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映画「怪物」をみて

ネタバレを含みます。


映画館で「怪物」をみた


是枝監督の「怪物」見た! 

私の大好きな坂本裕二が脚本で、坂本龍一が音楽を担当。それに、坂本裕二脚本作品がカンヌの脚本賞を受賞した。嬉しい。

見る前から複雑な気持ちだったけど見てからもさらに複雑な気持ちが増した。

坂本裕二が「この脚本は、たった一人の孤独な人のために書きました。」と言っていて、私も坂本裕二の言葉にたくさん救われてきたからすごく楽しみにしてた。

見てみて感じたのは、たった一人の孤独な人のため?そうかな?ということ。マイノリティのための作品ではなく、当事者性のない大衆に向けて、「気づかせる」ような映画だったように感じた。

現状での日本の映画の限界がこれなんじゃないかなと思った。何も考えてない人に気づかせることが精一杯。当事者に対して無害に面白いというフェーズにはまだ入れないんだと思う。


性的指向をギミックとして扱っていいのか

まず、前段階から不穏な要素があった。
上映前に話題になっていたカンヌのクィア・パルムの受賞会見での監督のコメント。
コメントの内容的に「性的指向を演出のギミックとして扱っている」という指摘がネット上で上がった。実際、映画の冒頭でカンヌについて触れてたけど、クィア・パルム賞についての記載はなし。

上映中は、それは事実かな?事実だったとして、それはアリなのか?って考えながら見た。

確かにギミックとして扱っていると言えるけど、「ネタバレになるから・・・」というコメントをしなければ、スルーされたと思う。

見た直後は、これが少年少女の話だったとして子供の異性愛がギミックだったとしても成り立つのでは?とも思ったけど、正直、わからない。結論は出せない。もう少し考えたい。

社会問題詰め込み映画

この映画で扱われている社会問題は多岐にわたる。いじめ、虐待、ホモソーシャル、いじめを隠す教育現場、過剰報道、LGBTQなどの性的マイノリティへの偏見、差別。

瑛太が演じる教師が無意識に「男らしさ」を生徒に強要してしまう。

ぺえ扮する所謂「オネェ」的なキャラの芸能人のギャグを真似して笑いを取る。

「ドッキリだから」と言えば、なんでも許される空気感。

息子の性的指向を病気と言って虐待する親。

避妊具を持っていないのに、「大丈夫」って言う男。

息子がいじめられているのに加害者である(と認定されてしまう)教師も、校長も誰も真摯に向き合ってくれないというシーンのとき、私も安藤サクラと共に発狂しそうになった。本当に叫びたくなったし、嫌すぎて映画館から出たくなった。

これは後々、なぜそんな態度なのかがわかるんだけど、もうこっちはなんの疑いもなく信じちゃってるからヤキモキしてしょうがなかった。

視点が入れ替わった瞬間、加害に気づく。知らない、気が付かないということがいかに罪であるか。

是枝監督、役者のポテンシャルを引き出すのうますぎ

瑛太のあの太々しい態度、本当にイライラして演技上手いな〜〜と改めて実感。田中裕子の静かな怖さもすごかった。静かなのにすごい存在感だった。そして、角田も。「大豆田とわ子と三人の元夫」から大好きだけど、画面が少しコミカルになるというか、場が安定するような。子供たちの演技も柔らかくて、全員が最高の演技をしている。特に、坂本裕二脚本作品って演技力ないとわざとらしい言い回しになってしまう場合があるから更にすごい。セリフに負けない演技力だっ

やっぱりこれは俳優陣たちの能力だけじゃなくて、それを彼らから引き出す是枝監督が1番すごい。そして、是枝監督ってなんでいつもあんなにいい子役を見つけてこれるんだろう。

あと、小学生に対する解像度が本当に高いなって感じた。教室でいじめる子の敬語っぽい喋り方をする男の子がいたけど、なんか既視感あった。あんな子いたよね。

坂本裕二の言葉


色々言ったけどやっぱり坂本裕二の脚本はほんとに大好き。細やかで、優しい言葉。

人に言えないことはね、こうやってフーッと吹いちゃいな

ちょっと間違えてるかもしれないけどこんなセリフ。田中裕子が演じる校長先生が湊に言うトロンボーンのシーンは本当に良かった。
二人が奏でる不協和音が学校に鳴り響く。言葉にできない音を、学校全体に響かせる。

その不協和音をバックに依里の元へ走り出す湊。本当にいいシーンだった。

そんなの、しょうもない。誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない。しょうもないしょうもない。誰でも手に入るものを幸せって言うの

坂本裕二らしいセリフ
「しょうもない」って、いい言い回し。しょうもないって言葉がなんとなく好きになった。

「誰にでも手に入るものが幸せ」
幸せの形はたくさんある。あなたが手に入れられないと思っている幸せは本当は、勝手に誰かが決めた価値観によって形作られたもの。幸せとは、自分が定義し、つくるもの。

「出発なのかな?」
「出発だよ」

ラストの湊と依里の掛け合いも良かった。

理想論的だけど、彼らが幸せになれる世界が欲しかった。

美しく輝く草原に、柵がなくなった線路
希望に満ち溢れた2人。

彼らが亡くなったとも捉えられるけど、私はそう思いたくない。あれは、彼らの今後の人生への希望のメタファーであってほしい。問題はなにも解決はしてないから現実は残酷だけど。

「怪物」とは何か

そして、結局、怪物とは誰なのか。なんなのか。
怪物に実体なんてなくて、人と人の間や人間の心の中に存在している。偏見や価値観こそが怪物なのではないか。

「片親は心配しすぎて学校で問題を起こす」
「同性愛者は病気」
「息子が嘘をつくはずがない」
「幸せとは家庭を持つこと」
「ドッキリと言えば、いじめじゃない」
「適当に謝っておけばいい」
「オネェは面白い人」
「男の子は花の名前を知らない方がモテる」


自分とは異なる人を排除しようとする心が怪物だと思った。全員が心の中で飼っているもの。

悪いだけの人はいないし、善だけの人間もいない。白と黒にハッキリ分かれるものはこの世に一つもない。人は誰かの怪物にもなるし、誰かの光になる。それを改めて感じる映画だった。

この映画、すごく面白かった。面白いと感じるからこそ複雑。エンタメとして消費できる側の「当事者性のない人間」だから、面白いと感じることができるんじゃないか。

「進撃の巨人」しかり、視点を切り替える作品は加害性を孕むから注意が必要だなと思う。

もう一度見たら感想が変わると思う。はやく見に行きたい。次見るときは、この映画における水と火について考えながら見たい。

追記

「以前に車を運転していて、横断歩道で青になったのに前のトラックが進まず、クラクションを鳴らしてしまったが、そのトラックが車いすの方が渡り切るのを待っていたのが私には見えず、それ以来クラクションを鳴らしてしまったことを後悔していまして。自分が加害者だと気づくのはとても難しい。どうすれば加害者が被害者に対してしていることを気づくことができるかなと10年近く考えていて、それを今回書くことができました。」

と、坂本裕二がインタビューで答えていた。本当にその通りだし、こんな気持ちで書いた映画は素晴らしいに違いない。けどやっぱり、孤独な人のために書いたというよりは、気づかせるために書かれた映画のようだ。

「たった1人の孤独な人」のために書くなら、映画の中で、嘘でもいいから少しでも大人が子供たちの問題を解決してくれていたらなと思った。

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