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大切にされている感

相手が何をやってくれるかは、実はそれほど重要ではないのかもしれない。
それよりも、自分のことを大切にしてくれていると感じられるかの方が大事なのではないか。
最近そんなことをよく考えています。


最初にこのことを意識したのは、ある子どもと母親とのやりとりをみていたとき。

子どもは、おもちゃで何かを作っていて、それを母親に「見て見て」とアピールしていました。その時母親は保育士さんと話をしていたけど、子どもの呼びかけに応えて、すぐに見に行きました。子どもは、母親が見に来てくれそうだということがわかったら、もうおもちゃで遊ぶことを再開していました。

「本当に見てくれるかは大事ではなくて、自分の呼びかけにちゃんと応じてくれるかを子どもは見ているんだ……!」

とても衝撃を受けたことを今でも覚えています。


その頃から意識するようになったのが、『大切にされている感』。
すべてのことは『大切にされている感』に変換できるような気がしています。

たとえば、誰かとお茶をしているときに、相手がスマホを手にとったら、なんとなくモヤモヤします。
自分よりも大切なことがあるのかな、と感じて不安になるのだと思います。
その時に、「急ぎの仕事の連絡が入っているから、これだけ返させて」とか言ってもらえたら、安心して待つことができます。
相手がスマホを見ているという状況は同じです。でも、相手が自分のことを大切にしてくれていると感じられるかどうかで、気持ちはずいぶん違うと思います。


こんな風に考えていくと、多くのことは『大切にされている感』に変換して考えることができますし、そうすることで、自分や誰かの気持ちの背景が理解しやすくなりました。

たとえば、急に怒り出した人がいた時。その前の状況を聞いてみると、会社のルールを一方的に押し付けられて、その人の希望はないがしろにされていたりすることがあります。
もちろん会社のルールが変えられることはほとんどないので、結論は変わらないのでしょうけど、その時にたとえば
「あなたの希望が叶えられなくて申し訳ない。こういう理由でこのルールがあるから、これを変えることはできないけれど、あなたの希望に少しでも沿えることがないか一緒に考えていきたい。」
とか言ってもらえたら、ずいぶん気持ちは変わると思います。

怒ったのは、その状況が変えられないことに対してではなくて、自分のことを大切にしてくれていないことに対してなのではないかと思います。


私は臨床心理士として人の支援をすることもあるのですが、たいていの問題はそう簡単に解決できるものではありません。そう簡単に解決できないからこそ苦しんでいて、相談に来てくれているわけです。
それに対して、私は素敵な解決策を提示できるわけでもありませんし、カウンセラーの中心業務である”話を聴く”だけでは気持ちの整理がつかない人も当然いて、そういう時は、どうしたらいいんだろう、と無力感におそわれることもあります。

でも、最近は、あなたのために何かできることはないかと一生懸命考えていること、こんなこととかあんなこととか考えてみたけど役に立たなそうだと感じていること、役に立てることが思いつかなくて苦しいし、同時にどうにもできないあなたの苦しさも感じていること、など、その時感じていることをなるべく率直に伝えるようにしています。
何かを解決できるわけではないけど、でも、あなたのことを大切に思っている人間が少なくとも一人いるということを伝えたい、ただそれだけの気持ちです。
それだけでも、ほっとしてくれたり、涙を流してくれたりする人がいます

カウンセリング技法などももちろん大事なのだと思いますが、技法はあくまで手段でしかなくて、最後に問われるのは、一人の人間として真剣に目の前の人と関わっているかなのかもしれないと思います。


とはいえ、相手を大切にするというのは、自分に余裕がないとけしてできないことだとも思います。
だからこそ、よく寝て、自分の気持ちが揺れ動いているときはその気持ちとちゃんと付き合って、自分のことも大切にしてあげたいと思っています。




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