親世代より貧しくなることは高校生のときに気づいた

団塊世代の親を持つ氷河期世代

私は1979年生まれで、両親は1945年前後の生まれだ。

両親は戦中戦後に生まれ貧しい日本で育ったが、高度成長と社会保障の恩恵を受け、豊かな中流階級の家族を形成することが出来た。
どちらも当時の高等教育を受け、一軒家で会社員(途中まで経営者)と専業主婦(パート勤務有)として暮し、姉と私を大学まで出した。

私が小学校の時にバブル崩壊し、中学校入学のころから不況と言われるようになった。ミクロの視点で言えば、我が家もその煽りをくらう。高校生になった95年以降は本格的にリストラや倒産が始まった。
あらゆる不祥事が日の目を見た頃で、大蔵省・社会保険庁・外務省の汚職が連日報道されていた。安室奈美恵が大流行し、女子高生ブームが起きて一部の女の子たちは売春をしていた。

もう日本は終わり、という文句がおじさん週刊誌やテレビ番組で踊っていたので、十代の私はそれを毎日目にしていた。
毎朝通学のために通勤ラッシュでもみくちゃに成りながら、扇情的な言葉が大文字で書かれた吊り広告を見て、絶望的な気持ちになった。
『おいおい、私これから大学行って働くんだけど、その前に日本終わるんかい』

私は、自分たちに親世代の繁栄はやってこないと直感的に分かった。

両親世代が豊かな生活を手に入れられたのは、高度成長期のお陰で、そしてそれはもう来ない。社会の仕組みや法律が大幅に変化しない限り、両親世代のライフスタイルをなぞっても恩恵は無い。むしろ損するようになる。

大企業のサラリーマンになること、
大企業のサラリーマンの妻になり子供を2人持つこと。
そのどちらの選択肢も、高校生の時に除外した。

私に何かビジョンがあった訳では無い。それどころか途方に暮れていただけだ。

90年代に多くの秀作を出した村上龍は当時「日本の近代化は終わった」と何度もエッセイで言及しており、女子高生だった私は興味深く読んだ。(女子高生ブームに対する彼の私見も非常に鋭く本質的な考察だった)

私の子供になる人はもっと貧しくなる


私が親より貧しくなれば、私の子供は私より貧しくなる。
そんなに簡単に子供は産めないと同時に感じた。

「このまま彼氏と結婚して早く子供を産みたい」とギャルの女の子達が言うのが信じられなかった。どうするとそんな希望が持てるのだろうと思っていた。

40代半ばを迎え周りを見ると、
比較的成績のよかった同級生の女性たちは子供を産んでいないことが多い。仕事優先ということもあるが、もっと根源的な理由がある。

安心感や楽観性が無いと子供は産めない。
「まあ産んでもなんとかなるよね」という気持ちになれないのだ。その要因は自分や配偶者の所得だけではない。あらゆる問題が先送りにされる社会で、富を食い潰して逃げ切ろうとする年寄りがいて、次世代へ投資などほとんどしない。そこで子供を育てたい女性がいるだろうか。

私は適齢期を過ぎそのまま子無しになったが全く後悔はしていない。
むしろ自分の子供が食い物にされる心配がなくなってほっとしている。

世代間鍋の話

団塊世代から、氷河期世代、その後の若い世代の富の分配を考えると、
私はあるイメージが浮かんでくる。

みんなで鍋を回しているストーリーだ。

団塊世代のおじさんたちは肉がたっぷり入った鍋を突いている。
しかし私たちには全く残してくれない。
しょうがないので野菜しか入っていない鍋を氷河期世代が突く。
ここで男子たちの器には肉が少しだけ入ってくることに気づく。
しかしよく見ると肉片程度なので全く羨ましくない。
次世代には具の無い鍋しか回らない。でも彼らはそれでも有り難がってくれる。おじさん達が肉を突いてる姿を見ていないからだ。

そして若い人の一部はもう鍋を欲しがらない。自分で畑を始めたり鶏を飼ったりしている。彼らは直感的に具の無い鍋を突くより自給した方が早くて旨くて楽しくて自由だと気づいている。

若い人の直感はいつの時代も正しい。そこに敬意を持っていたいと思う。




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