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  • 「来るべきアナキズムのための読書会(来ア会)」議事録

    「来るべきアナキズムのための読書会(来ア会)」の議事録です。 第1回(7/18): 椿進『超加速経済アフリカ』(不掲) 第2回(8/18): サンスティーン『入門・行動科学と公共政策』 第3回(10/22): レーニン『国家と革命』 第4回(11/29): 笠井潔『国家民営化論』(不掲)

  • 高校時代に書いた短編集

    高校時代(2016.4〜2019.3)に書いた短編小説をまとめたものです。

  • ハキム・ベイ『T.A.Z.』読書会

    ハキム・ベイ『T.A.Z. 一時的自律ゾーン、存在論的アナーキー、詩的テロリズム』の読書会議事録です。

最近の記事

生=運転=性愛=社会=返済=生…──モデスト・マウス初期詞論

 本記事の目的は、モデスト・マウス初期の歌詞の構造、および、その歌詞の周囲を経巡っているような極をとらえることである。そして、そのような構造、あるいは極が、まるで私たちとは無縁ではないことをも、明らかになるはずである。  ここで言う「初期」とは、初のメジャーリリースとなった《The Moon & Antarctica》(2000)以前の時期、つまり、1996年3月26日発売のシングル《Broke》に始まり、1998年5月5日発売のシングル《Never Ending Math

    • ナンバーガール◎感傷の渦、現前する青春

      (本稿は、大阪大学感傷マゾ研究会発行『青春ヘラ』第2号掲載の同名の論稿に加筆・修正を加えたものです) 0 福岡県博多市で結成されたロックバンド=ナンバーガールは一九九九年にメジャーデビューし、そのわずか三年後の二〇〇二年に解散した(以下バンドに関する基本情報は省略)。活動期間が短いながらもそのエポックメイキングな音楽性は現在にいたるまで脈々と多くのバンドに受け継がれており、間違いなく国内のシーンを塗り替えたバンドの一つである。金切り声のようなギターの鳴り、がなり立てるメガネ

      • 全ての性器が着脱可能になった世界の純猥談

        これはわたしが、大好きだったひとをあきらめた話だ。 わたしが好きになったひと(以下「先輩」)がML5型であるとわかったのは、サークルの飲み会の三次会で友達と別れ、なんとなく先輩の家に一緒に向かったあとだった。 あんなにがさつな性格なのに先輩の家はきれいに整理されてて、カートリッジ一式が本棚の空いた部分にキチンと詰め込まれていた。先輩が冷蔵庫から出してきた、大学生がよく飲むような、4〜5時間はアルコール分解を阻害するかんじの混ぜ物の安酒をふたりであおり、映画を見ながら、わた

        • Born in the USA / Bruce Springsteen (220131)

           1984年にリリースされたブルース・スプリングスティーンの「Born in the USA」は、冷戦下の東西陣営の思想的対立(とされている)の主戦場となったベトナム戦争の傷──それは身体や精神にただ傷つけられる傷ではなく、それがなかば強制的にともなう抑圧を反復せざるをえないという意味でも〈傷〉であるのだが──が、10年以上経ったいまでも決して癒えていないことを示したという点で、アメリカン・ドリームの代理-表象(representation)として機能していた米ポップスの出色

        生=運転=性愛=社会=返済=生…──モデスト・マウス初期詞論

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        • 「来るべきアナキズムのための読書会(来ア会)」議事録
          1本
        • 高校時代に書いた短編集
          10本
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          4本

        記事

          地元ノリと稀少性──コムドットやまと『聖域』の感想

           コムドットやまと『聖域』を読んだ。内容としてはコムドットのおもなファン層である高校生を対象とした自己啓発であり、とくに想定の域を出たものではない。一読した感じ、やまとの手つきは「地元ノリ」をパッケージされた商品として首尾よく売り出すすぐれた起/企業家のそれであって、一般にいわれるようなイメージを更新するものではあった。以下は『聖域』でいわれている「地元ノリ」への私の注釈(?)である。ささやかな小論として読んでもらいたい。また本書の主張の基盤にあるコムドットやまとの生存バイア

          地元ノリと稀少性──コムドットやまと『聖域』の感想

          マフムード・マムダニ『市民と臣民』第1章

          (Mahmood Mamdnani, 1996, 𝘊𝘪𝘵𝘪𝘻𝘦𝘯 𝘢𝘯𝘥 𝘚𝘶𝘣𝘫𝘦𝘤𝘵 : 𝘊𝘰𝘯𝘵𝘦𝘮𝘱𝘰𝘳𝘢𝘳𝘺 𝘈𝘧𝘳𝘪𝘤𝘢 𝘢𝘯𝘥 𝘵𝘩𝘦 𝘓𝘦𝘨𝘢𝘤𝘺 𝘰𝘧 𝘓𝘢𝘵𝘦 𝘊𝘰𝘭𝘰𝘯𝘪𝘢𝘭𝘪𝘴𝘮, Princeton University Press, より、CHAPTER 1: INTRODUCTIONを訳出) はじめに──アフリカの隘路をとおして考えるアフリカの現在の苦境についての議論は、おおよそモダニストとコミュニタリアンという、二つの明白な傾向のもとに展開し

          マフムード・マムダニ『市民と臣民』第1章

          210223 (未完)

           世界は有るよりは無い方が好いばかりではない。出来るだけ悪く造られている。世界の出来たのは失錯である。無の安さが誤まって撹乱せられたに過ぎない。世界は認識によって無の安さに帰るより外はない。一人一人の人は一箇一箇の失錯で、有るよりは無いが好いのである。個人の不滅を欲するのは失錯を無窮にしようとするのである。個人は滅びて人間という種類が残る。この滅びないで残るものを、滅びる写象の反対に、広義に、意志と名付ける。(森鴎外「妄想」)  そして私の拒絶を一層強調しようとして、私は足

          210223 (未完)

          松本卓也『人はみな妄想する』読書メモ

          序論・ラカン ≒ フロイト+サルトル  ・無意識(構造)+主体(実存)=「無意識の主体」→鑑別診断における「主体」の重視   ・(症状の中に現れる)主体と関係する知 ・大文字の他者 l'Autre=自我と同じ水準には存在せず、主体とのあいだに象徴的な関係を取り結ぶ存在  ⇔小文字の他者 l'autre=日常生活のなかで出会う他人、自我と同じ水準にいる存在 第一部・フロイト「神経症の症状には意味がある」  ・〃「精神病には(神経症のような)象徴的作業による媒介がない」  →ラ

          松本卓也『人はみな妄想する』読書メモ

          軽さとギャルのポリコレ──『着せ恋』について少し

           自分自身女装=コスプレをしているのもあって『着せ恋』を最近見ている。作画はめちゃくちゃ良いし、ギャルもあまりにえっちなのだが、一点気になったことがあるので軽めに書く。  かいつまんで言うと、メインキャラであるギャル(喜多川海夢)のコスプレの対象はギャルが好きなエロゲのヒロインなのだが、そこにあまりに屈折がなさすぎる、ということである。第一話(二話だったかな)で人形服の仕立てを頑張っている主人公の男の子に海夢はとりあえず詰められはするのだが、海夢はギャル一般の軽やかさで「え別

          軽さとギャルのポリコレ──『着せ恋』について少し

          ブラック・クアンタム・フューチャリズムの理論と実践 (210725)

           アフロフューチャリズム(afrofuturism)は20世紀中頃より、アフリカ系アメリカ人がその思想的支柱をになってきた諸芸術における一分野、あるいはそこで表現されるディアスポラ思想である。いみじくも毛利嘉孝が「スペキュレイティヴな反人間主義を、啓蒙主義の時代からいまにいたるまで『人間』のカテゴリーから周縁化され、場合によっては排斥されているストリートの人びとの思想」としてアフロフューチャリズムを位置づけたように[毛利 2018: 138]、多分にそれはカウンターカルチャー

          ブラック・クアンタム・フューチャリズムの理論と実践 (210725)

          オタク論の手すさびとして (210207)

          (2022年1月31日追記:数人の友人用にプレゼンしたときのスライドを末尾に付しました) オタク論の手すさびとして (210207)  近年のオタク作品において主人公-ヒロインの取り結ぶ関係性は、おおざっぱにいえばeither (どちらか)-both (どちらも)-neither (どれでも)の流れとしてまとめることができる。  まず「either」の主体性について。90年代からゼロ年代にかけてのエロゲー作品では、最終的に主人公はただ一人のヒロインと交際関係を築くことが求め

          オタク論の手すさびとして (210207)

          来ア会第3回『国家と革命』読書会議事録

          (以下は2021年10月22日に行なった『国家と革命』読書会の議事録です。第二回・サンスティーン『入門・行動科学と公共政策』読書会の議事録はこちら(けいそうビブリオフィルに掲載)。本文中の不明な箇所は脚注でなるべく補うようにしましたが筆者の力量ゆえ限界があります。悪しからず) 参加者 川ト三水(@kawaurasansui) キュアロランバルト(@welcome_to_neet) 小峰ひずみ(@clinic_hizumi) ブロードウェイ・ブギウギ(@B_boogie_wo

          来ア会第3回『国家と革命』読書会議事録

          工場日記(2019年末)

           二日目も、きのうと同じ配置につくように言われた。つまり、焼成機をくぐってコンベアで運ばれてくる鶏の唐揚げをトレイに四かける五=二〇個ずつ並べ、それをラックに詰める、という仕事を日がな一日つづけなければならないということである。三〇分ごとに芯温計で唐揚げの温度を計り(八五度以上でなければならない)、一時間ごとに二、三分程度の休憩をとり、十二時には昼食のため現場を抜け、一時頃に戻ってきてまた同じ配置につく。  初日のうちは、このあまりに無為としか感じられない仕事に、精神がゴリゴ

          工場日記(2019年末)

          むせかえる (210627)

           二度も延期された軽音サークルの二年生ライブが一〇分休みに入った。私は入口で渡されたドリンク券を欲しくもないコーラと交換し、エントランスの壁のくぼみに身体をすっぽりはめ込んでちびちび飲み始めた。年末にサークルを引退した三年生の男女が、フロアから出てきながらついさっき出演したばかりのコピバンの話をしていた。「トニー、ドラムうまいよなあ……」「美砂の網タイツめちゃくちゃエロくなかった?」男女は私の目の前を行き過ぎてタバコに火をつけ、ソファに腰を落ち着けた。 「ケイスケまだ来ないの

          むせかえる (210627)

          ベケットの「消尽」とその可能性

          1. はじめに 本稿ではアイルランド出身の劇作家・小説家・詩人であるサミュエル・ベケット(Samuel Beckett、1906-1989)の諸作品に共通してみられる「消尽」概念と、1979年の散文作品『伴侶』(英題Company、仏題Compagnie)に焦点をあてつつ、彼の思想がジェンダーの観点からどのように読み解けるかを試みる。ベケットは作品を執筆したあと、それを英語からフランス語へ、フランス語から英語へ手ずから翻訳をするのが常だった。そのため本来は原書にあたって二か国

          ベケットの「消尽」とその可能性

          ハキム・ベイ『T.A.Z. 一時的自律ゾーン、存在論的アナーキー、詩的テロリズム』読書会(4/4)

          p.187(TAZ/一時的自律ゾーン)〜終わりまで レ(ガスピ):この章はそれまでと比べるといかんせん読みやすいですね。ハキム・ベイの思想の核がわかりやすい部分だと思いました。 キュ(アロランバルト):今までのビラと違ってこれまで回避してきたTAZの定義をしていますね。これまでの体系づけられることへの反感がないというか、わりと理路整然と語っている感じがあります。 虚(ペン):アナキズム、ドゥルーズ・ガタリの思想だとか、あとはサイバーパンクとネットとウェブの話とか、それまでほ

          ハキム・ベイ『T.A.Z. 一時的自律ゾーン、存在論的アナーキー、詩的テロリズム』読書会(4/4)