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3年前に家庭崩壊した話

※この記事はミミック(設定上性別不詳)の性別に関する話と、少々センシティブな内容が含まれていますのでご注意ください。責任は負えません

【はじめに】

ミミックです。

マジでとんでもないタイトルなんですが内容も勿論とんでもないです。
先日ツイートでもほんの少し話しましたが、今日8月8日は僕にとって人生が大きく変わった日なんです。
家庭崩壊する以前より僕の家には膨大な問題はあったので『人生が大きく変わった』というか『人生の歯車が狂った』と言った方が適切だとは思いますが…いうてまだ20年しか生きてないですけど。

なぜこんな記事を書いているかというと、大人になったしそろそろ過去と改めて向き合う必要があるなと考えたのと、夏休みに入りこのご時世なので成人式は参加しないとしても成人式の前撮り(ちゃんとした格好してちゃんとしたとこで写真撮るやつ)をするにあたって家庭崩壊して離婚した家族が諸事情により関わってくるのですが、個人的に前の家族と濃密に関わるのはきっとこれっきりなので踏ん切りをつけたく20になったらこのマッドな記事を書こうと1年前から決めていたからです。

他にも理由はありますが多分後述するので今はいいです(投げやり)

僕よりも悲惨な家庭は沢山あると存じます、その辺の変な人間の身の上話でありますので適当に流してください。

稚拙な文章になりますが自分語りさせてくれ

【家庭の状況】

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文章で説明するの面倒くさくて図を用意しました。
僕の本当の父親は1の男なのですが、母が僕を産んですぐ離婚したため苗字以外何も知らず、母に聞いても槇原敬之に似てるの一言で切り捨てられます。元々特別なオンリーワンなんか?

兄弟は母親は皆同じなのですが父親が違って(所謂種違い)、家庭崩壊した際の父親は3の父親の時です。3の父親と血が繋がっている弟は結婚して同棲を始め5年後に生まれますが、僕は10年間同棲していました。

2の父親とは諸事情により同棲しておらず、僕にとっては血が繋がっていないとしても3の父親(以下前父とする)はただ一人の父親でした。

弟が産まれるまでは僕と妹は連れ子とはいえ前父含め父方の家族には温かく接してくれていましたが、弟が産まれてから前父の態度が徐々に変わっていったのです。

『両親が後に産まれた弟妹につきっきりで上の子が嫉妬する』

僕は妹がいるので経験済みですし年頃の子供だったので然程問題は無いと踏んでいたのですが、前父は弟に異様なまでの愛情を注ぎ、僕や妹の教育費は出さず弟のおもちゃ代に月5万費やすまでに至ったり、弟と二人で出掛けたり、自分と弟の分だけのアイスを買ってきたりなど小さなことから大きなことまで贔屓を重ねていきました。


【で、なんで家庭崩壊した?】


まず一番の被害者は間違いなく僕です。
そして加害者は父親です。これも間違いなく。

面倒くさいんで先に言っちゃいますけど
一番決め手となった原因は軽度の性的暴力です。
僕の性別に関しては勝手に想像してください。


始まりは2017年1月上旬でした。
当時は某イカのゲームがかなり流行っていたので夜な夜なオールして友達と通話しながら僕は誰もいないリビングでワーワー遊んでいました。

前父は電気工事士で午前5時には家を出るような生活を送っていたので休日でも早起きだったため、一階のリビングに降りてくる音が聞こえてきて僕は「(こんな時間まで起きてたら怒られる!!)」と思い、丁度通話も終わったので寝たフリをしたのです。

僕に気付いて近付いてくる前父。寝てるかどうかを確認しにきたらしい。
いつもだったらなんだ寝てるのかで毎回済ましてくれたのに

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ゑ?

えっ?

えっ⁉⁉⁉


あまりにも突然過ぎて3秒くらい頭が働きませんでした。完全に触られたといいますか揉まれたといいますか、とにかくその事実が受け入れられず
「何触ってんだよ‼」とも起き上がって声を張れませんでした。

恐怖。
それ以外に感情は無く、僕はそのまま動けずじまいでした。
二揉みくらいして(きも)洗面台に行った前父を確認した後に、物音で起きたフリをして起き上がって二階に行こうとしたら平然と「あ、起きたんだ」と言われ「うん」と震えた声で会釈して二階にいる母親に相談しました。

母親ならどうにかしてくれると高を括っていた僕は「父に生で胸を揉まれた」と相談するも、

「当たっちゃっただけじゃないの?」
「一応言ってみるけど寝ぼけてただけじゃないの?」
「あんたなんかに気ぃあるわけないわよ」

等言われ、意識は完全にあった筈なのに納得のいかないまま話は終わり、話をされた前父も「寝ぼけてただけだよ」と言っていたらしく僕も少し眠かったし、そうなのかな?と思いながら時は過ぎました。(絶対触ってたけどな許さねえ)


2017年6月、また事件は起きたのだ。

何故か母親が休日に夜から昼までいなくなることが多くなって(理由は後述)、ちょうど出掛けてる時に発生しました。くそ
学校の体育がハードだった為珍しく日付が変わる前に床についていて、寝ていたら少し明るくなった気がして睡眠も浅かった為ふと目をゆっくり開けたら…

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未だにあの光景を鮮明に覚えてるのですが、閉めていたはずのドアが開いていて、廊下から差し込む光が僕の寝ているベッドの傍に佇んでいる前父の眼鏡を照らしているだけで表情は全く見えず僕はまた恐怖に慄きました。

「何してるの…?」

僕は勇気を出して声を絞りました。

しかしいつもなら直ぐに返答するのに数秒間を開けて
「…………布団かけて無かったからかけてあげようと思って。」

と言い残し自分の部屋に戻っていきました。普段は部屋に入ってこないし、当時は暑かったが毛布は掛けて寝ていたし、今の時点でもかかってるし、発言に矛盾しかなかったです。
妹子の寝息も聞こえてくるし、もしもあのまま気付かず寝ていたらどうなっていたんだろう?何かをされた後だったらどうしようと訝しみ、畏怖の念が襲い、寝れずじまいで朝を迎えたのです。

_____________________________


帰ってきた母に一連の出来事を話したら母は「そうか…2回目はちょっとな…私がいない間にそうされると流石に気持ち悪いねぇ」と言うと僕と妹を部屋に呼び出してとある写真を見せました。

茶髪眼鏡のふくよかな男性が母親と抱き合っている最近のプリクラ画像。

母親は言いました。
「私もう10年の間に離婚しようと思ってんだよね~。教育費も払わないし、部屋も汚いし借金もあるし。結婚前の方が使える制度とか結構あるし。あ、最近夜いないのはこの人と会ってるからなのよ。」

ああ…そういえばこの人(母親)もダメな人だった…‼

弟の親権とか家とかどうするんだろうと思いながら2か月が過ぎた。



2017年 8月8日
 決定的な事件が起きた。

4:42
毛布を両手で抱えるように抱きながら寝てるところ、股間に指を当てられている違和感があり今日こそはと思い目を開ける。
すると完全父親のシルエットでメガネが薄暗い中反射していた。だがそれ以外は真っ黒。
【太ももの方から手を入れられていたと見られる。】つまり自分で寝ぼけて触ってない
もう呆れて布団を顔に軽く当てながら
「いい加減にして!」と寝起き一発で出せる一番大きい声を言って(2秒)ガッツリ目を開けると少しの足音がしてそこには空いているドアしかない。下か自分の部屋に行った音が聞こえた。
「最悪…」って聞こえるくらいの声で呟いてドア閉めた

これは夏休みの為3時に寝てたせいで睡眠時間約1時間+寝起き一番に打った文章なので先ほどから読んでもらっている文章の数倍滅茶苦茶なのですが、文章に残そうと必死でLINEに起きた出来事を綴ったものです。コピペしてきた。

要は下触られたんですね生で💢

夏休み真っ盛りで高校2年生の僕はこの日に現在通ってる専門学校のオープンキャンパスに行こうとしていたのですが、もうそれどころではありません。


目視してしまった____

逃げるとこまで見てしまった。

でも認めたくなかった。

本当にそうだと信じたくなかった。


流石に母親は3回目なので僕の送った文章にすぐさま反応し祖母などを交えた相応の対応をするとは言ったものの、肝心の前父は逃げるようにそのまま仕事に行ってしまったし、1時間しか寝てないもののあまりのショックに再度寝ることはできませんでした。


母も仕事なので帰ったら父方の家族も交え話し合いをすることになりましたが、その間僕はどうしたらいいだろう、怖すぎて涙も出ない、あいつの住むこの家に居たくない、かと言ってオープンキャンパスに行く胆力なんてない、ああもう家が終わる、僕のせい?離婚?ああ離婚してほしくないって思ってたけど今すぐ離婚してほしい、でも弟や妹は親の離婚をちゃんと自覚したこと無いし記憶に残っちゃうかもしれんどうしようああもうおしまいだ……………………と考えてるうちに

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遊びに行こう。

気が動転した結果、常人が思い付かない思想に辿り着きました。
幸運にも当時は恋人がいたので、都合も合い一連の事情を話し近くの某ショッピングモールに行き雑貨店に行って文房具を漁っていました。リア充爆発しろとかは置いといて、あの時頼れる『家の人じゃない人』がいなかったら精神崩壊してたと思うので今でも本当感謝しています。この記事見てるかは知りませんけど。

思ったこと、感じたことを涙一つ流せずつらつらと話したら相手は泣いてしまって、僕の事を思ってくれる人がいると分かって僕も涙があふれて雑貨店の端で二人で泣いたのもいい思い出です。

友達に遭遇しましたが恋人の事指摘されたりオーキャンどうしたのと言われるし、高橋名人に遭遇してなんやかんやあってサイン貰うし、てんやわんやなまま満足して夕方になり、そのまま帰って避けられない現実を見ました。


【崩壊直後の親族共は】


母親の車に乗り、近くの父方の祖父母の家に行きました。
祖父は仕事でいなかったが祖母はいるし電話で前情報は話しておいてあるので早速議題に入ったものの、今まで優しく接してくれた祖母は


「そんなこと、やる子に育てた覚えはないんだけどねえ…」
「ごめんねミミック、ばーちゃんはね、〇〇(前父)の親なのよ」
「だからね、〇〇を信じなきゃいけないのよ」


こ ろ す ぞ ! ?

どうにかその言葉を口にすることを僕は耐えた。
今考えてみれば親の気持ちとして分からなくも…うーん…

分かるかバ~~カ‼当事者やぞ‼くそ‼お前の子供なんだから責任取れ‼
とは言えず。

僕の様子を見て母が代わりに祖母と会話しても話はそこから先に進まず、一晩だけ母方の祖母の家に泊まることになり、僕抜きで話し合いをすることになりました。


事情を知った祖母は使われていないおじさんのほこりだらけの部屋に布団を敷いて待っていてくれました。僕は幼少期は祖母に育てられたといっても過言ではない程の絆があるので、洗いざらい今の状況を事細かに話しましたが破天荒BBAなので励まされつつもどうしようもねえことを言われます。


「あんたそれじゃああいつがやったっていう証拠がないじゃな~い!」
「引っ掛けば傷もできるし爪の中にDNAとか入るのに~!」
「これじゃあ裁判で搾り取ることも難しいわね!」
「大体あんたママに離婚の出汁にされるわよ」
「不倫ママにいいように使われてるわ~~~!!」
「今回黙っといて次から監視カメラとか付けとけばさあ!」


「うるせ~~~~ババア~~~~~~~!!!!!」


僕は叫んだ。

何故ならその通りだからである。
ここまで長々と経緯を話してきたが、ここからがこの話のミソだ。
もうめんどくさいから敬語やめるわ


もしも僕と前父が性行為に及んでいたとしたら僕の同意はまず無い為裁判に持ち込みやすいが(しかし日本の性犯罪の対応は本当クソなのでどうなることやら)、僕の意識がある中では触られたことしかないし、証拠が無いので中々訴訟は難しい。しかも家の購入した名義は父方の祖母と前父なので離婚したら弟は長男だし血繋がってるから親権は取られ僕と妹と母は出てくことになる。

泣き寝入りなのだ。

母はこれを機に不倫相手と合法的にあれこれすることが可能になるし、この中で心身共に損することになるのは圧倒的に

実害はないが兄弟はこの年で、僕と前父の事案に振り回され離れ離れになるし非常に申し訳ない。しかし僕が被害を受けて黙っていたら僕は今頃どうなっていたかわからないし、妹にも被害がいっていたかもしれない。

裁判に無理矢理持ち込んだとしても費用も時間もかかるし、勝訴したとしても父方の方に親権がいく弟に被害が行くし、僕が泣き寝入りするのが当時の最善の策だった。

もしもこのくっっっっっっそなげえ自己満記事をここまで読んでる人がいて、こういうことに巻き込まれてる人がもしもいたのならばまず第一に信頼できる大人か友達に言ってみよう。本当に信頼できる大人じゃないと法的措置とか取られて隔離されるかもしれんからそれが嫌だったらとりま友達とかに相談しような…。



【地獄の軟禁生活の始まり】

僕のいない間に話は進み、10月中には離婚することになった。
今「ん?10月?遅くね?」って思ったやつ
そうなんだよ遅いんだよ!!!!!!!!!!

理由はです。

元から借金抱えてるくらい貧乏だったし、父方の家族は引っ越し費用はおろか逆に優しかったはずの祖父から月3万弟の教育費として振り込めと脅されていた。なんで?(殺意)
引っ越し業者は使わず母親の彼氏(不倫相手)とかでやるけど敷金礼金などの費用や引っ越ししてからの家具などの費用が落ち着くまで引っ越せないということになり、もう前父と関わりたくない僕の約3ヵ月間の軟禁生活が始まった。

今まで家族全員で食卓を囲んでいたが、そこにはもう僕の姿だけ無い。
僕は必然的に2階の自分の部屋に籠るようになったのだ。

朝起きて弁当を作り学校へ行って、
帰って弁当を早急に洗い2階に籠る。
もしくは空腹のままバイトに行ったりなど。
1階のリビングで家族が楽しくテレビを見ながら談笑する声を聴き、
日付が変わる頃前父が寝たら下に降りて一人で夕食を摂り、
冷めて淀んだ風呂の水を抜きシャワーを浴びて2階に戻る。

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毎晩泣いた。

前父との一件から夜寝るのが怖くなった。
前父の起きる午前4時には目が覚める。仕事に行ったのを音で確認し安堵して寝る。母親も耐えろとしか言ってくれない。
睡眠不足が続いて学校のある日でも11時に起きてそのまま無断欠席なんてことはザラにあった。もちろん授業中寝た。笑いながら友達に注意された。成績はどんどん落ちた。部活に行く体力も残ってなかった。でもせめて部誌等の原稿の提出期限は守ろうと努力した。部活の一部の人には部活に来ないくせに原稿は出すということで嫌われた。ストレスで元から抱えてた過換気が酷くなる。ストレスと睡眠不足が重なって口内炎と舌炎(口内炎のベロ版)が大量にできた。喋ると口の中が痛いので口数が減っていく。好きなタイミングで飯が食えないのに口の中が痛いから食が進まない。ただでさえ少ない体重がみるみる減った。バイトの給料も食費で消えていく。部屋の中がペットボトルとパンの包装で埋め尽くされていった。

こんな状態だったが学校はやめなかったし精神病院にも行かなかった。理由は金もかかるし逆に面倒くさかったのと、高校の卒業資格が欲しかったからいう単純明快なものだ。

高校の人たちには明るく振舞い隠してこれてたが、この謎根性も外的要因のせいで折れることになる。


1.母親の次期結婚相手との会合

空腹にのたうち回るのも疲れた頃、母親が突然僕に3人で焼肉を食べようと持ち掛ける。実際会って僕はどうしたらええねんって感じだし口内炎も死ぬほどあるし気分は最悪、でも食わないと治らない、くそくそどうにでもなれって勢いで待ち合わせ場所に行って顔合わせしたら母と二人で喫煙所行きやがってキレそうになったよ!いやキレたわ

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焼肉屋入ったら僕タバコ無理って知ってる筈なのに喫煙OKの焼肉屋だったし二人でタバコ吸いだしたから「タバコ嫌いって言ったよね?なんで喫煙OKの店にしたの?上の煙吸うやつ全然機能してないからね?」って睨んだらシュンとしてタバコ吸うのやめてたね(憤怒)
肝心の肉はタレが口内炎にしみ過ぎて味わうどころじゃなかったのでほんとクソでした!!!!!途中で逃げてやろうかと…


2.最凶のサイコ、前父親子

父方の祖母は毎日歩いて家に尋ねてきて家事などを行う為昼間家にいるのだが、僕の靴が玄関にある=学校を休んでいると分かるためそれを父に報告していた。寝てるから靴を隠すこともめんどくさいので放置していた。

祖母は母親に言ったらしい。


「ミミックは…なんで学校行かないんだろうねえ…ご飯も食べないし」


えええええええええ!?!?!?!?!?!?!?

お前の息子のせいだよ!?!?!?!?


マジでびっくりした。一番最初にお前に相談に行ったんやが??

この一言から僕は10年間良くしてもらった父方の祖母への感情が180度ひっくり返った。偏にお前の息子が変態だからやで??

祖母の一言だけだったらまだしも、
そこから真のサイコ野郎が顕現するとは思いもしなかった

前父とは家の中で運悪くすれ違っても出くわしても会話していなかったが、母から言伝で聞かされた。



「学校に行ってないのか?学校に欠席何回か確認するぞ」


「学校にお前が欠席したら俺の携帯に連絡入れるように言うぞ」


「なんですれ違ったら挨拶しないの?switch(所有者は僕)壊すぞ」


「バイト21時までなのになんで23時に帰ってくるんだ?
バイト先にクレームいれるぞ」


はあああああああああ⁉

お前のせいだよ!?!?!?!?!?!?!?!?

てか僕お前の子供じゃなくなるし良くね??バイトはお前が寝るまで家帰りたくないから公園で時間潰してんだよ!!!!!!!!!!!!!!ナチュラルに人のゲーム壊そうとすな!!血繋がってないとはいえ自分の子供にわいせつ行為して挨拶するってマジでパス過ぎるでしょ~~~~~つーかお前弟がいる時しか喋らんやんな~~~~~~~!!!!弟の前では家庭崩壊察させないようにしたいんだろ????でも残念だなお前が招いたんだよばーーーーーーーか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


はい、冷静になります。

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他にも色々細かい理由はありますが、精神的にちょっときつくなってきた結果文化祭準備をそっと抜け出して保健室に行って先生に吐くだけ吐いてみました。自暴自棄だね

吐いた結果、先生は大きい駅にそういう相談所みたいな施設があり、低賃金でアパートを借りれたりすることが可能だが軽度の被害なので話を聞いてくれるかはわからないと言われた。
住所や説明が書いてある紙を貰うと、話疲れた僕を見かねて優しい表情で今日はベッドで好きなだけ寝てていいと僕に言った。頷いた僕は持ってきたタブレットでFGOのネロ祭周回しながら文化祭準備をサボった。ちなみにどっかのアパートに一人で避難したいわけでは無いし地元の友達とは離れたくないのでプリントは捨てた。


文化祭当日に呼び出し食らった。


寝坊したが一応文化祭なので無理矢理登校した僕。
先生の検問みたいなのを越え、知らんパリピに文化祭楽しんでと言われ(?)死ぬほど口内の状況が悪い中友達と教室で涼んでボーっとしてたら
担任が暇そうにしてる僕を呼び出して職員室に連れて行く。ここで保健室の先生が報告したんだなと気付いた。

担任についていくとそこには40くらいの女(副校長だった)がいて、ここだと色んな人に聞かれると言われ会議室に誘われ『カウンセラーごっこ』が始まったのだ。

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夥しい量の口内炎ができている僕にまともに会話できるわけがなかったが訳を言ってもそれでもいいと言われ無理矢理話を促された。
保健室の先生といい、やはり大人に言ってもろくなことがねぇと改めて思った。楽にはなるが、期待をさせて結局僕の望む『解決』には至らないし、ストレス解消となる友達とグダグダする時間を奪われたこっちの身にもなってほしい。1時間みっちり話したがメモするだけして結局解決には至らなかったし次また時間があったらと言われたが断った。

今でも変わらないけど子供だったので尚更自分の思い通りにいかないことに憤りを覚えていたし、僕の事を振り回す大人というものを嫌いになり始めていた。


【過度なストレスに耐えられなくなった結果】

昔から自殺願望は少しずつ芽生えてはいたが、軽はずみにだったものが少しずつ本気になっていってやっぱ死んだら解決すんじゃないかと思うようになっていた。

冷静に考えればそんなことは毛頭ないが、あの時の僕は冷静ではなかったので色々自殺の方法を調べてどれもめんどくさくなって最終的にとりあえず自分がいなくなったらどうなるか考えることにした。

皆が寝静まった夜にキッチンに行き包丁を取り出し腹につんと刺してみる。

服の上でも少し痛い。このまま強く力を入れたとしたらもっと痛いんだろうなと思いながら包丁の柄を両手で握って刃を見つめていた。



ふと見つめているうちに自分にまた違う考えが芽生え始めた。


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あいつを殺せばよくね?

深夜2時に殺人衝動が急速に増し、包丁を持って前父の部屋の前までやってきた。ドアをゆっくり開ければ起きないよな、首を狙えば死ぬよな、突き刺せばいいのかな、切った方がいいのかな、血がたくさん出るのはどの辺だっけ、Anotherみたいに血が飛び散ったらどうしようかな、17で殺人だとまだ少年院かな_________


でもこいつ殺して人生ドブに捨てるのはやだなぁ…

冷静になってすぐ後ろの壁に凭れて落ち着いた後、包丁を洗って戻した。
微量のヒ素を食事に投与して殺した世界仰天ニュースとかあったなあとか他のバレないような殺し方を少し考えたけど、最終的に一つの考えに辿り着く。


社会的に殺せばいいのでは?

僕の将来の夢は漫画家だ。
もしも僕が有名になってインタビューを受ける時に過去の話をしたらあいつの立場はどうなる?知人から伝わるだろう。

よくわからん地元の雑誌の仕事してる人特集みたいなので家族ともども頑張りますとコメントした男が、あそこの家のあの人、子供に手出したらしいよとか、地域中に広まるのかな?とか職場にも広がっていけば仕事も出来なくなるかなとか、考えれば考えるほどわくわくした。


ちなみにこの記事を書いた一番の理由がこれである

法で許される範囲の復讐を誓った僕は、開き直ることにした。


【クズムーブと居場所】

口内炎と友達になった頃にはもう10月だった。
気付けば前父は僕をいないものとして扱うようになった。
母は公開で男と遊びに行くようになってたし妹は反抗期真っ盛りだった。

僕が電話苦手なことを察してくれた担任(おじいちゃん)が連絡入れずとも勝手に欠席連絡入った扱いにしてくれた。学校はなるべく単位をとりつつたまにサボる、バイトめんどい日は学校途中で仮病(メンタル的に気持ち悪いみたいな)で早退したり、学校行くフリして下私服にして地元のゲーセン行って、年金と元の貯蔵メダルで永遠と遊ぶジジイババアに混じってメダルゲームしてたりした。メダルバンク作るくらいハマってた。学校の事は聞いてこないし、ジュース買う時に荷物見てくれるし、ソシャゲ周回しながら遊べるし居心地がよかった。委員会の集まりもバイトあるって言ってここ来たりしてた。クソ過ぎる。当時の委員会の相棒や友達ごめん

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部活終わりは帰ると時間帯的に前父に出くわすため、飯は行きつけのカフェを作って時間を潰しつつゆっくりご飯を食べれるようにした。髪は家の事相談できる行きつけの近所の床屋で切る。バイト先には近所の人が沢山来るので沢山愛想振りまいて色々貢いでもらってた。(下記ツイートは8月の)


前父はずっと嫌いだが、それと引っ越すまで一緒なのは仕方がないと割り切り、自分の心と向き合って自分の楽な道を選んだ

家に居ても窮屈だから外に場所を作った。満遍なく人との繋がりを作った。
割と人と喋れるタイプなので馴染むのは時間は要らなかったし、もしもそうじゃなかったとしても人間って案外優しいのできっと迎えてくれたと思う。ローカルな場所だから尚更顔なじみになりやすいというのもあるのかもしれない。


要は生きるために逃げたのだ。

でも自分の野望に向けて最低限の努力をした。出費が多い為貯金はできなかったがバイトを続けバスの定期を買いつつ残りは携帯代と食費に割り当てた。友達にプリント貰ったり写してもらったり、人間としては最悪だったが環境を鑑みるに賢く立ち回った方だとは思う。友達は大事。マジ。


【乗り越えた】


こんな生活にも終わりがあった。


苗字は変わってないが離婚して前の家から15分くらいの場所のアパートを借りつつ、とりあえずおじさんの部屋を借りる寸法で母方の祖母の家に遂に引っ越した。一先ず救われたのだ。

母親の彼氏問題やバイト先に前父普通に来る問題など色々問題は残っていたが、ばあちゃんの手作りのうどんを食べながら久しぶりにTVを見た僕は安堵の涙を流した。

ばあちゃんは沢山のご飯を食べさせてくれた。風呂も用意してくれる、弁当も作ってくれて洗濯物も干してくれる。当たり前かは家によるだろうが、地獄のような3ヵ月を生き抜いた僕にとっては全てが新鮮だった。



小さな6畳半の中で僕は大きな夢を見る。
或いは野望、或いは復讐、或いは___


8月8日から全部始まったんだと思った。
あの日実は起きる前に大きな船で大きな川を進む夢を見たのだが、


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なるほどね。


【それからというもの】

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解放された瞬間は遊び呆けた。

祖母の家から借りたアパートに引っ越して母と妹とよろしくやっている。
好きな時に寝て好きな時に飯を食べ好きな時に遊べることがどんなに素晴らしいことかを知った僕は母親にほぼ放任されて生活しています(クズ)。家庭崩壊はまだ続いてるのかもしんない

母は相変わらず男遊びが激しいが立ち回りがうまいので僕らに得があるような動きをしていますが正直母の男遊びには呆れてるので早く家出たいです。出してください就職させてください❤

あの頃の自分と踏ん切りをつけたくて、前父の知ってる見た目から変わろうと思い髪を茶髪に染めて伸ばしている。ぶっちゃけもう限界だから切りたいね天パーだからファニー・ヴァレンタイン大統領みたいになっちゃってきたわ

前父は爆速で出会い系アプリで連れ子3人いる老け顔の女と再婚したらしい。死んでくれ。弟が可哀想だから僕早く出てかなきゃなあって思ってる。実際弟はたまに遊びに来るし弟もここに住みたいと言っている。ちなみにあっちの家の事情は床屋の兄貴が一方的にリークしてくれてる。ざまあみろ



まだまだ話したい事はいっぱいあるけど、あまりにも長すぎるのでまとめに入るぜ


【家庭崩壊→人間関係の大切さを知るきっかけ】

今まで前父にされてきた悪行の数々は事案以外にも大量にあるが、結果前父から解放されたから今となってはもういいかなって思ってる。ただ、今でも夢の中で父親として出てくるのは前父だ。一応育てられたのは事実だし、結果はどうであれ教わったこともあるから大事にしたいものと嫌だったものの分別を自分でつけて生きていくことにした。毒親だったのに変わりはないので嫌いだけど。

本当の父親もどんな顔で今どうしてるかわからないし一回は顔を拝んでみたいけど、逆に僕にとっての父親は前父も勿論、学校の先生やバイト先の上司、商店街のおじさん達、ゲーセンのじーちゃん達、皆父親みたいに接してくれるから(お前が基本タメで話すからだ)勝手に皆僕の父親みたいなもんだと思っている。

3年前はまだ高校生だったから親についていくしか道がなかったが、今同じ目に遭っても色んな道があるだろうし、器用に立ち回れる気がする。
一人じゃ生きていけないけど人に頼って、頼った分は頼られて、人と人との関わりを大事にして生きていきたい。

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このサインは当日高橋名人に貰ったサインだが、壁に飾っているこいつを見る度にあの頃は大変だったなと思いだしている。


家庭崩壊以前にも誘拐されそうになったり、大型トラックにはねられそうになったり、ヤブ医者に骨折した骨麻酔無しで曲げられたり、祖母が離婚届出すときに区役所でブチ切れた飲んだくれ暴力祖父に追いかけまわされたり、借金の取り立てが家に来たことがあったりなど普通の奴が経験したことないであろうことを経験しているのでこんな長くはならないと思いますがまた機会があったら文字を打ってみようと思います。

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では。


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