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短編小説0030 並走するカラス 1415文字 2分読

 電車に乗る。いつものようにスマホを取り出し何となくyoutubeやらインスタを眺める。

あいつが海に行ったとか、あの子が映えるスイーツを食べただとか、全人類が生活開示インフルエンサーと化している。

いいんだ、楽しけりゃいいんだ。本人がそれでいいならいい。お友だちとか誰かがそれを見て、もし一人でも喜んでくれたり、アンチコメントくれたりすることがあればそれは素晴らしいことだ。ただ自分の人生を開示しているだけなのに好き勝手に解釈して、喜怒哀楽を受動的に感じてくれる。望外の喜びだろう。

自分の人生のカケラが他人の人生に触れたということだから。
俺もそのカケラを楽しんでいる一人だ。

「つまんねーなー」って。

それが何の意味があるのか、ないのか、どっちでもあるし、どっちでもない。
勝手に、自由に解釈してりゃいいんだ。


ふと座った座席の向かいの窓から黒い塊が視界の片隅に入った。
スマホの画面から目を離し、窓の外に顔を向けるとカラスが3羽飛んでいる。
電車から2〜3メートル程しか離れてない。
電車と並行に飛ぶから、俺からはその場で羽ばたきながら、ホバリングしてるようにみえる。
着かず離れず、よくお互いの羽がじゃまにならないなと思う程の近くを3羽は飛んでいてる。
じゃれ合って遊んでいるのか、メス1羽オス2羽で三角関係をやっているのか、親子なのか。
すぐに電車から離れ、草っ原の中に消えていった。

日が暮れたら活動をやめ、静かに寝る。

日の出とともに起き、エサを探し、ペアを見つけ、繁殖し、子を育て、エサを運び、また日が暮れたら寝る。

ずっとその繰り返しなのだろう。

カラスはただただ生きているだけでなく、賢いから時々遊ぶのかも知れない。

俺たち現代の人間は生活以外の遊びがメインで、命に直結するような生命活動がオマケ。

人間とは異世界に生きるカラスは、他人の評価なんか気にするのだろうか?。恐らく気にしないのだろう。

淡々と生きる。
ただただ生きる。
時々游ぶ、かも。

翼を持っている宿命だから飛ぶしかない。

地面を速いスピードで足で走りたいと願望しても、飛ぶことしかできない。

『ああ、地上を思いっきり早く走ることができたらなあ。羽が腕であったならなあ・・・』

もしかしたら一部のカラスはそう思っているのかも知れない。

飛べる特典よりも、飛べない特典に価値を見出すものがいるのかも知れない。

ものすごいスピードで飛ぶのではなく大地を走ることを、心から夢見るカラスがいないとも限らない。

実際に走り回ってトレーニングするカラスがいるかも知れない。

いつの時代も、そういうやつが世界を切り開いて来たんだ。

愚かだ、馬鹿だ、くだらない、とののしられ、怒られても愚直に自分を信じて前進する。

いつしか馬鹿にする者も無くなり、誰も見向きもしなくなった頃、賛同者が現れ、少しずつ仲間が増え、気が付いたらインフルエンサーになっている。

カラス界にもカモメのジョナサンがいて欲しい。

どうせいつか死ぬ。
人生は暇つぶしだ。
意味なんてない。
だから楽しんだもの勝ちだ。

この価値観だって勝手な、俺が思い込んでいる俺が決めた人生の定義に過ぎない。

人生の価値は各自で決めてください。
それはとても愛おしいものであると俺は思う。
だから走ってるカラスを見たら応援してあげようと思う。

いつの間にか、素晴らしい紫色の夕暮れ空になっていた。カラスのシルエットがまるでヤラセのCGのように飛んでいる。



おしまい

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