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戸田・見廻り隊3(富士山)

荒川河川敷から富士山の夕暮れ。

 千葉信胤の居城があった志村坂上から中山道を下ると、江戸時代まで「戸田郷」と呼ばれた戸田領に入る。現在の北区から荒川を隔てた戸田市、蕨市、川口市は「戸田郷」の一つに過ぎなかった。
 両総平氏が多く集まる九十九の里の中に「武蔵七党の一族に戸田氏あり」と云われた戸田兵衛の尉茂平の子孫が点在する。戸田氏は千葉一族と同じ連翹紋を持っています。
連翹を詠んだ正岡子規の句、
「連翹に似て非なる木の花黄なり」・明治35年
富士山を詠んだ歌、
「折々は不二の根颪(ねおろし)雪を吹きて春まだ寒し武蔵野の原」
「一富士二鷹事を成す」 荒川から見る富士山が好きだった子規さんは、富士山が見えた田端の大龍寺に眠っています。

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