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『黒猫と語らう四人のイリュージョニスト』あとがき+トークイベント総括

初の黒猫単独表紙となった黒猫シリーズ第九作目は、皆様の本棚に収まりましたでしょうか。丹地陽子先生による装画の背筋の伸びるようなきりりとした空気感と併せて、ぜひご堪能いただきたいです。

発売から一カ月が経つと知り驚いている。本来ならもっと早くにこうしたものを書くべきだったのだろうが、まとまった時間がなかなか取れなかった。

ただ、どこかのタイミングで黒猫シリーズ読者の皆様に向けて「あとがき」に代わるような何かを発信する必要は感じてきた。毎度なんだかんだと発売に際して書いてきたが、それとは違う意味で書かなければという気がした。

というのも『黒猫と語らう四人のイリュージョニスト』をめぐっては、発売後からSNS上で「衝撃」と口にする人が後を絶たず、いつもならすべてRTする作者も、ネタバレに配慮していいねにとどめるものもいくつかあった。いい反応もあれば、少なからずショックを受けているものもあった。

読書は孤独なものである。読後感を誰かと共有するのも醍醐味ではあるが、基本的には孤独なものである。だからこそ、大きな衝撃を与えてしまったかもしれない本作のあとでは、あとがきめいたものが必要だろうなと考えた。

とはいえ、私はあとがきが好きではない。編集氏から頁が余ったから書いてくれとでも言われないかぎり、できれば書きたくないと考えるタチだ。理由はいろいろあるが、第一に小説はそれ自体で完成されたものであって、あとから作者がのこのこと現れて何か語るべきではないと思うからだ。

しかしこうしてこの行まで読んでいる以上、その読者は恐らくあの作品について何らかの補足の言葉を求めているのではないか、と推察する。かと言って、あの作品(本というフォーマット)に何か注釈を入れるのは野暮である。「衝撃」がどうあれ、それは読者の判断に委ねたい。ただ一つだけ言えるとすれば、私はつねに黒猫シリーズでは幸福な瞬間を切り取ってきたし、それは本作も変わらない、ということは明言しておいていいかもしれない。
以下、各短編執筆時に何を考えていたのかを言葉たらずに一言メモで。

「誰も知らない流行歌」
雨の音と、雨の降る日に雨の音が聞こえない場所にいるときの感覚を、研ぎ澄ませながら。
「少年の速さ」
ビョルン・アンドルセンのことを考えながら。
「黒くて白い製図法」
たびたびSNSで話題になるトレパクについて考えながら。
「生ける廃墟の死」
坂本龍一の音楽を聴きながら。

というわけで、ここからはトークイベントの話題に移る。

三年ぶりのトークイベント。新型コロナウイルス蔓延以降、あらゆるイベントは一時期、自粛を余儀なくされた。もともと自分で主催するタイプだが、コロナ禍と前後してイベントの意義を見失い、このまま死ぬまでやらなくてもいいかなと思う時期もあったりした。

だから紀伊國屋新宿本店さんと早川書房さんによって「森晶麿と語らう黒猫シリーズ最新作~ネタバレ討論会~」の企画を進めていただきながら、じつは壇上に立つことにいちばん驚いていたのは私自身だった。実際にイベントの席に立つと、参加者の熱量と一言一言にうなずきながら話を聞く様子に、この方たちに作家にしてもらっているのだな、と再認識した。

新担当の金本さんを進行役に、会は終始和やかに進んだ。スムーズな司会に助けられ、私もいつになく話しやすく饒舌に話すことができた。作品内容についても、ある程度は踏み込んだ話ができたと思う。ただ、トリセツのような内容ではなかったと思うし、そういう話はなるべくしないように気を付けたつもりではある。とはいえ、事前に募集しておいた質問コーナーの部分では、ある程度そうした部分とも真摯に向き合わざるをえなかった。

以下は、SNSのハッシュタグで事前に募った質問と、その回答。もっとも、当日のとおりの内容ではない。あれはライブであり一回こっきりのもので、今それを思い出しつつ、多少ちがう答え方もすると思うのでご容赦いただきたい。(※重大なネタバレに触れるところもあるので、未読の方は読了後に以下をお読みください)

Q:今回衝撃すぎる結末とトリックにしばらく頭を抱えていたのですが、いつからこの結末にしようと考えていましたか?

A:「遊歩」の頃から考えていました。じつは「薔薇」や「約束」の頃にもこうした結末のプロットを提出して不採用になっています。当時の自分にはまだこれを書ける筆力もまとめる力もなかったのだと思います。ようやく念願のこのシーンが書けた、ということです。

Q:今回のラスト、衝撃というかショックでした。 このシリーズは、今回の作品でおしまいですか? まだ続きますか?

A:毎回これでおしまいという気持ちで書いてもいますが、矛盾するけど、終わらせるぞ、と思っているわけでもありません。それくらいの覚悟でないと、次も読みたい、と思ってもらえないだろうなという気持ちでやっています。なので、今はやりきった気持ちですが、終わらせるぞ、と思って書いたわけでもないですし、むしろこういうラストになって初めて書ける題材が山ほどあるので、創作意欲は湧いてきています。まあ早川書房さん次第です。

Q:黒猫は人間の可能性、付き人は人間の心のメタファーだと以前言っていたかと思うのですが、灰島や唐草教授など他の登場人物は何らかのメタファーだったりしますか?
A:「灰島」にあったのは、最初にあったのは「灰色」という曖昧な色でした。黒と白の間にあり、雲のように浸透する。いわば、「可能性」と「心」の隙間を埋める霧のような存在です。「唐草」は役割としては規範のような存在で、外見はポワロに似せています。

Q:今回倒叙の形式にしたのは、どんな理由からですか。 また、このシリーズの次作を紡ぐとしたら、それはこの先の物語でしょうか。それとも過去のふたりの物語でしょうか。

A:まだやったことのない形式であるので興味があったことと、今回やろうとしていたテーマが結果的に倒叙とマッチしていたということです。また、黒猫シリーズのもつ可能性をできるだけ小説の力に還元して表現したかったというのは大きいかもしれません。どうしてもシリーズものは、続きものとして消費されてしまう側面がありますが、消費されない「強い物語」であることを強調するのに、倒叙という手法はマッチしていました。
ただし、これは補足ですが、今作は完全な倒叙というわけでもないのです。倒叙ものといえば、犯人が犯行に及ぶ手順などを明確に明かしたうえで、それを探偵に追い詰められていく心理を描くものですが、殺人の起きない、日常の謎モノの場合、「犯行」の手順を最初に明かすのは無意味かつ悪手と判断しました。なので、マニアの方なら厳密な意味の倒叙モノとは認めないとは思いますが、それは織り込み済みです。

 もうひとつ、次作についてですが、現在は白紙ですが、過去よりもこの先を描くことに興味があります。もともと、研究の世界にしか研究することがないかのように捉えられることに違和感がありました。付き人が研究職に小休止を打つことでより日常を工夫して研究しながら過ごすようになると思うので、そこで彼女が何を思うのか、そういう彼女にどんな謎が降りかかるのか、どういうタイミングで黒猫が絡むのか、ということに興味はあります。

Q:黒猫視点は今まで特典やディストピアに少し出てきたくらいだと思いますが、今後黒猫視点で書かれることはありますか?

A:あるとは思いますが、黒猫の一人称となると、思索性が高くなりすぎます。それはエンタメの性質的には水と油であり、多くの人は楽しめないと想像します。やるなら掌編でほんの一コマ、数分の出来事にかぎるでしょう。

以上になります。もうやらないかなと思っていたトークイベントをこのような形で実現していただいた紀伊國屋新宿本店様、早川書房様には深く御礼申し上げます。また、事前予約でご参加いただいた皆様、立ち見席でも駆けつけてくださった当日参加の皆様、ありがとうございました。よき会でした。


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