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好きな太宰治の言葉

人間失格

そこで考え出したのは、道化でした。それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。

自分のそれまでの絵画に対する心構えが、まるで間違っていた事に気が附きました。美しいと感じたものを、そのまま美しく表現しようと努力する甘さ、おろかしさ。マイスターたちは、何でも無いものを、主観に依って美しく創造し、或いは醜いものに嘔吐をもよおしながらも、それに対する興味を隠さず、表現のよろこびにひたっている。

そのひとも、身のまわりに冷たい木枯しが吹いて、落葉だけが舞い狂い、完全に孤立している感じの女でした。

弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。

けれども自分は、そんな事より、死んだツネ子が恋いしく、めそめそ泣いてばかりいました。本当に、いままでのひとの中で、あの貧乏くさいツネ子だけを、すきだったのですから。

ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんかを読んでいるのではないでしょうか。

自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。

神に問う。信頼は罪なりや。 ヨシ子が汚されたという事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたという事が、自分にとってそののち永く、生きておられないほどの苦悩の種になりました。

人間、失格
もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。

いまは自分には、幸福も不幸もありません。 ただ、一さいは過ぎて行きます。 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。 ただ、一さいは過ぎて行きます。

斜陽

革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、大人の人たちは意地わるく私たちに青い葡萄だと嘘ついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれて来たのだ。

私のひと。私の虹。マイ、チャイルド。にくいひと。ずるいひと。

ご無事で。もし、これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。

夏の花が好きな人は、夏に死ぬって言うけれども、本当かしら

恋、と書いたら、あと、書けなくなった

戦闘、開始。もし、私が恋ゆえに、イエスのこの教えをそっくりそのまま必ず守ることを誓ったら、イエスさまはお叱りになるかしら。なぜ、「恋」がわるくて、「愛」がいいのか、私にはわからない。同じもののような気がしてならない。

私のこの胸の炎は、あなたが点火したのですから、あなたが消して行って下さい。

待つ。ああ、人間の生活には、喜んだり怒ったり悲しんだり憎んだり、いろいろの感情があるけれども、けれどもそれは人間の生活のほんの1パーセントを占めているだけの感情で、あとの99パーセントは、ただ待って暮らしているのではないでしょうか。

死んで行くひとは美しい。生きるという事。生き残るという事。それは、たいへん醜くて、血の匂いのする、きたならしい事のような気もする。

僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、生きにくいんです。生きて行くのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。いままで、生きて来たのも、これでも、精一ぱいだったのです。

その他

愛は、この世に存在する。きっと、在る。見つからぬのは、愛の表現である。その作法である。

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