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よくぞ、そこにいってくれた

私は大好きなアーティストの活躍にふれるたびに
「同じ時代に生きてて良かった」と思ったり
「歌手になってくれてありがとう」と思ったりします。

その人が
歌手になってなかったら、
その曲を作ってなかったら、
その音楽にふれることができなかったかもしれない。

今、こうして聴くことができてラッキー。
同じ時代を生きているおかげでライブに行ける!生の音!ラッキー。

そう思うとホクホク嬉しくなるのですが、
ふと、
「この人が歌手になってなかったら?」
と。

反対に
「もしかしたら、すごく良い声を持っているのに歌手になってない人も世の中にはいるんだよなぁ」
「本当はものすごいセンスがあるのに芸術とは無縁の世界で生きている人もいるかも」と。


野球にまーったく興味がない人が、実は豪速球を投げられてホームランだってバンバン打っちゃう力がある人かもしれない。
それはわからないけど。
なんだか不思議な気持ちになってきました。

ここで、
「声がすごく良い人が
歌手になってヒット曲に恵まれるまで」
を想像してみます。

それって、
〈才能〉と〈環境〉が揃っているうえで、

まずはその人が
⭐︎ 歌うことや曲を作ることに興味を持ったり、好きになったりして、
⭐︎ やってみたいと思って
⭐︎ やってみて
⭐︎ 「これはやっぱり面白い!好きかも!」と思って、
⭐︎ そのうえで、それを続けていって
⭐︎ 路上で歌うなり、ライブハウスで歌うなり、コンテストに出場するなりして、誰かに見つけてもらってデビューするなりしなければ、
ヒット曲の前段階までもいけないんですよね。

いくら才能があっても、そのことに興味がなかったり好きじゃなかったら、まず始めようと思わないし、
始めてみたとして、よっぽどじゃないと続けていけないだろうし。

そこにプラスして、
「タイミング」もあるでしょう。
よく、その才能が「早すぎた」という人もいるから、
ポーンとそのタイミングに乗って、
うまく進まないと辿り着けないところがあるはず。

そう考えてみたら、
今活躍中のアーティストの曲を聴いていても、
名作だと言われる小説を読んでも、
何百年も前に描かれた誰もが知っている絵画を見ても、
なんだかとても不思議な気がするのです。

noteを読んでいて、
「今まで全然書いてなかったけどnoteをはじめて書くようになった」という人の文章にふれるたび、
「うおー!noteをはじめてくれてありがとう!書いてくれてありがとう!」と思いますし、

世の中のいろいろな才能を持った方々が、
そこに興味を持って飛び込んでくれたり、
続けてくれたり、
世に発信し続けてくれてることがありがたいです。

「よくぞ、そこにいってくれた」と、
勝手に感謝しています。

皆さん、それぞれの道を選んで進んで頑張ってくれてありがとう。

道行く知らない人とすれ違うたびに、
(もしかしてこの人はすっごい才能の持ち主かもしれない)なんて妄想している私は
どこに向かって歩いているのか。

3月31日。年度末の休日。
好きな音楽を聴きながら、ニヤニヤニヤニヤそういうことばかり考えて、
今日もnoteを書いています。








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