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海水の塩分濃度は3.4%


収束

 海水の塩分濃度は3.4%らしい。結果3.4%に収束している。いろいろあっただろうし、いろいろ起き続けているにも関わらずである。
この広い範囲でだいたい似たり寄ったりの値に見えるのは、当たり前なのかそれとも自分の目が大雑把なのか。そんなに興味ないからが一番合っているかもしれない。

I/PとO/P

 インプット(I/P)は日々山ほど溢れている。希望しなくても勝手に手元に届く。
しかし、アウトプット(O/P)はそれほどでも無い。SNSで不器用っぷりを発揮しているうえに、仕事でコミュニケーションのパワーを使い果たしており仕事以外でグダグダなので、尚更である。
I/P過多で何かを出力したい衝動に駆られる(そこにロジカルな理由が見当たらない)が、何を出力したいのかも解らない。中二病か?(何倍だよ?)
ただ、書き続ければどこかに収束するかもしれない。

仕事の話

 工場の生産管理専門のSEになってそれなりの期間が経っている。
最初からそんなマニアックな分野に特化しようとしてない。
ただただ、仕事を続けてきたらそういう方向に収束していっただけだ。アンケートに記載するレベルの職業欄に変更は無いが、SEという職種は多岐であり、数ある分野の中から特定分野、役割が徐々に決まってきた。「滲んでいたボケた色のシミ」が「濃い黒の点」になったようなものだ。
 若手を教育する機会がたまにある。I/Pが少ない=頭に思い描く選択肢が少ない。個が尊重される世の中だが、その個をどこまで優先するのか温度感はわからない。そもそも、尊重と優先は違うのでは?とも思う。
結局若手には「今は限定的にならずにI/Pを増やすこと」と教育している。ジョブ型志向の若手は他社で見たことがあるが、弊社ではそういう募集をしていないので、重きを置く話ではないはず。
 収束=専門職と定義した場合、自分は望んで専門職を得たのではなく、日々の積み重ねによって気が付いたら専門職だった。
「頑張れば届く目標」とかそういう高尚なこととは無縁で、次にやりたいことがあるだけだ。そう言えば昔は手当たり次第に目の前にあるものを力づくで捌いていただけだったと記憶している。この点において、今と昔は異なる。
 SEのレベルは日進月歩だが、大昔からのSE単価を変えない顧客は存在する。
雇われ側なので顧客事情は知ったこっちゃない(営業情報として知ってはいる)が、高い単価を素直に優先するし、相応の技術力を習得し続ける。

海水的視点

 上記のようなことは、「海水的視点」では、ただ普通に時勢に飲まれている程度のことだろう。ヒト1人の動静、ましてや凡人など、微々の微にも達しない。かつ自然な発想であれば、そこに向かうことになんの無理があろうか。
そうであれば、柵(しがらみ)だとか制限と感じているものだとか、些末でどうでも良くて、自由で良い。
それを通す手続きは必要であるが、実はインパクトがあるものでは無い。
従って、自己にコントロールを置いたところで、他者にとっては小さいことで、自己の能力を一点集中型にしても、他に影響及ぼすことなく自己を高めることになる。
海水と自己を比較して論じることに無理は感じる。
しかし、自己が極小であるからこそ自己は自由である。よく考えた結果ならば、そう大きく誤ることはない。

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