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おかあさんをやめて旅に出ます~タダノワタシ日記①

とっぴょうしもないことを言い出すのに定評のあるわたしでもさすがに、ここ数年ずっと迷い続けて言えなかったことがある。

『おかあさんを、やめたい』


はい?

???

だよね。


でも言っちゃいました、このたび。

2020年10月10日。
ゾロ目の節目に。

そうわたし、今月、晴れておかあさんを辞めさせていただきます。

ーーーーー

時をさかのぼること、5年前。
娘が小学校へあがる年の4月、わたしたちはふたりで神戸へ越してきた。
それまで住んでいた場所へ、夫をいわば置き去りにして。

おかあさんと、妻と、社会人、と。
毎日ぎゅうぎゅうのスケジュールで、ぐるぐるといろんな役割をこなして。
6年間、無我夢中で走り抜けてきたけれど。

ほんとのわたしは、どれでもなかった。

あまりにもしんどすぎて、すべてを抱えきれなくなって、折れそうな腕を守るためにまず "世間一般の、常識的な妻"という役割を捨てることにした。

夫には、自分の夢を道を切りひらく力も、ひとりで生活するための力も備わっている。
彼なら、大丈夫。
勝手にそんな判断を下してわたしは、自分のわがままを通した。


わたしはどうしても、生まれた街、大好きな神戸で、暮らしたい。

ーーーーー

そうして、神戸での娘とふたりきりの生活がはじまった。

そこからの数年間は、娘が小学校という新しい器になじむため、全力でサポートしてきた。

関東から関西へ。
生きる場所が変わり、安定した生活の基盤をつくりあげるため、母子で必死に、手探りで歩いてきたような気がしている。

そのうち夫も加わってくれたら…という淡い期待は、泡のように消えた。
彼はわたしのわがままからはじまった二重生活のために、必死で働いてくれていた。すべてはわたしの願いを叶えるため。

思い描いたのとは違う方向だったけど、彼なりに全力を尽くしてくれた結果、わたしの『社会人』という立場はほとんど必要がなくなっていった。

わたしは、おかあさんだけに専念すればいいんだ。

ーーーーー

自分についたカタガキがなくなるのって、どんどん身が軽くなることなんだって思っていた。はじめは。

正直、楽勝だと思っていた。

だっておかあさん、一本でいいんだもの。

不器用ながらも残ったそのカタガキのみを必死で守り続け、こどもと向き合ってきたつもりでいたのだけれど。

やってみたら実際は、カタガキが減るのと比例するかのように、隠れていた本来の わたし が顔をのぞかせ始めた。

いつのまにか膨れ上がった わたし は、なんということか、その場所すらもきゅうくつに感じるようになってしまった。

やれやれ、どうしたもんかな。

そこで、思い切ってわたしはこんな宣言をした。

それなりに、ガス抜き効果はあったように思う。

彼女とは、時間をたっぷりかけて、向き合ってきたつもりだ。

ちょっとばかし自己主張の強めな、誰にも御されないぞ!という気概を持った、生まれたての魂と。

そう、それはわたしとそっくりの、もうひとつの魂。


だからそれはきっと、もう一度、生まれてからの わたし をも見つめなおす作業であって。

きっと娘と向き合うことで、あの頃報われなかった幼い わたし までもが、まとめて一緒に癒されてきたのだろう。


こどもはいつのまにか大きくなって、手を放してもひとりで歩けるようになっていた。

大丈夫。もう、ここからは、ひとりで行けるよ。

ーーーーー

さて、ではわたしはどうだ?

わたしの中のわたし、本当の声はなんと言っている?


おかあさん、をやめたい。
もう、ぜんぶ手放したい。


それが聞こえた時、心底こわかった。

決して口に出してはならない声のような、気がした。


こどもを、捨てる。


それは母親にとって、最大のタブーだ。

わたしたちが生きるこの世界で、物語でも実話でも、たとえどんな理由があるにせよ、それは一番赦されることのない罪、として描かれてきた。


わたしは直接、実際に捨てられたこどもの声を聴いたわけではないけど。

なんとなく、それをしてしまった母親は最低で、されたこどもはかわいそう、ということになっている。
父親がこどもを捨てるより、もっともっと罪深い行為とされている。


なぜなんだろう。

わからないけれど、そこは、決して手を出してはいけない領域のような気がしていた。


だから。


わたしは自分の声を聞こえなかったことにして、本当の気持ちをごまかしながら日々を送り続けてきた。

ーーーーー

そんなある日、このひとのこのことばに出逢った。

だめだ、刺さる。
あれも、これも。

まるで全部がわたしに向けて書かれているかのようだ。

夢中でそのことばたちを追いかけた。

やりたいことがわからないひとでも「やるのが怖いこと(だけど本当はやりたいこと)」ならあると思います。誰かに告白をするとか、嫌いな仕事を辞めるとか、恥ずかしいと思ったことをやるとか。これを私は「1日1F」と名付けていて、Fとは『FEAR(恐怖)』のFになります。

そのことばたちに出逢って、わたしは変わった。

逢いたいひとに、逢いにゆく。

やりたいことは、すぐにやる。

ここ、noteでことばを綴るようになったわたしは、どんどん自分の心の本当の声を聴いて、それを出せるようになっていった。

心の声をそのまんま出していたら、どんどんやりたいことが出てきて、それを口にすることで願いがどんどん叶ってゆく。

びっくりした。こんなにも自由な世界が、あったなんて。

本当の願いは決して口にしてはならない、と自分に言い聞かせていた昔のわたしに教えてあげたい。


やりたいことを、やりたい、って言ってもいいんだよ。

ほしいものを、ほしい、って言ってもいいんだよ。


素直な気持ちを口にすること、わたしはそれをいろんなひとから、特に、生まれたての魂をそのまんま失わずに生きている娘から、教えてもらったような気がしている。

ずっと、こわくてできなかったこと。

やってもいいんだ。


許可を出すのは、わたし。

そう思えるようになったおかげで、ずいぶんと肩が軽くなった。

ーーーーー

それでもやっぱり、こわくてこわくて、最後にひとつだけ手放せないものが、まだあった。

おかあさんを、やめたい


それは最後まで残ったカタガキのなんにもついてない わたし の、ほんとうの気持ち。

言ってしまったら、終わりのような気がしたそのことばを。

とうとう、口にしてみた。

なんだかようやく本当の意味で、自由になれたような気がした。


さて、これからは。


わたしを見つめる旅、に出ると決めた。

わたしがわたしと、向き合うために。


おかあさんでも、奥さんでも、ないただのわたし。

時間や心を、懸命に探したなにかで埋めるのではなく、満たされて自然になにかが自分からあふれてくるようなわたしへ。


変わりたい。
ここから。


だから、わたし、おかあさん、やめます。



ただのわたし、として歩いてみます。

これからのわたしの旅を、ここで綴っていくつもりです。


誰に、何と言われても。

これが、わたしです。

そう、胸を張って歩いていけるように。


この世に生まれた意味、喜怒哀楽の感情のうねり、他者と自己の混ざり合い、それらすべてを受け止めて。



さあ、わたしの旅が、はじまる。




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