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le conte 聖夜の密室劇 第二夜「サンタはここに」

 その夜、俺はわけあってサンタクロースの恰好で夜道を歩いていた。12月24日。少しも違和感のない恰好ではある。違和感がなさすぎて、少しばかり頭がどうかなりそうなくらいに。もちろん、趣味でこんなコスチュームをしているわけじゃない。甥っ子のぎりぎり起きている時間に行って、サンタクロースを演じる約束をしていたからだった。
「いやあ困っちゃってさぁ」
 先週、偶然駅前で会った兄はそう言って頭を掻いたものだった。
「何、お金? 貸せないよ」
「馬鹿野郎、金なんかいらないよ」
「じゃあ何だよ」
「サンタクロースだよ」
「え?」
「いや、隆俊がな、小学校の友だちに『サンタクロースはお父さんがやってる』って吹き込まれたらしくって、疑ってるんだよ」
「へぇ。隆俊、小1だっけ? もういいんじゃないの? バレても」
「馬鹿野郎。中学三年までは絶対サンタ信じたままで行かせる!」
「何のために?」
「そういうもんだろ。おまえいくつまで信じてた?」
「俺? ……五歳」
「早いな」
「兄貴が種明かししたんだよ。ご丁寧に親がプレゼント隠してる場所まで案内して」
「そうだっけ?」
 とまあ、そんなやりとりがあって、俺は断ろうとしたんだけれども、最終的には兄貴に泣きつかれてしまった。それで、いま、こんな夜道でサンタのコス着て白髭つけて夜道を歩いているわけだ。
 どうにか無事に兄貴一家の暮らすマンションに着いて、エレベータに乗ったまではよかった。兄貴一家は五階に住んでいる。俺は五のボタンを押して、扉を閉じようとした。すると、そこに会社帰りらしい女性が乗り込んできた。俺は咄嗟に開くボタンを押した。女は乗り込んですぐに四階のボタンを押し、振り返って改めて背後のサンタクロースに気づいたようだった。
 問題はここから。
「え、嘘……サンタクロース……さん、ですよね?」
 この恰好で違うとも言えないが、そうだともいえない。
「はあ、まあ、あの……」
 もごもごと言っていると、どういうわけか女に抱きつかれてしまった。
「ずっと会いたかったの! 子どもの頃、一度も私のところに来てくれなかったでしょ? あれってどうしてなのかなって気になってて。どうしてなの?」
「どうして……だったかな……」
 何だ、何なんだ、この女は。意味がわからない。まさかその年齢で本気でサンタを信じているのか?
「理由はあるはずよ」
「いや、まあ忙しかったから」
 わずかに女の口からアルコールの匂いがする。
「でもいい子のもとには必ず来るって言っていたわ」
 女は少し酔っているみたいだった。ろれつが回っていない。タチの悪い酔っ払いだ。こっちが本物のサンタクロースじゃないことは百も承知なうえで絡んでいるのだろう。面倒くさいことこの上ない。こういう女は自分の事情で世界が回っていると思っているから、当然こっちのスケジュールなんてお構いなしに行動する。案の定、女は俺をお茶に誘ってきた。
「まあちょっと家でしゃべっていってよ」
「いやちょっとまだ仕事中なので」
「仕事? 何よ、仕事って」
「今日、イヴだから」
「だから何よ?」
「子どもたちにプレゼント配るのがサンタの仕事でしょ?」
「だったら、まず、二十年前に子どもだった私への義理を果たしなさいよ!」
「いやいや、落ち着いてくださいよ……もうあなた大人でしょ?」
「かつては子どもよ」
「人間、あきらめが肝心ですよ。俺なんか五歳でサンタクロースがいないって悟りましたよ」
「なんでサンタクロースがサンタはいないって悟ってるのよ。鏡を見なさいよ。ここにいるでしょうが、サンタは」
「いや、これは……」
 つけ髭は丁寧にテープで固定してある。いま外せば、また時間をかけて元通りにしなければならない。そんなことをしている間に、隆俊は寝てしまうかもしれない。
「そう、俺がサンタなんです。年齢は二十四歳。つまり、俺が生まれる前にはサンタクロースはいるわけがない。あなたのところにサンタが現れなかったのもそういうわけです」
 どうにかうまく説明できたぞ、と思ったが、女はこちらを睨んでいた。
「……ちょっと待ってよ。あなた今、暗に私が二十四歳より上だって決めつけたわね?」
「え……」
 女の年齢は、たしかに二十代後半くらいに見えた。少なくとも、前半ではない。
「傷ついたわぁ……ひどい……人権侵害よ」
「人権侵害?」
「サンタクロースが人権を侵害するなんてアリなの? もうこれは裁判モノよ。訴えてやるから」
「いや、落ち着いてください。傷つけたのなら謝ります」
 っていうか実際に年上なんだろ、という言葉が口から飛び出そうになるのを必死で抑えた。
「何でも私の言うこと聞くんなら、許してあげる」
 その時、エレベータが四階で止まった。女は半歩外に出ながら、俺の服の裾をしっかりと握っていた。
「いや、それは……何でもっていうのは……」
「私の娘、いまベッドで眠ってサンタがくるの待ってるの」
「そうですか」
「私がサンタだってうすうす感づいてるんだけどね」
「はあ、まあよくある話です」
 俺もそうだったよ、という話は長くなるからしないことにした。
「でもここに本物のサンタクロースがいた。天の助けよ。ねえ、そう思わない?」
「いやでも……」
「まさか、私の娘まで無視するつもりなの?」
「そういうわけじゃ……」
「そういうわけでしょ? 忙しいからって、私の娘を割愛する気なのよねぇ」
「プレゼントの用意が今夜はないので。後で準備してから行きますよ」
 適当なことを言って逃げればいいのだ。どうせ二度と会うこともなかろう。
「そんなのいいわよ。私が用意してるから。あなたはそれを渡すだけでいいの」
 ううむ。これはどうやら逃げられそうにない。俺は腹をくくることにした。
「……五秒なら」
「もちろん。五秒でいいわよ。ありがとう! 本当にサンタクロースって素敵!」
 女は俺をエレベータから引きずり下ろした。
 やれやれ。とんだことになった。
だが、こんな自分勝手な女でも、自分の子どもはかわいいのだろう。その気持ちはわかる。俺にだって子どもはいる。この街のどこかに、いるはずだ。
 彼女は俺に父親になってほしくないらしく、「子どもは生むけど気にしないで。私のことを探したりしたら殺すから」とだけ言って出て行ってしまった。
 時折、街で赤ん坊を見かけると、俺は自分と血のつながった子どものことを考えてしまう。
 兄貴の依頼を断れなかったのも、そうした背景があった。
 女の部屋は401号室だった。彼女はしーと俺に指で合図した。俺は足音を立てないように女の後につき従った。
 女はドアのカギを開け、俺を中へと誘った。
「……プレゼントを枕元に置いてくればいいんですか?」
 押し殺した声で尋ねると、さらに押し殺した声で女が答えた。
「そう。それだけでいいの」
「眠ってたら起こしますか?」
「起こさなくていいわ。あの子、口下手だから、どうせサンタと遭遇してもしゃべれない。それに眠ったふりがうまいの。だから、眠ったふりして何もかも見ているはずよ」
「そうですか……で、プレゼントは何を渡せばいいんです?」
「ちょっと待ってね」
 彼女は暗い廊下を忍び足で進んでいく。それから、台所らしい場所から何かを取り出してきた。それは新聞紙に包まれていた。ずいぶん粗末なプレゼントではある。
「これですか?」
「前から欲しがってたやつなの」
「これを、枕元に置けばいいんですね?」
「そうそう。部屋はそのトイレの向かいよ」
俺は彼女が指で示したドアの前に立った。廊下の電気をつけないままだから、やけに室内は見えづらい。だが、このドアの向こうで、サンタクロースを今か今かと待っている子どもがいるのだ。母親は妙な女だが、子どもに罪はない。
 俺はドアノブを音がしないように気をつけて回して中に入った。子どもはベッドで、こちらを頭にして寝ているようだ。そのことが、わずかな輪郭から伺い知れた。室内は豆電球さえもついていないから、よほど気をつけて歩かないと……。
「はやく行って」
 女が廊下から俺を急かした。俺は頷きながら前進する。枕元にそっと新聞で包まれたプレゼントを置いた。女の子はこの瞬間も寝たふりをして俺を見ているのかも知れない。だからなるべくサンタクロースらしくゆったりとした仕草を心がけ、少しだけ布団の上から撫でてあげた。きっとこれでいい思い出になる。
 それからまた足音を忍ばせて部屋を出た。
「終わりました」
「ご苦労様。サンタクロースって最高ね」
 女がふつうの声で言うので、俺のほうが気を使ってシーッと指を立てた。
「お役に立てて何よりです。これで帳消しですか?」
「いいわよ。許す」
 よかった。とくに俺が何かしたわけじゃないけど、まあとにかくよかった。
俺たちは一緒に玄関に向かった。別れ際、女は俺の頬にキスをした。そして、ウィンクをしながらこう言った。
「メリークリスマス、サンタさん。今夜あなたは、私に特大のプレゼントをくれたわ。もう子どものときのこと、恨まない」
「……メリークリスマス」
 ドアを開けて外に出ると、ホッとしたのと同時に何とも言えぬ満足感が漂っていた。まるで自分が本当にサンタクロースになったみたいだった。お陰で、そのあとの隆俊の前でも見事にサンタクロースを演じることができた。
 兄貴の家のトイレで衣装を取り、ふつうの服装に戻って帰る時、偶然にもエントランスでまた例の女に出逢った。さっきはあんな勢いで来たから常軌を逸した酔っ払いに見えたが、案外子煩悩な母親だったようだし、最後にはすごく感謝もされ、なかなかいい人助けをしたみたいだ。何だか俺は気分がよかった。頬にもらったキスのせいも少しはあるのかも知れない。女が少しばかり美人に見えたりもした。
俺は素知らぬ顔で女に「こんばんは」とあいさつをした。
 だが、女はなぜか妙にびくついて俺の顔をぎょっと見返し、そそくさと行ってしまった。変質者とでも思われたのだろう。夜道を駅と反対の方向へ行く女を見送りながら、駅へと向かった。まあいいや。そんなものさ。べつに運命的な出会いを求めていたわけじゃない。俺は自分に言い聞かせると、「ジングルベル」を口ずさみながら家路を急いだ。自分用に買っておいた赤ワインを飲むために。
 
 その翌日のことだ。俺は昨夜のワインの残りをソファで飲みながら、何気なく観ていたテレビで、兄貴のマンションの401号室で一人暮らしをしていた会社員の女性が睡眠中にナイフで殺害されたことを知った。見たことのない女だった。
 俺は思わず呻いた。ちょっと待てよ。俺を401号室に案内したあの女は誰だったんだよ……。しかも一人暮らしだって? 俺がプレゼントを置いた娘は何だったんだ? アナウンサーは言った。「枕元には凶器と思われる包丁が新聞紙で包まれており、その新聞紙には手袋の素材なのか赤い繊維が付着していたとのことで、警察はエントランス部に設置された監視カメラがとらえたサンタクロース姿の男性が怪しいとみて現在捜査を進めています」
 俺は女の言葉を思い出した。
 ──今夜あなたは、私に特大のプレゼントをくれたわ。
 インターホンの音が、室内に響いた。ワイングラスをもった手がわずかに震えた。サンタクロースの衣装は、誇らしげに、玄関の脇に飾られている。あたかも、さあ逮捕してくださいと言わんばかりに。
 それから、ふと思った。
 サンタクロースはここにいたよ。それはおまえだ。おまえはサンタクロースとして警察に連行されるよ。そう伝えたら、幼い頃の俺は信じただろうか?

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