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【夫婦関係】またも離婚が脳裏によぎっている

納得してやめたはずだった。私が我慢すればいいんだと。なのに、またよぎってきているのだ。「離婚」という文字が。

久々の愛車との再会

夫とは単身赴任で離れて暮らしている。その赴任先が、最近、変わった。彼はまたも転勤することになったのだった。引越し代だの、家具等の新調代だののやりとりをしていると、ふと夫が、新しいところでは使わないからとバイク(原付)を私の方へと送ったと伝えた。

この原付は、もともとは私が使うつもりで買ったものだった。以前転勤となった際に、夫が使いたいと言ったので、こちらは車を使っているわけだし譲ったのだ。

その原付が、届いた。

ボロボロの姿

そして私はその原付のあまりにもひどい姿に、愕然とした。埃はかぶり、シートははげてめくれあがり、エンジン他もろもろが故障しているという。私が愛用していた原付の面影はまったくない。乗っていて壊れたのではない。壊れたまま何年も放置され風化して、ボロボロになっていた。

故障をしていることは知っていた。「修理をする」と夫は言っていた。「金があまりにもかかるので、まだ(小遣いでは)できない」とも言っていた。そりゃそーだ。これなら相当額かかるだろう。「お金送るから修理してほしい」とも伝えたし「使わないなら保険がもったいないから返して」とも何度もお願いした。「修理するから」「使う使う」と彼はそのお願いを払いのけていた、毎回。あまりにも修理をしないので「こちらに送るのが手間ならそちらで廃車にして」とも言った。でも「使うって」と言っていた。

その有様が、これか。

マンションの駐輪場へ移動させながら、なぜか私は涙が出そうになった。

いらなくなったら、こういう扱いで平気なんだ。

「モノの扱いは女の扱いと同じ」とはよく言ったもので、私は彼に大事にされない自分の未来を、10年越しに対面した愛車に見た気がした。

「忙しいから」「気分じゃないから」は、何もセックスだけではなかった。私も原付も、「いつかはいるかもしれない」と思いながら放置するんだろう。ボロボロになりながら、この原付はずっと駐輪場で待っていたのだ、出番を。「修理したら直る」わけがない。不可逆だ。家も住まないと悪くなると聞くが、この原付も直せたとしてもせめて現状維持、寿命が来るのはすぐだろう。

見ないところに追いやり、だましだまし向き合うことを避ける。
夫は、「不要」を切り出せないだけなのだ。
いつでも、きっと、私のことも捨てれるわけだ。

「いつかいる」のいつかはこない。断捨離の決まり文句だ。私はきっとこの「いつか組」なんだろうな。だから、離婚しても結婚してても「どっちでもいい」んだろう。なーんだ。単に「要」と「不要」の境がわからないポンコツなんじゃないか。

初めての嫌悪感

実はたまらず夫にLINEをした。これはなんだ?と。ひどすぎるだろうと。なんでこうなる前に返してくれなかったのだと。

既読になったけど返事はなかった。

しばらく経って「家の裏が火事になった。消防車がきてる」となんのつながりもない近況報告がきた。

ああ、私、この人無理だ。抱えきれない。そう思いながら、未読のままでいまだに愕然としている。

人として合わないとは思っていたけれど、人として嫌悪するとは思っていなかった。正直、嫌悪感をここまで持ってしまった自分すら信じられないのだ。

謝罪がないことを見ると、彼には罪悪感のかけらもない。「修理しようと思っていたら転勤になった」のだからしょうがないとでもいうんだろう。でもなぜか私はもう、その言い訳も聞けないくらい夫が受け入れらなくなっている。このLINEも、きっと火事話に私が乗ることで怒り度合を計るつもりなのだろう。そんなでもないよねと彼は安堵したいんだと思う。

怒る?怒りなんてまったくないよ。こんなになるまで放置できしまえる美的感覚だということがショックで、悲しい。「ものは大事にしようね」と子育てを頑張ってきたのに、父親がこうなのもしんどい。何より、私は自分の末路にしか思えないのだ。バイクと妻は違う。だけど、今までの私の扱いとどうしてもかぶってしまうのだ。

蓋をしてしまってたのは私なんだ。
離婚をしないと決めたときから、彼へのモヤモヤや雑に扱われていることなんかは全部、見ないようにした。暗いものを飲み込みながら、その場をしのいで、仕事に邁進して子どもと楽しく過ごすことに全力を尽くした。

そう、私は今日、令和5年2月20日、自分にそっくりな原付を見たのだった。



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