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その人の奥の感情まで見てあげないと、解決にはならない

もし、身近な人が

死にたい

と言ったら。


年齢、

おかれている状況

それによって対応は変わってくると思う。


死にたいは、

最後のsosの緊急の時もある。

緊急ではない時もある。

裏側にある背景と感情がパンクして、どうにもならなくなった時の場合もある。

小さなこどもが言った時、

もしかしたら、親が自分のことに注目してくれるんじゃないかと思って、死という言葉をわざと使っているときもある。


学校の先生が怖くて、

死にたいくらい、幼稚園、学校に行きたくないって親に訴えてるために、

死にたいって言っている時もある。


友達にいじめられて、辛くて逃げたいから助けてという、死にたいって言っている時もある。


性的暴力を受けていた場合は、

自分の身体のけがれ、

自分の身体が嫌で嫌で、

この身体があることすらにくんでいる。

自分と魂がかなり離れてしまっているので、

この時は、ギリギリ生きている時で、緊急である。


モラハラ、パワハラなどされて、

自分を否定されて、

洗脳により自分が自分ではない感覚になり、

感情を出す、感情を置いておく場所がなくなり、

死にたいってなっている時もある。

怒りから、死にたいという言葉が出る時もある。



死にたいの裏側のだいたいは、

「ちゃんと生きたい」「しっかり生きたい」っていう思いを奥にしっかり持っていて、

それがちゃんと見えるときがある。


死んでもいいくらい、誰かの為に尽くして生きたいと思っている人もいる。

助けてあげたい人に尽くし、それがうまく回って言っていない時、

ちゃんと生きていないような気がして、

それが何度も何度もうまく回っていかなかったときの限界に、

死にたいが出ている時もある。


寝たきりの方は、

生きている意味が分からなくて、

私の人生なんて無いのと同じと思って、

生きる気力がなくなっていることで、

死にたいと思っているかもしれない。

私も何年も寝たきりの経験がある。


寝たきりでも楽しめることはたくさんある。

楽しみを健常者が見つけてあげる、とてもいいと思う。

気分が変わると、ちょっと生きてみようかなって生きる気力が出てくる。


死の言葉一つで、その人が何を言いたいのか、

その人の奥にはどんな感情が入っているのかを見てあげないと、

死んじゃダメだからねのアドバイスは全くもって1ミリも意味がないのである。


死、という言葉に縛られてはいけないのだ。


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