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百合とGRAPEVINE

 百合とGRAPEVINE──にはとくに接点がないんじゃないか。
 こんなタイトルで書き出せば何か書ける気はしたんだけれども、しょうじきなところは百合とGRAPEVINEはさすがに関係ないだろ、というのが本音ではある。
 ただ、田中和将の書く歌詞の世界には昔から女性の一人称のものがあって、「1&MORE」や「大人(NOBODY NOBODY)」、「ミスフライハイ」といずれも秀作がずらりと並んでいる。
 そこで歌われているのが異性愛か同性愛かは不明だ。何しろ田中の歌詞は難解で、何回聞いても難解なことはまったく変わらない。いつか100%に理解できる日がくるとか、そういうものでもないし、研究するようなものでもないのだ。それはあるテクストのフィルターを通し、ある女の眼差しから語られる田中の雑感のようなもので、「指先から意味がはらりとこぼれ落ちるからこそまた聴く」で正解なのだと思う。それがGRAPEVINEを聴く楽しみでもあるのだ。
 しかしながら、あまりに断片的でありながら、田中が女を騙るとき、そこには歌舞伎役者の女形のように、たしかに女の気配が漂う。ここには昔から田中の至芸のようなものを感じている。何とも色気があるのだ。
 ところが、ここ10年、じつはGRAPEVINEの楽曲にはそれまでと明確なちがいが現れているように思うのだ。それは田中の書く詞の世界の奥行きがこれまで以上に神話的になっているのだ。神話的というのはギリシア神話なんかをモデルにしてるということではない。新たな現代における神なき神話の地平が拓かれているということだ。その前だって、意味をつかみそうになると逃げてゆく独特の詩作は健在だったわけだが、この10年ほどはそれが際立っている。
 たとえば、「これは水です」の歌詞では「Words,words,words 詩人は並べ立てた 女は言った 「お顔は書物のよう」」とシェイクスピアの引用をちりばめつつ、朗々と歌い上げる。ここで田中は物語そのものに成り切っている。その無人格性がきわめて色気のあるものとして昇華されている。ここ10年の田中のヴォーカルは、それまでよりずっと声が地声に近くなり、そのぶん伸びがあって深みもある。熟成されたワインのような貴腐の薫りがする。たんに歳を重ねたからできたのか、私生活で何か変化でもあったのか、とにかくそれまでが「神話を目指していた青年」だったとしたら今の田中は明らかに「神話に入り込んだ何者か」になっている。これが決定的に違うのだと思う。
 そして、そんな田中が、ほんの少し現代に寄り添って書き上げたのが最新のアルバム『All The Light』だろう。ここではそれまでのような文学テクストからの引用は影を潜めている。もちろん潜めているだけでまったくないわけではないのだが、基本的には誰にでもわかる、平易な言葉が選択されている。そのなかに「こぼれる」という一曲がある。これが非常に見事だ。
 中盤の「居場所がないってこともハナから知っていたのに」という言葉で詞に描かれた二人の関係がある種の社会的にみて許されざるものであることが見てとれる。身分の違いか、不倫か、同性愛か、あるいはもっと違った何かか。けれど、だからといって田中は「いけないのに惹かれ合っていく二人」みたいな陳腐なテーマは扱わない。そこで描かれているのは、ただ一緒にいた時間の充足。そこにある偽りのない充足がグラスから「こぼれる」情景だけなのだ。その充足が「こぼれた」あとのことは、語る意味がないとでもいうかのように。きっとそうなのだ。そこにはつまらないあれやこれやがあるだけで、語る意味などない。真実すらない。
 ここに描かれている崇高でいて、しかし僅かに淫靡でもある気配というのは、百合に通じるものがあるんじゃないかな、という気がする。強引だろうか。いや強引じゃないだろう。じつは先日発売になった百合ミステリ『キキ・ホリック』を書きながらしっくりくるなと最初に思ったのがこの曲だった。そこにある崇高で少し重たく、しかし甘美でもある空気は間違いなく百合にも通じていたのである。それから書き上げる間際にふうっと飲み込まれたのが「すべてのありふれた光」という楽曲。おそらく田中がこれまで書いた歌詞のなかでも1,2を競う優しさに満ち溢れた歌だ。この歌を仮にエンディングテーマにもってきてみようと考え再度ブラッシュアップを試みた。
 百合ミステリを書き上げるのに、GRAPEVINEの楽曲はまったくもって不可欠だったのだ。(実際にはそこにレディオヘッドとスガシカオも入っているが、それはまた別の機会に)
 そんなわけなので、百合とGRAPEVINEは関係はないかも知れないんだけれど、案外、相性はいいんじゃないか、という気がするのだ。いつかPVなんかで百合モノをやってもいいんじゃないか、とか思う。まあご本人たちのオッサン萌えもすごいので(ファンから見れば)、そういう意味ではゆるくBLに入れてしまいたくもなるのだが。
 とにかく、近年の田中の歌詞は性差を越えている。神話的で、名づけがたい崇高な空気が漂っている。もちろんGRAPEVINEはそれだけではないバンドだ。ギターの西川やドラムの亀井の魅力についてもたっぷり語りたいところだけれども、今日はこういうテーマなので田中和将の詞の世界に焦点を当ててみた。もしバイン未体験の方はぜひ一聴していただきたいし、もし百合ミステリ未体験の方はもちろん拙著『キキ・ホリック』を。おっとこれでは「これは水です」じゃなくて「これは宣伝です」になってしまうな…。

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