立つための覚悟
自分のことを、ずっと誤解していた。
昔から、スポーツはわりとなんでも器用にこなせる方だった。
小学生の時は休み時間ずっと男子とばっかりグラウンドで遊んでいたし、中学では文化部だというのに部員が足りなくなったバレー部に3年生になってから駆り出されたし、高校にいたっては午前いっぱいサボって午後から体育の授業のためにだけ登校するのが常だった。
バスケ、サッカー、バレー、ドッジボール、バトミントン、テニス。
どんな競技であっても、わたしの基本スタイルは、防御に力を使わない。とにかく攻めまくる。それが大きな特徴。
そう、攻撃は最大の防御なり、を地でいくタイプ。
わたしの人生、常に攻撃しているから何事においてもあまりダメージを受けないのだと思っていた。
ところが。
最近出逢えたいろんなひとと、これまでの人生について語っていくうちに、それが大きな誤解であったことに気づいた。
実はわたし、防御はオートで無意識にされていて、そのための危機察知センサーなるものが異常に敏感らしいのだ。
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危機察知センサーって??
それは、自分の身の周りを常に感知している自動防御システムの一部。
近づいてくるひとや周りで起こる出来事を鋭く観察し、いち早く異変に気づき、違和感を感じたら即座にアラームが脳内で響くようになっている。
思えば昔からわたしのその能力は高く、物心ついた時から少しでも怪しいと思うひとやものには注意深く近寄らないようにしていた。おかげであの時あの判断が自分の身を守れたな、と感じる実際のエピソードは、ひとつやふたつではない。
最近になって、頻繁にうちに来るいろいろなひとたちの話を聞いていくうちに、人生で他者に傷つけられることが多かったひとの特徴として、その危機察知センサーの感度が鈍かったり、そもそも防御システム自体が壊されてしまっているというケースがとても多いな、と感じるようになった。
なぜひとにとってそんな大事な自動防御システムが壊れてしまったのかと言うと、それはたいてい親の影響を多大に受けているような気がする。
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守られるべくか弱きものとしてこの世に産み落とされ、ひとが人生ではじめて出逢う、庇護してくれるはずの親という存在。
その肝心な親、がまず生育不全の状態でそこに在り、こどもを守り育てることができない状況に置かれている場合に、悲劇が生じる。
こどもが本来得られるべき安定した生育環境がそこに無く、また周囲にもそれに気づかれることなく不安定な状態に長い間留め置かれるとどうなるのか。
環境に順応してしまう悲しい特性を持つこどもは、自らの意思を圧し殺して、明らかに生育不全なのに名目だけは親、という不条理な存在に従うしか術はないと思い込んだまま成長してしまう。
親の顔色を伺い、どうしたら平穏な日々を過ごせるかだけを最優先し、生き延びるために無意識に自我を殺して、常に相手の意図を読む癖が身体の隅々にまで染み込んでゆく。
危機察知センサーが警鐘を鳴らしていたとしても、次々に降りかかる目の前の問題にひとつひとつ対処していくためそれに気づかないふりをして、いつのまにかアラームの発動を自ら止めてしまっていたりするのだ。
これまでに、そんな状態で防御システムが壊れてしまっているひとを何人も見てきた。
それはまるで無理やり合わない靴を履かされ続けて、いびつにねじ曲げられた纏足のような状態で。
幼少の頃からずっと痛みに苦しみ耐え抜いて、たとえ完成してもひとりで満足に歩くこともままならず。大人になってからようやく「あれはおかしな風習だった」と解放されたとしても、ねじ曲げられた足が元に戻ることは二度とない。
いったい、それは誰のせいで、どうしたらその足は救われるのか。
答えは探しても探しても見つからない。
そういうものだ。
一般的に虐待、とか、洗脳、とか支配、などと呼ばれるものは、それを受けたことがあって必死に生き抜いてそこから逃げ出してきた当事者にすら、永遠に答えを見つけることのできない問いなのではないか、そんな風に思う。
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わたしは、サバイバーなのかもしれない。
そう思い始めたのはだいぶ大人になってからのことで。
それまでは自分がサバイバーであるという自覚すらなかった。
精度の高い危機察知センサーと生まれ持った強い攻撃性のおかげで、戦略的に相手との距離を見計らい、致命的なダメージを受ける前に被害を回避することができてきたからだ。
普通のひととはずいぶん異なる体験をしてきたとは思っていたけれど、それはたまたま生育環境が特異なものであっただけで、自分の経験が誰かの参考になるとはまったく感じていなくて。
わたしは、たまたま変わった環境に生まれて、たまたま運良くまあまあ普通に生きられるようになっただけ。そんな風に思ってきた。
けれどいろんなひとと出逢って、自分の体験とひとのそれとを比べて、あれ?やっぱりこれってフツウではないのかな。もしかして、例のヒサイシャ、の論理と同じなのかも?って、ようやく自覚することができるようになって。
そうか、わたしの被害なんてこの程度だって低く見積もるんじゃなくて、堂々とサバイバーでしたって言ってもいいんだ。
そのことに気づいてからは不思議と、いわゆるサバイバーと呼ばれるひとたちと出逢うことがさらに増えた。
そしてそういうひとたちと話をしていくうちに、あまり参考にならないと思い込んでいた自分の経験をちゃんと話して、他者と分かち合うことで、誰かのあわなくてもよい被害や体験を未然に防げることもあるのかもしれない、と思うようになった。
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わたしにできることは、なんだろう。
わたしのしたいことは、なんだろう。
答えはすぐには見つからない。
けれど、ひとつだけ確かなこと。
わたしは、わたしにいまできることをやりたい。
寄り添いたいのはいつでも、昔のわたし、みたいなひとびと。
たとえば、泣きたいときに泣けないこども。
ひとりで闘っている自覚すらない、こどもの心を殺しながら生きているこども。
そんな子がいたら、「まあ座って一緒におやつでも食べない?」って、誘ってあげたい。
たとえば、ひとりで息が苦しくなっているおかあさん。
2本しかない腕で、抱えきれない大きな荷物を持て余しているおかあさん。
そんなおかあさんを見たら、「息を深ーく吐いて、荷物の片っ方持つからさあ貸して!」って、背中に掌をそっと当てながら一緒に歩きたい。
それっぽっち。
そう、いまは、まだ。
たぶんそれくらいのちいさなことしかできないけど、それでもいま、できることを、すぐにやりたい。去年あたりから切実に、そう思うようになった。
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新年の抱負。
継続とか、こつこつとかが一番苦手なわたし。
だからいつも目標、とか信念、みたいなものを年始に誓う、なんてことはしない。神社でもお寺でも、願い事はしない。ただ、いつでもご挨拶をさせてもらうだけ。
けれど、今年のわたしはちょっとだけ違った。
叶えたい願いが、いまここにあるから。
大嫌いだった"信仰されている存在"というものに、はじめて「お願いします」と心のなかで唱えてみた。
願いがもしも叶うなら、大事にしてきた古いわたしを捨てても構わない。
神様でも仏様でも、お天道様でも、なんだっていい。
誰でもいいから、どうかわたしに力をお貸しください。
そして、わたしが誰かの力になれるようにしてください。
そんな気持ちで、新たな年を迎えた。
さて、わたしの願いが叶うかどうか。
それはきっと、これからのわたしの行動にかかっている。
願ったからには、やるしかない。
ひとに手を差しのべるには、まず自分がしっかりと立つこと。足場を固めて、やれることをひとつずつ、やっていくこと。それしかない。
あれもこれも、欲張ってもたいしたことは、なにもできない。
どんなにちいさな一歩でも、踏み出すために。
行こう。
わたしの行きたい方へ。
わたしの一歩が、いつか誰かの通り道になるように。
その足跡が、どうか踏み出す勇気になりますように。
今年もここで、この場所で。
一緒に歩いていきましょう。
サポートというかたちの愛が嬉しいです。素直に受け取って、大切なひとや届けたい気持ちのために、循環させてもらいますね。読んでくださったあなたに、幸ありますよう。