ブラック・クアンタム・フューチャリズムの理論と実践 (210725)

 アフロフューチャリズム(afrofuturism)は20世紀中頃より、アフリカ系アメリカ人がその思想的支柱をになってきた諸芸術における一分野、あるいはそこで表現されるディアスポラ思想である。いみじくも毛利嘉孝が「スペキュレイティヴな反人間主義を、啓蒙主義の時代からいまにいたるまで『人間』のカテゴリーから周縁化され、場合によっては排斥されているストリートの人びとの思想」としてアフロフューチャリズムを位置づけたように[毛利 2018: 138]、多分にそれはカウンターカルチャーとしての性質や、西洋における哲学伝統に対する苛烈なまなざし、白人中心主義的なイデオロギーに対する異議申し立てを有している。
 しかしながらアフロフューチャリズムとは何であるかを一意に定義するのはひじょうに困難が伴う。理由として、第一にそこにはイデオローグが決定的に欠けているからである。「アフロフューチャリズム」という言葉は1994年、批評家のマーク・デリー(Mark Dery)によって最初に提起されたが、それも「先行する文化的概念に追いつく」ようにして生まれたものであり[高橋 2018: 110]、デリーがアフロフューチャリズムの思想の骨子を組み上げたわけではない。第二にそれは「future」という語が示すようにSF的なヴィジュアルイメージを喚起する、よりアートへ開かれた思想だからである。実際、サン・ラーやアース・ウィンド&ファイアーといった音楽アーティストのアートワークがアフロフューチャリズムの実践・具体例として挙げられることが多い。
 しかし現在、アフロフューチャリズムの思想・言説はひじょうに多様な動向を見せている。本稿ではその分派のひとつともいえる、ラシーダ・フィリップス(Rasheedah Philips)とキャメイ・アイワ(Camae Ayewa)を中心とした活動=ブラック・クアンタム・フューチャリズム(Black Quantum Futurism、以下BQF)の理論と実践に焦点を当てつつ、具体的なアフロフューチャリズムの思想的実践、またそれが現代においてもつ意味について検討を加える。
 まずBQFの主要メンバーの一人であるラシーダ・フィリップスの思想を概説する。フィリップスはインタビューで、自身の多様なプロジェクトの要は「住宅問題」にあると答えている[Ayewa & Philips 2017]。また、インターネットマガジンに寄稿した論考「自由な住宅未来のための空間、時間、正義の再構成(Reconfiguring Space, Time, and Justice for Liberatory Housing Futures)」において、フィリップスは過剰な資本主義とその帰結による貧富の差の拡大によって、ある場所へのアクセスの不便といった空間的不平等だけでなく、「時間の階層化、不公平な時間配分、安全で健康的な未来へのアクセスの不平等」が生じていると述べる[Philips 2021a]。たとえば賃貸契約の終了によって立ち退きを迫られた家族が住居を明け渡すまでの時間と、新しい住居を確保するための時間は時として大きくずれることがある。そしてここには人種差別が重い影を落としている。富裕層や白人の多い地域が享受する住宅の利便性とは対照的に、アメリカの黒人はつねにこうした不安に晒されている。「家を追い出されるという脅威に常時さらされ、次の日、週、月をどう金銭的に乗り切るかという計画で精一杯の黒人の家族は、未来を夢見たり、計画したりできないまま放置されていることが多い」[Philips 2021b]。アメリカにおいて黒人はつねに周縁に置かれ、白人や富裕層がかれらの権利や資本を独占してきた。BQFはこういった差別的問題に対抗するかたちでその頭角を現したといえる。
 ではBQFとは具体的にどんな思想・運動だろうか? ホームページでは以下のように説明されている。「(BQFは)時空の操作によってありうる未来を見、時空を希望の未来に崩壊させてその未来を現実のものとすることで、現実を生き、経験する新たなアプローチである」。BQFはその名にもあるとおり量子力学(quantum)から多くの理論的材料を受け取ることで、既存の語彙の意味転換を積極的に行なおうとしている。たとえばBQFにおいて「黒」(Black)は、「深宇宙に浸透している『黒』(Blackness)、つまり一般に知られる『ダークマター』」をも指す単語として、「未来」(future)は「特定の『距離』に依存しない」相対的なものを指す単語としてあつかわれる[Philips 2015: 13]。
 ここに見られるのは「黒人」であるというアイデンティティの積極的肯定であり、黒を始源に位置づけることで、そこからしかすべてのもの・ことが発展しえないような状況を思弁的に構想する理論的転回である。加えて、BQFが未来をあくまで相対的なものとして考えている点に注意しなければならない。前述したように、従来のアフロフューチャリズムでは、「未来」はもっぱらSF的なイメージをもって表象されてきた。それもあくまで戦略的手段として有効な手立ての一つではあるが、「未来」をフィクションとして表象することで、それを今・こことは別の時空間に押しやり、隔離してしまう面があることは否定できない。BQFは現在のうちにすでに未来が胚胎していることを明らかにする。「実は、近い未来も遠い未来も、あなたの『今』に影響を与えており、その位置から手を伸ばしてあなたに会いに行き、あなたの『今』という体験を作り出している」[Philips 2015: 14]。量子力学を用いた創造的な未来設計は、奴隷貿易から現在へ連なる負の歴史を生み出した単線的な時間概念に異を唱え、再検討を加える必要があることを私たちに知らしめる。それは今に至るまで近代の啓蒙主義から排斥されてきた人びとからの一つの応答である。
 またフィリップスによれば、BQFの時間概念はアフリカの伝統的な時間概念とも符合する。アフリカの時間にかんする伝統はつねに再帰性とサイクルを含んでおり[Philips 2015: 20]、過去と未来に往還作用があることを示唆している。ここにおいてBQFはデュボイスが提唱した「自己の二重性」の止揚の一つともいえる展開をみせる。デュボイスは『黒人のたましい』において、アメリカの黒人の内部で「アメリカ人であることと黒人であること」という二つの自己がせめぎあう状況を活写している[デュボイス 1992: 16]。アメリカにおいて黒人が抱える未来からの締め出しとかれらの民族的出自を、BQFは結節点としてポジティブに描き出そうとしている。
 BQFは活動の一環として音楽販売・配信サイトであるBandcamp上に音源を多数公開している。過去に実際に起きた事件の音声のサンプリングにノイズを乗せた、一聴してそれとわかるほどきわめて鮮烈なトラック群は、黒人が負わされてきた不当な歴史の告発であると同時に、その価値論的転回を図るBQFの運動を如実にあらわしている。同様の実験的手法はBQFの共同主催者であるキャメイ・アイワの音楽ソロプロジェクト=ムーア・マザー(Moor Mother)でも採用されている。2016年に発表したアルバム『フェティッシュ・ボーンズ(Fetish Bones)』において、アイワは「歴史的なトラウマの瞬間を再訪することにより、歴史を駆け抜ける感覚を再構築」している[Lozano 2016]。一曲目「Creation Myth」の歌詞に「私は1866年からずっと血を流し/1919年まで血まみれの自分を引きずった」(Apple Musicより転記/引用者訳)という一節があるように、アイワが試みようとしているのは、等閑視されてきた歴史を呼び起こすと同時にそれをみずからの生と結びつけるダイナミックかつラディカルな身体感覚の再構成である。

 以上概説したBQFの思想と実践であるが、果たしてこれは日本に住む私たちとは絶えて無縁な思想だろうか? 民族的出自も、一見して表立った人種的対立やディアスポラ感覚も共有しない私たちにとって、BQFは馴染みの薄い風変わりな思想であるように映るかもしれない。しかしBQFと私たちには一つ大きな共有点がある。それはBQFがその時間概念に理論の一端を負っているベルクソンの思想を、大杉栄などの日本の初期アナキストたちが率先して国内へ輸入したことである。ベルクソンが提唱した「エラン・ヴィタル」(生命の跳躍)は、20世紀初頭の日本では「創られた既存の自分を棄脱し、新たな自分を更生させてゆく自由人らの世の中を理想」とする思想として読み替えられた[浅羽 2004: 84]。そして、BQFと日本の初期アナキズムは、この「今・ここを脱け出ようとする運動」という点において共鳴しないだろうか? それは不断に自己の変革を伴う生成変化の運動を基礎に置くことで、同時に社会、ひいては国家そのものをも揺さぶりにかける動態の思想である。BQFはその時空間の横断性によって、ありえたかもしれない未来を自分たちの手中へ引き戻す可能性を遠く離れた私たちに示唆している。それは決して国家の廃絶という大それた目標を主眼においたものではないが、現在をより開かれた過去・未来へ繰り延べ、生を肯定するための契機となることは間違いない。nowhere=ユートピアはnow-here=今・ここにその萌芽を見せている。アフリカ哲学は生の根幹において、私たちと共振し、きたるべき未来への応答を迫っているのである。

参考文献

Ayewa, Camae & Philips, Rasheedah(2017)「タイムトラベルとアフロフューチャリズムが導く未来」i-D.(2021年7月25日閲覧)
Lozano, Kevin (2016). “Moor Mother: Fetish Bones Album Review”, Pitchfork.(2021年7月25日閲覧)
Philips, Rasheedah (2015). “Black Quantum Futurism: Theory and Practice - Part One”, Black Quantum Futurism: Theory and Practice, Vol. 1, pp. 11-30. Philadelphia: Afrofuturist Affair.
———— (2021a). “Expanding Black futures requires ending racist housing policies that plague Philadelphia”, The Philadepphia Inquirer.(2021年7月25日閲覧)
———— (2021b). “Reconfiguring Space, Time, and Justice for Liberatory Housing Futures”, PACDC Magazine.(2021年7月25日閲覧)

浅羽通明(2004)『アナーキズム——名著でたどる日本思想史入門』.ちくま新書.p. 84.
高橋勇人(2018)「周縁から到来する非直線系——アフロフューチャリズムの思想的背景と議論」『ele-king』vol. 22.Pヴァイン.pp. 110-112.
デュボイス,W.E.B.(1992)『黒人のたましい』(木島始・鮫島重俊・黄寅秀訳)岩波文庫.
毛利義孝(2018)「ポール・ギルロイから最近のイギリス現代思想事情までを語る」『ele-king』vol. 22.Pヴァイン.pp. 129-139.


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