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写真展「border」徹底ガイドvol.12 見えない明日へ(border | Syria)

ここでは、別々の方面に分かれた2人のシリア難民少女のポートレートを併置しています。1人はヨーロッパに、1人は中東に逃れています。

#28 Syrian Refugee, Lesvos island, Greece 2015

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 シリアの街を脱出して国境を目指す。トルコ国内を移動して海岸の街に辿り着く。密航業者にコンタクトを取り、家族全員分の大金と引き換えに小さなボートに乗る権利が与えられる。余計な荷物は全て海に捨てられ、暗闇の中を素人が操舵するエンジンに身を任せて数時間。それでも幸運だった人々がようやくヨーロッパと呼ばれる土地に上陸することができる。写真を撮影したのはギリシア・レスボス島北部の小さな港町、スカラシカミネアスで撮影したものだ。

 海岸には小さなテント村が作られていた。オリーブの木々の間にいくつものテントが張られ、あちこちで焚き火の煙が上がっている。海から上がってきたばかりの人々がお茶を飲んだり服を乾かしたりしながら一息ついている。午前中の柔らかい光がオリーブの葉を縫うように差し込んでいて、美しい。しかしそこに集う誰もが、過酷な体験の果てに国を捨て、いままさに命がけの航海を終えたばかりなのだ。
 彼らはここで短い休息をとったあと、難民登録を行うために移動していった。この浜辺からドイツまでの距離はおよそ2000キロ。その間、どこで何をすれば先に進めるのか?細かいことは何もわからない。ガイドブックのない手探りの旅なのだ。
 地中海の美しい村に、シリアやアフガニスタンからやってきた人々が歩いている姿は、ある種異様であった。私がこの村に滞在した午前中だけで、4隻のボートが到着した。UNHCRによると、連日およそ5000人もの難民たちがこの島にやってくるという。いつ終わるともなく連日押し寄せる難民たちの姿は、のどかな暮らしをしていたレスボス島の人々にどう映っているのだろうか。
 思えば不思議なことだが、目の前で海を渡ってきた人たちは、全員が密航者なのだ。ここまで大胆に密航が認められているところがあるだろうか?国際社会は難民たちの状況をわかっていながら、トルコからギリシャへの密航を黙認し、命を失う危険性を孕んだ航海をなかば当たり前のものとして受け入れているのだ。

               (中央公論 2016.3 バルカンルート2000kmの旅 より抜粋。文体変更)

 2015年当時はまだ、この島を経由してヨーロッパ本土へ渡ることができた。この時期にやってきた人々の多くは今頃、ドイツ語も覚えて新しい生活を営んでいるだろう。(実際、私はある家族のその後を訪ねてドイツへも行った)
 しかし溢れかえる難民の群れはヨーロッパの理想そのものを直撃することとなった。目には見えない存在となりつつあったborderは再び顕在化。翌年にギリシアを訪れた際、難民たちはギリシア国内のキャンプで先の見えない日々を送っていた。

そして2020年、この展示の期間中、ギリシア・レスボス島のモリア難民キャンプは放火によって消失した。borderを越えられない人々、越えさせられない人々。時代は彼らをどこへ導こうとしているのか。

#29 Zaatari Syrian Refugee Camp, Jordan 2013

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シリアの人々が戦火を逃れて国外を目指す場合、大きく2つのルートがある。1つは北部からトルコに入るルート。トルコにも難民キャンプはあるが、新しい人生を求める人はその先のヨーロッパを目指す。
もう1つは南部からレバノンやヨルダンを目指すルート。レバノンに逃れた人々は#3で描いた。この写真はヨルダンのザアタリ難民キャンプで撮影したもの。10万人規模の巨大キャンプは既に巨大な街を形成しており、中には商店街もあれば学校もある。世界中のNGOが事務所を構えていて、水の供給や衛生、教育など様々な面でオーガナイズされている。これまで私は様々な難民キャンプを訪問してきたが、最も整ったキャンプではないだろうか。
しかし、キャンプが充実していればいいというものでもない。キャンプ内の学校はNGOが入っている分、国際的で充実している。しかし、それに見合った人生を彼らが生きるのは本当に難しい。このキャンプに逃れた大人たちの将来像も不透明だ。ヨルダンで生きていくのも厳しく、シリアへと戻っていくバスも毎日のように出ていた。

ヨーロッパと中東、それぞれのborderを越えたシリアの人々。彼らが再び同じ国で暮らすことのできる日は、来るのだろうか。



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