見出し画像

自分ファーストのススメ~タダノワタシ日記④

旅から戻ってはや5日、時間が流れるのがあまりに早すぎてびっくりする。

旅はどうしたって非日常で、戻ってあれこれしなきゃいけないこと、に飲み込まれていたら、日常をまわすってことを思い出した。

そうだ、こうして日常に飲み込まれてしまっていたら、いつのまにかやりたいこと、とか本当の気持ち、とかに鈍感になり、そのまんまの自分で生きることが難しくなるんだ。

この旅で、わたしの中に生まれたのが、自分ファーストという概念。

自分ファーストとは、常にわたしがどうしたいか、を頭において生きること。そしてそれを実現するために、動くこと。

これってできているようで、おかあさん、とか妻、とか、ついたカタガキにとらわれてしまっていると全然できないもの。

そして、できていないことに気づけていないと、その概念すらいつのまにかどこかへ消え去ってしまって、窮屈さや息苦しさに無感覚になってしまう。

これが、ずっと言語化できない苦しさ、の正体だった。

ーーーーー

旅は非日常。だから、自分ファーストがとてもわかりやすい。

たとえば。

朝、起きる。

お天気が良さそうだからちょっと朝陽を見に行こう、とか、今日は眠いしもう少しゆっくり寝てから起きよう、とか、自分の心に聞いて決める。

朝ごはんを食べながら、時間に追われることなく今日はなにがしたいか、を考える。

そうだ海が見たいからあそこまで海沿いの道を走ろう、とか、ちょっと足を伸ばして良さそうな温泉に行ってみよう、とか、その解はどこまでも自由だ。

こどもがいるからこの店はちょっと無理かも…とか、夫はその場所に興味がないかもしれない、とか、いちいち考えなくてもいい。そこにカタガキ、がさしはさまれる心配がない。そうすると、本当にしたいこと、しかやらなくていいし、自分の願いがすんなり出てくるようになる。

わたしは、旅に出るまでそんなシンプルなこともすっかり忘れてしまっていたのだ。

あなたはいま、なにがしたいのか、という問いに対して、どれだけの反射スピードで答えが出せるか、は自分ファーストで生きられているかどうかの判断基準になると思う。

その時間が短ければ短いほど、自分ファースト、ができている証拠。

これは自分にとって、大発見だった。

ーーーーー

その昔、自分ファーストを殺されながらずっと生きてきたわたしは、もうこれ以上心を殺してしまうとわたし本体が消えてしまう、というすんでのところで、たぶんアラームのようなものが鳴り響いて救われたんだと思う。行く手を阻もうとするものと死に物狂いで闘い、自分ファースト、をこの手で勝ち取って生まれ変わった。

そこから約20年、ずっと自分ファーストを貫いて生きてきたわたしは、そのあと妻というカタガキ、おかあさんというカタガキを得てゆき、いつのまにかまた自分の気持ちをこんなにも殺しながら生きてきてしまっていた。

なぜ気づかなかったんだろう、こんなになるまで。


誰に強要されたわけでもない。 

夫も、こどもも、誰もなにも悪くない。

けれど。


これは、緩やかな自殺だ。

自分で自分を殺してゆく。

自分ファーストを忘れて、酸素がどんどん少なくなってゆくのに、息の吸い方がわからない。

そんな恐ろしい緩慢な殺人を、誰でもないわたし本人の手で行おうとしていたことに、旅に出たことでようやく気づけた。

ーーーーー

旅は非日常でもあるけれど、人生はそれ自体が旅であり、それは日々のこと、すなわち日常で。

日常でいつも自分ファースト、を考えられるようにならなければ、また同じことの繰り返しなんだ。

それは本当に難しい。

特におかあさん、というカタガキを持つひとには。

だって、自分ファーストを貫こうとすると、必ずどこかで大きな障害にぶつかって、それを回避する手間や労力を考えると、自分の気持ちを殺して日常をまわした方が早い、とつい思ってしまうから。

けれど、そうやっておかあさんが自分を殺しながら生きていたら、必ずどこかにしわ寄せがきて、こどもや周りも苦しいし、悲しくなってしまう。

そしてそれは、そうなってしまっている当事者にはなかなかわからないものなのだ。

ーーーーー

わたしにいまできること、やらなければいけないこと。

自分ファースト、という概念を伝えること。

自分ファーストで生きていいんだよ、ってそっと誰かの背中を押すこと。

いま、呼吸の仕方を忘れてしまって苦しそうなあなたに、それを思い出してもらうこと。

画像2

そのためにわたしはお遍路を廻ることになったのかもしれない。

うちに戻ってひと呼吸おいたら、なぜだかそう思えた。

旅をしながら自分ファーストを思い出して、たくさんのひとにその概念を伝えて、旅先でたくさんのものをもらって、また還元していく。

そしてここで書いて、いま旅に出ることができない誰かにもそれを届けて、いろんなひとに自分ファーストを思い出してもらう。

画像1

わたしにしかできない旅って、なんだろう。

きっとそれは歩きながら、拾いながら、たくさんの恵みに気づいてゆく日々で。

いろんなひとと関わりながら、泣いたり笑ったり、転がって削れてまあるくなってく石みたいに磨かれていきたい。

画像3


わたしの旅は、まだまだ終わらない。


ーーーーー

旅のはじまりはこちら。


サポートというかたちの愛が嬉しいです。素直に受け取って、大切なひとや届けたい気持ちのために、循環させてもらいますね。読んでくださったあなたに、幸ありますよう。