている奇跡を揺り起こして解き放つことができるからなんじゃないかという気がする。
そして、「若者のすべて」という楽曲には、たしかにその「奇跡」が刻み込まれていた。たぶん、自分が涙したのは、もうその花火の特性を、言い換えれば「若者のすべて」を生き抜いてべつの地点にいるからなのかも知れない。誰もが若者の時代を経験する。そして、若者であるときは、人はこの曲に刻み込まれたような切なさを無数に抱いて生きている。
とまあ、遅すぎるフジファブリック体験を通してそんなことを考えた。たしか今から二年程前のことだったんじゃないかな。
その頃、ちょうど一本のプロットが通って手元にあり、さてこれから執筆というところだった。『毒よりもなお』という作品だ。それを書こうとするタイミングで、私はまさに遅すぎたフジファブリックムーヴメントに突入したわけだ。脳内には「若者のすべて」をはじめとする楽曲が流れ続けている。アルバムも何枚も買い漁った。
書くべき作品は、とある有名な事件に着想を得たサイコサスペンスだ。かなり凶悪な事件でもあり、当時は犯人の異常性にばかり注目が集まったが、獄中の対話などを読んでいると、その当時の報じられ方とは違った側面が見えた。「この犯人は、本来人間がもつべき感情という雑草の生える余地のない乾燥地帯にごろりと放置されて育ったのだ」と思った。そんな犯人の内面を想像しながら「若者のすべて」を聴いていたら、何とも不思議な感慨に見舞われた。言ってみれば、この犯人には「若者のすべて」という楽曲のせつなさは伝わらないだろう、と思ったのだ。それは、この犯人に「若者」が本来もっているはずの「すべて」が失われているからなのだ。この犯人は乾燥地帯にたった一人でいることを強いられすぎた。だから「僕ら」という概念が欠落しているのだ。「僕ら」という意識のないところには、なかなか切なさは生まれない。
これだ、と思った。年代を、志村のなくなる2009年の翌年に設定し、「すべて」が失われている「若者」のためのテーマソングに「若者のすべて」を仮に据えて書き出してみた。あとはもうするすると筆が自由に進み始めた。
 こうして『毒よりもなお』は完成した。でも、「若者のすべて」を小説にしました、というわけではない。「若者のすべて」がなかった若者に「若者のすべて」を届けてみたい、という意識で書き出しただけだ。だから、オマージュという言葉がふさわしいのかどうかもよくわからない。ただ一つ言えるのは、あの夏の余暇と、遅きに失したフジファブリック体験がなければ、この小説はべつのものになっていただろう、ということだ。
 フジファブリックは、志村なきあとも走り続けている。先日リリースされた「手紙」は山内がボーカルとなってからのフジファブリックの新たな代表曲と呼ぶにふさわしい作品だった。花火が終わり、奇跡を夢見る頃が過ぎても、歩き続けること。フジファブリックは堅実な背中で、それを見せ続けてくれている。自分も、そうありたいな、と思う。先日40歳を迎えた。若い頃は39で死ぬだろうと思っていたから、我ながらびっくりだ。でも、まあ歩けるところまでは歩いてみるか。そう思いながら、今日も次なる小説に取りかかる。
 そんなわけで、書店で見かけたらよろしくお願いしますね。『毒よりもなお』(角川書店)。そして、「若者のすべて」、聴いたことのない人は動画でもCDでもいいからぜひ聴いてみてほしい、とにわかファンのくせに熱烈に推薦しつつ、この文章を終わりにする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?