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なぜ悩むのか

私は勤務している会社でキャリアカウンセラーとして
日々職員の仕事上の悩み事に耳を傾けております。

時々仕事の中でこんな疑問が浮かんできます。
「なぜ人は悩むのか。」
私はその答えを知りませんし、
そもそも答えなんてないのかも知れません。
でも、そんなことを考えている中で
次の聖書の一節に目がとまりました。

"さて、イエスは通りすがりに、生まれたときから目の見えない人をご覧になった。弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。"
ヨハネの福音書 9章1~3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ここにある弟子たちの考え方は
私たち日本人にはなじみのあるものの様な気がします。
要するに仏教の教えにある「因果応報」ですよね。
このような世界観は私たちの生活に浸透しています。
「バチが当たった」なんてよく言いますよね。

私の所に相談に来られる人の中にも、
「今私がこんな事になっているのは、
 私が何かを失敗してしまったからなのではないか。」
と考えている人が多いように感じます。

でもイエス様はそうは言っておられないのです。
「この人が盲目なのにはちゃんと意味があるんだよ。」
と仰せられます。

私も、人が悩みを解決して行く過程でその人が、
悩みのなかった頃の元の姿に戻るのではなく、
反対に大きく成長していくのを目にすることがよくあります。
人は悩みを通じて成長していくのですね。
 
「あなたが今悩んでいるのは、
あなたが失敗したからでも、
バチが当たったからでもなく、
悩む事そのものに大切な意味があるんだよ。」
 
もしかしたらイエス様は
悩みの中にいらっしゃるおひとりおひとりに
こう語りかけられているのかも知れません。

みなさまに主イエスからの豊かな祝福がありますように。

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