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le conte 聖夜の密室劇 第三夜「量子さんをください」

「しょうじき、最悪じゃよ」
 目の前にいる白髭の男はそう言いながらお茶を啜った。量子はこの男を「パパ」と紹介したが、「おじいちゃん」と言ったほうがいい年齢に見える。ボクはついさっき量子の家を訪ね、こうして六畳の古びた和室に通されたのだった。
「何が最悪なんですか?」
 ボクは正座している足がはやくも痺れてきそうだなぁと思いつつ尋ねた。とぼけるんじゃないよ、と男はぼやくように言った。
「クリスマスの夜に、量子が珍しく家で過ごしたいって言うから、大喜びでいたわけじゃ。それが、さあ楽しいディナーというときにどこのウサギの面ともわからない男が現れて、お嬢さんをボクに下さいときたもんだ」
 ボクはぽりぽりと頭を掻いた。
「あの……お父様、さっき『ウサギの面』と仰いましたが、ふつう『馬の骨』じゃないですかね?」
「君の顔がウサギにそっくりだから間違えたんじゃ!」
「すみません。でも、娘さんを思う気持ちだけは本物なんです」
「本物のウサギかね?」
「……え、ウサギ? いや、気持ちがウサギとか聞いたことが……」
「本物のウサギかと聞いているんじゃ!」
 この年寄りは少し頭がいかれているのか。まあいい。こんなところで争ったところで意味がない。大事なのは、量子をいただくことだ。
「ウサギです、はい、ええ。ボクの気持ちは本物のウサギです」
「ウサギに量子はやれん!」
 おいおい、今のは誘導尋問だろう。あなたが本物のウサギかと問うからウサギですと乗ったのに。何て言い草だ。とんでもない父親に当たってしまった。量子をもらいたい気持ちはあるが、この父親は厄介すぎる。話が通じない。
「だいたい、君ずいぶんさっきから馴れ馴れしいじゃないかね?」
「そ、そうですか?」
「馴れ馴れしいね。『お父様』なんて」
「では、何とお呼びすれば……」
「おじいさんだろ? どう見ても、初対面のおじいさんだよ、私は!」
「それでよかったんですか! 量子さんがパパと呼んでいたのでつい……」
「だが、君の父親でもなければ、量子の父親でも祖父でも何でもないんじゃ」
「え……今何と?」
 耳を疑った。量子の父親でも祖父でも何でもないと目の前の老人は言ったのだ。
「私は量子とは赤の他人じゃ」
「……どういうことでしょうか?」
「かれこれ二十年くらい前になるかな。仕事もなくデパートの屋上をぶらぶらとしていた時に、とてもかわいい女の子が屋上を飛び跳ねておってな。その、物の弾みで、攫ってしまったんじゃ」
「おじいさん、ずいぶん大胆な告白をしましたよ、あなたは……」
「だって、かわいかったから」
「ダメでしょう、そんなことしたら。犯罪ですよ?」
「まあそんな片栗粉みたいなこと言わんでもらいたい」
「片栗粉みたいなことは言ってないですよ。かたい事言ったつもりもないですし。あれ……そう言えば、量子さんはどこにいるんですか?」
 ついさっきまでボクの隣に座っていたはずなのに、ちょっと目を離した隙にどこかへ消えてしまった。まったく、あの子は油断も隙もあったもんじゃない。
「量子なら、部屋をきれいにしておるよ。ほれ、君の頭の上じゃ」
 老人は天井を指さした。見れば、量子は天井にへばりついてにゅるにゅると電球にへばりついた埃を舐めて取っているところだった。
「おじいさん、あなたはボクよりも目がいいようですね」
「なに、野山にまじって竹をとり、よろずのことに使ってきたから、目が肥えておるだけのことじゃ」
 まさか、とボクは思った。目の前にいるのは、もしや噂に聞きしあの人物か。彼にこうして直接出会うことができる日がこようとは。
「と、とにかく、量子さんをボクにください!」
 ダメとは知りつつ、ボクはもう一度頭を下げた。
「君もしつこいのう。一人くらい諦めたらいいのに」
 そうはいくか。一人だって逃せば、ひどい大目玉を食らうことになるのだから。そう答えかけて、待てよ、と思った。一人くらいだって? どうやら、老人はすでにこちらの正体を見抜いているようだ。ただプロポーズをしにきた若者だとは思っていないわけだ。
「おじいさん、もしかして、もう気づいてます?」
「当然じゃ」
「……いつから?」
「この部屋へ入ってきたときからじゃよ。『お邪魔します』と言いながら、靴を耳にかけて入ってきた。それはどこの風習じゃ?」
「こ、この国の風習じゃないですか。玄関で靴を脱ぐ。土足で上がらない。礼儀正しいでしょ?」
 ボクの何がいけなかったのだろう? 研究に研究を重ねて、この国の風習を覚えたのに。
「この国の人間は、たしかに靴を脱ぐ。だが、盲点じゃったな。この国の人間は、靴を耳にかけるなんてことはしないんじゃよ。だいたい、靴をかけられるほど耳が丈夫でもないし大きくもない。それだけじゃないぞ。さっき私は『どこのウサギの面ともわからぬ』と言った。それと言うのも、君の顔がとても人間には見えないからじゃ。君の顔は、それはまるっきりウサギじゃないか。『鳥獣戯画』でも参考にしたんじゃないのか?」
 図星だった。この国の古い絵画から容姿を学ぼうとして、最初に見たのが『鳥獣戯画』だった。だから、これでいいのだと思い込んでしまったのだ。勉強不足だった。 
「バレてしまっては仕方ありませんね。しかし量子さんはいただいていきますよ」
「そうはいくものか」
 おじいさんは、斧を振りかざした。
「物騒ですよ。そんなもので、量子さんを奪われまいとしているのですか? ちゃんちゃらおかしいです。あ、このちゃんちゃらおかしいという時の、『ちゃんちゃら』というのは、月にあるお菓子のことです。かつて、かぐやという姫君をこの星から連れ去るときに、置き土産でちゃんちゃらを渡したのですが、こんなお菓子一つでかぐやをくれてやったかと思うと、情けないやら笑ってしまうやらで自虐的な気持ちになった竹取の翁なる人物が、『ちゃんちゃらおかしい』と言ったのが始まりなのだとか。竹取の翁──そう、あなたのことですね?」
 竹取の翁が、まさか現代にまで生きながらえていたとは思わなかった。量子はどこにでも現れる。この星に無数に散っているからだ。その量子たちを一人でも多く月へ連れ帰ることこそがボクたちの使命なのだ。そして、それを阻む最大の敵こそが、時代を超えて幾度も我々の前に立ちはだかる竹取の翁。伝説のこの人物に、とうとうボクも出会うことができたわけだ。
「この量子だけはやらん!」
「おじいさん……あなたはこれまで何千何万回とそんなことを言いながら、結局のところ奪われてきたのです。諦めましょう」
 現代の竹取の翁は、取るべき竹が減ってきたせいでデパートの屋上でぼんやりしているよりほかなかったのだろう。そうして、デパートの屋上で光の速度で駆け回る量子に出逢った。光の量子たちが、その命を高速で燃やす様を、この星の老人たちはあたかも己の生命の光であるかのごとく大事にしてしまうようだ。だが、この竹取の翁はその中でも例外的に長生きしている。まるで長生きするために量子をかしずいているかのようだ。
「諦めてください。外を見てください。お迎えが来ました」
 窓の外には、光が満ちてきた。よりによってクリスマス・イヴにこんなド派手な登場の仕方をしてしまっては、多くの人はサンタクロースの登場と勘違いしていることだろう。これは月の使者なのだが。
 窓の外を見た。階下にパジャマ姿の子どもたちが集まってきている。
「サンタクロースだぁ!」
 厄介なことになった。子どもという生き物はおしゃべりだと聞く。月の住人の存在がバレてしまえば、月の王にどんなお仕置きをされるかわからない。考え込んでいると、そんなボクの様子を見抜いたのか、翁が言った。
「いい手がある。おまえたちに量子をやる。その代わり、私も連れて行け」
「な……何ですって?」
 前代未聞だ。かつて幾度となく我々は人間の手から量子を奪ってきた。だが、この竹取の翁は一緒に自分もついてくるという。
「ダメです。メリットがありません」
「メリットなら、ある」
 翁は、押し入れから何やら服をがさごそと探し始めた。そうして、一そろいの服を取り出した。赤と白のかなりけばけばしい衣装。この星で、サンタクロースと呼ばれる者が着ているそれだった。
「白髭を蓄えたこの私なら、サンタクロースだと、外の子どもたちを信じさせることができる」
「むう……たしかに……」
 ボクたちはしばらくにらみ合った。月の王に報告したら怒られやしまいか。だが、このまま立ち往生して、月の住人の存在が地球人たちに知れ渡ることのほうが叱られるか。それならいっそ、一生量子の世話をしてくれる者だとでも言って翁を連れ去ったほうが得策かもしれない。何より、今後、量子たちを保護して我々に立ちはだかる最大の敵を手懐けられるのだ。
「いいでしょう。いや、感動しました。それほどまでに血も通わぬ量子を大事に思っておられるとは」
 すると、翁は早速サンタクロースのコスチュームに袖を通しながら不敵な笑みを浮かべた。
「勘違いするなよ、若いの。私はな、君たちの星の、ちゃんちゃらをたらふく食べたいだけよ。あれはまことに美味なお菓子よのう」
「なるほど……。気に入っていただけたようで何より。たらふく用意します」
 量子はこうしてボクらが交渉している間も、光の速度で部屋の中を駆け回っている。窓の外では、子どもたちが何やら歌を歌い始めた。クリスマスの歌なのだろう。
「では、行きましょう。サンタのコスチュームが意味を成すうちに」
 量子ひとり回収成功。この星の「聖夜」とやらの幸運の女神が、月の使者にも微笑んでくれたようだ。ボクは飛び回る量子を抱きかかえると、サンタクロースとなった竹取の翁とともに、窓の外の光の船に乗り込んだ。
 竹取の翁は、階下の子どもたちに手を振って何かをはらはらと投げた。竹トンボと呼ばれる玩具のようだった。翁は叫んだ。
「メリークリスマス!」

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