見出し画像

帝王切開で産んだ私へ

『無事に産まれてくれればそれだけで十分』

心からの言葉に一つも嘘はない。

でも、もし叶うなら『普通の』お産が出来たらって多くの妊婦さんが思うのではないか。少なくとも私はそう思っていた。

妊娠後期まで逆子だった娘。先生には『逆子だね、多分帝王切開になるね』と言われていた。産院で受けたプレママ教室では当然のように自然分娩の話が中心。もちろん自分の事と捉えられず素直に聞けなかった。10人以上いる妊婦さんの中で、逆子は2人だけ。少数派なのもなんだか心細かった。

8か月に入った頃の検診で、なんと娘の逆子が治っていた。確かに4日前の夜、内臓がひっくり返ると思うくらいお腹の娘が暴れまわっていた。『痛い、、お腹蹴り破られるかと思った』と伝えると夫は大袈裟な、と笑っていた。きっとあの時だ。よかった。下から産めるのか、とホッとした。

それから入院準備や赤ちゃんを迎える準備に忙しくしていたらあっという間に時はたち予定日。そろそろかな、と陣痛がつくとのジンクスの、焼肉を食べオロナミンcを飲んだ。せっかくの妊娠生活のフィナーレ、エビデンスがないことにもイベントとして乗っかっておきたいのだ。やっぱり夫は笑っていたけれど。

お察しの通りその日は何もなく、何なら1月に産む予定だったのに2月。あれ?と思いながらお気に入りのカフェで2月から始まるいちごサンドを頬張る。この時だけはちょっとだけよかったーって思った。だって予定通りなら食べられなかったから。

その時期になると、さすがに検診も3日置きくらいになっていたように記憶している。助産師さんに『全然下がってないね』『全然張ってないね』と言われる。確かに痛くないし、下がってきた!とか、おしるしが!とか一切ない。みんなそんなものなんじゃないのか?初めてだから全然わからない。いつの間にか同じような人はいないか検索魔になっていた。もう、わからな過ぎて先生を信じるしかない。

そんな頼みの綱の先生についに告げられる。『このまま産まれなかったら、何らか手助けしてあげないといけないね』どうやら、出てきたい時に出ておいでーと待っていていい期間はそろそろ終わるらしい。

先生から提案された『手助け』は2つ。1つは促進剤を使う事。もう1つはそのまま帝王切開をする事。

『あなたのようなケースだと、促進剤を使っても産まれず、その後帝王切開という可能性が高い。それが母子ともにリスクになる可能性がある。』そう付け加えて。ここには詳しく書かないけれど、理由として、現在の私の状況も丁寧に説明してくれた。

やっと逆子が治り『普通に』産めると思っていたのに。体重管理もがんばったし、一度も糖もタンパクもでなかった、何ならめちゃくちゃ歩いたのに。今までのことが頭の中を駆け巡った。でも、促進剤でも生まれる可能性もあるんですよね、頭の中の言葉が大きくなりかけた時、

『ここで選ぶ帝王切開は、お母さんが子供のリスクを引き受けるってことだよ。』おそらく半分慰めもあったかもしれない、先生がそう私に告げた。

お腹の娘は、初期の切迫流産でこちらが諦めそうになるくらい大量出血したこともあったけど頑張って成長してきた子。今度は私が頑張ろう、先生の言葉で決めた。隣で聞いていた夫も同じ思いだったようだ。でも、私が帝王切開にするというまで何も言わずにいてくれた。

決めてからも『もしかしたら、陣痛が来るかもしれないから』と娘の無事を確認しながら先生はギリギリの日まで待ってくれた。ギリギリまで私の気持ちを汲んでくれる先生に感謝しかなかった。

娘の誕生日と決められたその日の朝、やっぱり変わらず娘は元気に私のお腹を蹴り倒していた。

いよいよ出産する。そう思うと楽しみな反面憂鬱だった。別件で開腹手術を経験していた私は、あの麻酔の感覚を、術後の痛さを思い出していた。あの時出会えたのはパンパンにはれた盲腸だったけど、今度は待ち望んだ娘に会えるのだから、と言い聞かせいざ病院へ。

助産師さんに『ははっ、全然下がってないね〜、生まれる気ないね』処置をしてもらいながらあっけらかんと言われた全く遠慮のない言葉に救われた。ここまで言われると諦めもしっかりついた。

予定時間を1時間ほど過ぎやっと呼ばれ手術室へ。先程の助産師さんがいて何となくホッとする。今度は『せっかく授かった子だから頑張ろうね、よかったね』とふさわし過ぎる言葉を不意に送られ、早々泣いてしまった。そして先生が到着。ここから私にできることはなく、ただ祈るのみ。盲腸より大きい赤ちゃんは結構ぐいぐい体を揺すられ、押し出すのだなぁと、必死に耐えつつ出産。先生の手によって、まだまだお腹に居たかった娘は救われた。

そこから何日か痛くて痛くて苦しむのだけれど、そこは割愛するとして。娘は念のため保育器に入れられたため、パパとなった夫はすぐに抱っこできなかった。ナースステーションに申告すると抱っこの機会を作ってくれるので、私が歩行器で歩けるようになるのを待ってすぐその機会が作られた。

いつも笑っていた夫が本当にポロポロ泣いていた。よかった、かわいい、それだけ言って。ずっとこの子の誕生を、私より待ち遠しく待っていたのだ。私は、この子を産めて、よかった。一緒に泣きながらそう思った。

『普通』に産みたかった、陣痛経験してみたかった、多分本当に経験した人に言ったら怒られるだろうけど。でも、私は私の選択に誇りを持って出産ができた。先生の言葉のおかげだと本当に感謝している。妊娠出産、言葉にしてしまえばたったそれだけだけれど、人それぞれ物語があって、誰かと比べられるものではない。友達に話しを聞いてもこんなことが起きるなんて、嘘でしょ、何でこんなにそれぞれと違うんだろうと、びっくりする。

でも2つ共通していることがあった。1つは大変だったっていうこと。妊娠出産通してずっと大丈夫だったっていう人も稀にいるかもしれないけれど、少なくとも私の周りではそう。そう思うとリスペクトしかない。そして私のことも褒めてあげていいんじゃないかなって思う。

もう一つは赤ちゃんの顔を見てよかった、安心した、と思ったということ。こう思えたのは周りのサポートだったり、赤ちゃんの頑張りだったり、色々な運もあるかもしれない。自分もそう思えたことは本当に感謝しかない。

帝王切開だよっていうと『大変だったね』と言われる。でもみんな大変だった、みんな頑張ったねでいいよねって思う。命の淵を彷徨った話も聞くことがある。本当に生きていてくれてありがとうと思う。人の努力や大変さに優劣や順位をつけないのが当然のように、自分の経験にも優劣をつけなくていいんじゃないかな。なかなかお腹から出てこなかったのんびり屋の娘が教えてくれたこと、きっと忘れないでね。

帝王切開で産んだ私へ

この記事が参加している募集

スキしてみて

子どもに教えられたこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?