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無能感を感じていたワタシの心の変化

腱板断裂だってわかるまで、軽く鬱みたかったな|ちぢみ (note.com)


前回の記事のつづきです。
痛い、使えない、役に立たない、なにもかも逃げてるのかもしれない、誰も理解してくれない、自分だって自分を庇いきれない……

そんな立ち位置でした。

ワタシの頭の中には、優秀な検事と、さらに優秀な弁護士が共存しています。ワタシに限らず、誰の脳内もそんなかもしれないけど……

「さあ、これをすべきでしょう? サボってないで!」 とけしかける検事がいる。ああ、そうだ、やんなくっちゃ。検事さんのいう通りだ……
ワタシが重い腰を上げようとする。と、

「ちょっとまったー!! 
 それ本当にやりたくてやるの? 誰のため? イイ人に思われたいとか、やらないとダメ人間だとかいう自己判断入ってない? みんなのためにやりたいって気持ちで動いてる? 評価されること怯えないで! 」


って、声高に弁護士さんがワタシに語り掛けてくる。優秀な弁護士さんは、常にワタシの味方なのですw

なんだけどさ、肩が痛くなってから、弁護士さんも不調!
検事さんが、ワタシを罪深い人かのように、扱いますwww

たぶん、こういう感じで、無能感がますます高まったんだろうなぁ。


介護の検索とかしてみると、
「家で看取りました」「在宅介護12年!」「ホームの対応が耐えられなかった!」みたいな記事ばかりが目に入る。
10年前、母の介護をきっかけに同居。母亡きあと、父と二世帯で暮らして来たなかで「介護になったらホームとかに入れていいからね」って言っていた父だけど、実際介護になったら、家に帰りたい、ちぢみー! 家に帰らせてくれーーって毎日いうww

だけどさ! 肩痛いんだってば!!


この堂々巡りをずっとやってた。
そしてワタシを取り囲む、無能感……


通ってる整形外科に行っても、ちっともよくならない、よし、セカンドオピニオンしよ。と、ネットで検索して、肩の専門医っていうところの予約を取ったですよね。
こういう行動力、めっちゃ早いので……

最短初診日を探し、検査してみたら、五十肩ではなくて、

腱板断裂でした。


「手術しかないです。」と言われ、その場で
「してください!!」
リハビリは1年かかりますよ。
「2年痛かったんです。よくなるためのリハビリなら1年やれます!」
「術後3ヵ月は日常生活にも支障がありますよ? 半年くらいしたら、色々できるようになります」
「どうせ今だって、支障があるので、あと3か月ってわかってるなら、ノープロブレムです!!」


そんなやりとりをして、その場で手術の日程を決めたww

嬉しかった。腱板断裂ですって言われて、めっちゃ嬉しかった。
痛い原因がわかったこと。
そのうち治るなんてないってこと。
どんなに努力しても痛みはなくならなかったこと。
介護したくないんじゃなくて、できないんだってこと。


ほっとした途端、弁護士さんが浮上!!!
意気揚々と、ワタシを弁護してくれるようになったのです。
暮らしやすいったらない。


さぼってるんじゃないんです。腱板断裂なんです!
そこを理解してもらって、生ぬるくお見守りください。


やっと自分にそれを言えるようになったら、落ち込みはなくなりました。

不便であることと、無能感は違うので、
利き手封じ込みによる不便さは、右脳と左脳にいい刺激? とか思って楽しくやれています。
無能感はないので、できなくて困ってることを、家族や友達に頼めます。
無能感はないので、父を老人ホームにお願いし、自分のリハビリが終わるまでは、お任せしますとハッキリ言えて、安心しました。
無能感がなくなったことで、座ってパソコンの前にいたり、スマホやテレビでひたすらドラマを観ていても、罪悪感はないし、むしろこの動けない今を楽しもうって思えています。


テーブルが拭けなくても、お尻が拭けなくても、どうにかなるって、と思えるように戻りました。


いやぁ、無能感って、まぢで、

恐ろしい魔物ですね。


これを小さな子供たちや疲れている人や、弱っている人に感じさせてはいけないと、超本気で思ったわぁ。

どの言葉がってことではない。相手が一番苦しんでいることがなにか、見つけることが大事なのかもね。
ワタシの場合、
肩が痛い。ちっとも治らない。のにだれも理解してくれない。でした。

無能感消えたいまは、また元通りに人生がめっちゃ楽しいし!! 憑き物が落ちたって、こういうことかもなって感じ!

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