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黒猫による初断篇「みにくい夫人」

 みにくいと呼ばれる夫人がいる。形容詞が個体の名詞として定着するまでには、長い物語があるが、まずはじめに言っておくべきことは、みにくい夫人には、みにくくない時間があったということだ。あるいは、みにくくない時間こそが、彼女の渾名を定着せしめてしまったのかも知れなかった。
 ニーチェは〈醜〉を衰えゆくことの顕れと捉えていた。従って、社会のあらゆる競争における敗北によって己を摩耗させ、枯渇させたあらゆる退化現象こそが〈醜〉であると、ニーチェはそう考えていたようだ。
 しかし、このような〈醜〉の考え方には、現在ではさまざまな異なる立場が存在する。こと芸術の領域においては、〈醜〉を欠かすべからざる構成要素として捉える向きもある。また、写実主義芸術では、日常や社会に蔓延る〈醜〉を照射するが主題となっている。この意味から言っても、単に〈醜〉を〈美〉の対義語のように捉えるわけにはいかないし、醜くない時間こそがみにくい夫人を作り上げたのだとしても、それは美から醜が生まれた、というほど単純な話でもないのだということは、理解していただきたい。
 彼女の名を、仮にハースリッヒと名付けておこう。ハースリッヒは、子どもの頃から勘違いや思い込みの激しいほうで、それは往々にして全能感という子ども特有の感覚として如実に現れていた。
「先生、もしよろしければ私が先生の代わりに黒板の字を書きましょうか。私、字は誰よりもうまいことですし」
 ハースリッヒにこう言われても、担任の教師はむかっ腹を立てなかった。彼女の父親が役員をしていたし、担任自身も子どもの長所を伸ばして育てたいという方針を持っていた。担任は「そうだね。頼もうかな」と言い、ハースリッヒはそれを当然のことと思った。こういったことが、一度や二度ではなかった。
ハースリッヒは何でも自分がいちばんだと思っており、周囲も彼女がそう思っていることを知っていて、ついその信念を妨げたくないと思ってしまうようだった。
 彼女は街でいちばんの美女と呼ばれた。当然のことながら、彼女自身もそう思っていた。ハースリッヒにとって、主観と客観の一致は当然の帰結であり、そこに齟齬が生まれるようなことなどあり得なかった。自分が自分を一番だと思っていること。それはつまり、他人も自分を一番だと思っているということであり、それこそが唯一絶対の真実なのだ、と。
 主観と客観が一致するだって? そんなわけないじゃないか、なぜ彼女の信念を誰も揶揄しないんだ? 馬鹿げていると教えてやれよ。そんな野次を飛ばす者は、当時のハースリッヒの周囲にはいなかった。それこそが、彼女の不幸であった。
主観と客観のまったくズレのない当然の帰結として持て囃されたうつくしい子は、やがて十八になった。街でいちばんの進学校に身を置いていた彼女は、これからは己の才能で世界を自分色に変えていけると思っていた。
実際、ハースリッヒは成績もすこぶるよく、ピアノも上級者レベルなら、絵画の腕も人並み以上であった。卒業を待たずに街の資産家が熱烈な求婚をして結婚に至ったのも、周囲は当然と思ったし、彼女自身も自然な流れだと感じていた。
ただし、その王女たる君臨ぶりが街という檻の中で守られたものであることまでは、彼女は気づけなかった。
ハースリッヒは、どんな世界的に著名な音楽家のコンサートに出かけても、あるいは近代絵画を代表する画家の個展を観に行っても、それらと自分が創り出すものとの間にそれほどの差があるとは思えなかった。これでいいなら、私が代わってあげられる。あらゆるものは、私で代用がきく。何の疑いもなく、彼女はそう思っていた。
夫はよく彼女のそんな様子に満足げに微笑んで言ったものだった。
「そうとも、君こそが芸術作品さ」
ところが、その彼女のありあまる才気は、国内で開かれた全国規模のコンクールやオーディションでは、どこでも通用しなかった。そんなはずはない、と彼女は思った。審査員はどこを見ているのだろう、と憤ったりもした。周囲は、「あいつらは本当に新しいものなんか見抜けないんだよ」と彼女を慰めたし、彼女もそう思おうと努めた。けれど、ハースリッヒにとってそれはおかしなことであった。自分の感じ方と他者の感じ方に差異など生じようはずがないのだ。ハースリッヒが優勝と信じたら、優勝。それが絶対の真実であったのに。
ハースリッヒがこの矛盾についてどれくらい考えたかは想像に難くない。周囲はハースリッヒの価値判断こそが真で、審査員が間違えたのだと言うが、それならば、もしも他者の価値判断が真なら、ハースリッヒの価値判断は偽であるということになりはしないか。あまりに長いことそのことばかり考えていたので、ハースリッヒは幾日も幾日も外出をしなかった。時折奇妙な夢を見た。日照りが続き、大地が渇いて農作物を枯らし、地表に皹が入り始める。恐ろしいことに、その地表こそがハースリッヒそのものであり、それまで街と信じていたものは、ハースリッヒの顔面であったという夢であった。
そうして一年ぶりに外出した時、ハースリッヒは街の人々の見る目がまるで違っていることに気づいた。彼らは皆、ハースリッヒを恐れていた。鏡を見ても、以前と何が変わっているというわけではない。表面的には、美しいあのハースリッヒのままだ。けれど、今では誰もがハースリッヒを見ると、こそこそと陰口をきいたり、小さな子どもは泣き出して逃げ出したりする。衰えも老化もまだ遠い未来の話なのに、はっきりと街の人々は彼女をみにくい夫人だと思っているようだった。
ハースリッヒは泣きながら夫に相談した。夫だけは、長らく彼女の美しさを褒めたたえ続けてきており、それは彼女が一年間自宅に籠もっている間も変わらなかったからだ。
「ねえ、あなたはどう思うの? 私をみにくいと思う?」
 すると、夫は答えたのだった。
「いいや、みにくいだなんて思わないとも」
「では美しいと思ってくれる?」
「いいや、思わないとも。どちらも、一度も思ったことがない」
 夫はそう言いながら、方々の画廊で収集してきた絵画を壁にかけて眺め始めた。それから、ちらりと彼女のほうを見てから言った。
「君がみにくいとしたら、それはそれこそが君のテーマだからだ。君は、芸術だからね。お腹が空いたな。昼にしよう」
 それから、二人はランチを食べた。食後、ハースリッヒは敷地内を散歩すると言って出かけた。夫は何も言わなかった。遠くへ行くとも思わなかったのだろう。何しろ、街へ出れば陰口を叩かれるのだから。
 だが、それは少々予測が甘かったかもしれない。夫は、ぐだり、ぐだり、という岩を砕くような音で、午睡から目覚めることになった。音のする方向から、同時に何やら甲高い歌声とも叫び声ともつかぬハースリッヒの声が聞こえてくる。そのけたたましい音で、夫は夫人が何をする気なのかにようやく気付いた。
 ハースリッヒは屋敷に築かれた目隠しの塀をすべてなくそうとしていたのだ。斧を振り上げながら、ハースリッヒは歌うように叫んだ。
「さあどうだ! 
これで境目は消えた!
さあどうだ!
私とあなたたちの境目はない!
さあどうだ!
私があなたたちだ!
さあどうだ!
このみにくい私が、あなたたちだよ!」
 


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