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Maruちゃんがくれたもの。

Maruちゃんが旅立って明日で一年。

祥子さんからの電話で、Maruちゃんとはもう二度と会えないことを知った春の晩。

あの日のことを思い出すと、今でも突風が吹くように心が乱れる。


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Maruちゃんは私にとって特別な、人生を変えてくれた存在だった。

Maruちゃんを初めて知ったのは、飼い主のジョンソン祥子さんのブログ「Maru in Michigan」だった。もう10年以上前のことだ。

いつも読んでいたsakiさんのブログで、あまりに可愛い写真が紹介されていて、軽い気持ちでリンク先へ飛んでみた。

そして度肝を抜かれた。
Maru in Michigan」はアメリカのミシガンで共に暮らす、黒柴のMaruちゃんと一茶くん(こちらは人間の男の子)の日々をうつくしい写真とやさしい文章で綴っているのだが、まず二人の可愛さに目が釘付けになった。

はっきり言って、私は性格がひねくれている。
普段なら可愛い犬と赤ちゃんの写真は素通りするタイプの人間だ。

それでも惹きつけられたのはジョンソン祥子さんの写真が過剰な可愛さみたいなものから巧みに距離を置いていたからだと思う。犬と赤ちゃんなんていう被写体を撮ったら、どうやったって可愛くなり過ぎるのが普通だろう。

だけど祥子さんは可愛さを強調することなく、むしろあえて抑え目にすることで、その効果を引き出す人だった。ある意味、とても冷静な目線で二人を観察して、引き算の美学で練られたブログなのだ。抜群のセンスと知性を感じた。

読み始めてすぐに夢中になり、数年分のブログ(その時点でも結構な分量があった)をひと晩で読んだ。読めば読むほど「可愛い」という言葉では表現しきれない奥行きを感じさせる世界観に驚嘆していた。Maruちゃんと一茶くんの可愛さに最初は目を奪われたが、私も編集者の端くれなので、そこに書かれているもの、写されているものだけでなく、書かれていないもの、写されていないものについて考える癖がある。

そう考えると、「Maru in Michigan」は実は「ほっこり」とか「可愛い」という印象からはほど遠い、緻密に練り上げられた作品ではないかと思えた。

深夜に読み始め、気がついた時には朝になっていた。寝不足と興奮のほてりで茹で上がった頭で「これは仕事にする!」と決めた。


私のような子供や動物の写真を好んで見ているわけではない(それどころか、ほぼ興味がなかった)人間があっという間に心を鷲掴みにされたということは、絶対に沢山の人に支持されるだろうと確信があった。


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Maru in Michigan」は当時も一部の犬好きの方には知られた存在だったが、祥子さんはまだ趣味の一環としてブログを書いている状態だった。私がメールを差し上げて、フォトエッセイの連載をしてほしい、まずは社内で企画を提案させていただいてもよいかと相談した時にはとても驚かれたそうだ。

そこから心強い単行本の担当者をみつけ、社内で企画を通し、連載がスタートし、本が出てベストセラーになり……有難いことに全てトントン拍子に進んだ。動物の写真集としては記録的な売上となり、シリーズは全部で5冊も刊行した。あんなに全部がうまく回る仕事なんてなかなかない。


単行本担当の編集Kは素晴らしい同僚(おおらかで仕事ができて、やさしくて強い)で、祥子さん(想像していた通り知的で、シニカルでいてお茶目な方だった)と三人での仕事はひたすらに楽しく、これでお金をもらっていいんだろうかと思った。

仕事もすこぶる楽しかったが、祥子さんの紡ぐ世界を近い距離で見られるのが何より幸せだった。企画が動き始めてから年に一度はミシガンへ伺って、お宅に数日滞在させてもらい、祥子さんだけでなくMaruちゃんやご家族とも交流するようになっていた。


Maruちゃんは柴犬らしい性格で、慣れ親しんだ人以外には尻尾を振って愛想をふりまくわけではない。私がミシガンを訪ねるようになった当初は、知らない人間が家にいるだけでもあまり嬉しくないのに、一挙手一投足をじっと見ていられることに困惑している様子だった。

何年もかけてミシガンに通ううちに表情や距離感は少しずつ変わっていった。Maruちゃんの塩対応加減も、時折見せてくれるやわらかい表情も、どちらも私にはたまらなかった。

そしてMaruちゃんだけではなく、祥子さんがミシガンで築いた家庭もしびれるように素敵だった。変な言い方になってしまうかもしれないが、こんな家で生まれ育ちたかった、と強く思った。

祥子さんとは年もそこまで離れていないから、こんな家庭を築きたい、と思う方が自然なのかもしれない。だけどそんな風には思わなかったし、自分の生活の延長線上にそういう未来があるとは全く思えなかった。


何であんなに「Maru in Michigan」と祥子さんのご家族に魅了されたのか、今なら分かる気がする。一年に一度訪れるだけの外の人間から見えるものなんて、ほんの一部でしかない。それでも祥子さんのお宅にあったのは、温かく労り合う愛情にあふれた関係そのもので、Maruちゃんはその象徴のような存在だった。


嘘のないMaruちゃんにみつめられると、自分の輪郭が浮き上がってくるような感覚があった。私の人生には大きな欠落があって、若い時には気づきもしなかったけれど、時間が経つごとに濃くなる染みのように存在を主張し始めていた。

ミシガンで過ごす時間はカウンセリングのように自分の心をみつめる時間でもあった。Maruちゃんはそっと、そこにいてくれた。



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昨年の3月9日にMaruちゃんは旅立った。15歳だった。


自分をみつめる時間をくれただけでも感謝しきれないのに、思いがけずMaruちゃんのメモリアル写真集が私の会社から出す一冊目の本になった。Maruちゃんが元気なうちに違う形の写真集を出せたらもっと良かったけれど、これも巡り合わせとしか言えない。

退職したものの会社を立ち上げるまでに色々迷いも出てきて腰が重くなっていた私の背中を、Maruちゃんが押してくれたのだと思っている。


Maruちゃんの影響は他にも無数にあって、その最たるものは黒柴を家に迎えたことだ。常に寄り添って、まっすぐに心を向けてくれる犬がそばにいるだけでどれだけ支えられているか。生命力そのものの犬が、私の毎日を照らしてくれている。

愛犬と過ごしながら、私はいつも考える。Maruちゃんに出会えなかったら、きっと今頃全然違う日々を過ごしていただろうなと。Maruちゃんがくれたものの大きさは計り知れなくて、考え始めると今も思考がまとまらない。


だけど、きっとこの先も考え続ける。

今でも、Maruちゃんの存在を感じる。ありのままを見てくれるまなざしが私の中に残っている。

私はずっと、Maruちゃんに終わらない感謝を捧げ続けよう。


ありがとう。