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認められることが生きる力になる

最近ちょっとした失敗をしました。
きっと9割方の人にバカにされるんじゃないかというようなことです。
でも、バカにせずに聞いてくれる人がいてくれて、救われました。
そして、その前提として「この人ならバカにせず話を聞いてくれる」、「私の気持ちを受け止めてくれる」という信頼感がありました。

こういう信頼感が、今のこの世界には少なすぎるのではないかと思います。
つらい思いをしている人をさらに追い込むような、「あなたが悪い」、「もっとこうすればいい」と暗に言ってる言葉があまりに多いような気がします。
そんな経験をしたら、次に相談するのはますますこわくなります。


誰かに助けを求めることは勇気のいることです。
最近ニュースなどで、「悩んでいたら相談してください」と安易に伝えられることがとても気になります。
紹介されているのは、ほとんどつながらないといわれている相談窓口。
「相談してみよう」と思えるまでに高いハードルのある人が、勇気を出して相談してみようと思って、いざ電話してみたらつながらないとしたら、余計に死にたくなってしまうのではないかと心配になります。
電話がつながらないのはもちろんたまたまですが、「自分のことなんて誰も助ける気がないのだ」と、追い詰められていたらそんな風に感じてしまうかもしれません。

まして、相談した先で、ああしてみたら、こうしてみたら、と言われたら…。
提案自体が悪いことではありませんが、しっかり気持ちをお聞きする前に提案してしまうと、「それをしていないあなたが悪い」というニュアンスが伝わってしまうことありますし、疲れているのに「もっと頑張れ」と言われたように感じてさらに追い込まれてしまうこともあります。
だいたい、ほんの少し話を聞いてこちらが思い浮かぶ程度の内容は、すでにやった後なんですよね。それでもうまくいかないから困っている。

誰かの役に立つなんて、そんな簡単にできることではない、ということをこれまで何度も感じてきました。
その人が人生をかけて取り組んできたことを、たった1時間聞いただけで解決策が見つかるなんて、あるわけがありません。

できることはきっと、気持ちをお聴きして、そのつらさを一緒に感じて、よく頑張ってきたね、とお伝えすることくらいです。
でもそれだけで十分なんです。


今回自分がちょっとした失敗をして、あらためて、認めてもらえる、信じてもらえる、そのままでいいと言ってもらえるということはものすごく力になるということを感じました。
極端でなく、「死んだ方がまし」と思っていたのが、「生きていてもいいのかな」と思えるくらいに。生きる力につながると確信しています。

悩んでいるとき、追い込まれているとき、相談窓口でも道端で出会った人でもなんでもいいから、認めてくれる存在が一人でもいてくれたら、すべての人にそんな存在が一人いたら、日本はもっと幸せな世界になっていくのだろうと思うし、そうなっていくことを願っています。

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