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カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』

この小説の題名を聞いたのはだいぶ前のことで、翻訳家の友人が日本語使用における自主規制の有名な例としてこの題名をおしえてくれたのだ。つまり「スローターハウス」とは「屠殺場」のことなのだが「屠殺」という言葉を忌避してカタカナを使用したとのことだった。(現にいまPCでもこの語は変換されない。)

それはともかく、こういう題名であるし、さらには第二次世界大戦のドレスデン無差別攻撃の体験を基にした小説だと聞いたので、非常に重いに違いないと読み始めたのだが、これが意外な作風で驚いた。第一、SFなのである。主人公はトラルファマドール星というところに拉致されて、そこで見世物になっている。それからそのトラルファマドール星人におしえられて異なる時間を渡り歩くようになる。あるときは戦争前、別のときは戦後に結婚していた頃、かと思うとドレスデン攻撃の真っ最中など。トラルファマドール星人の表現を借りると、地球人は二本足歩行ではなく、ヤスデのようにたくさんの足を持ち、「一端に赤ん坊の足があり、他端に老人の足がある」らしいのだ。でもひとりの人間がたくさんの異なる時間を持っていて瞬間的にひとつからひとつへ移動できることは、非常に納得できる。人の意識はそういうものだから。

それにしても、自身がアメリカ人捕虜として体験したドレスデンの殺戮を作品にするのに、よくもこんな軽い、麻痺したような、ときに滑稽味さえある文体にできたものだと思う。戦時中のことは書かれた事実自体は非常に悲惨なのに、それを語るのにこの作者はこの口調でしか語れなかったのか。途中で1か所だけ、空爆のあとで死体処理のためにドレスデンに戻ったときに、作業に使った馬が怪我をして非常に苦しんでいると通りすがりのドイツ人に言われて、初めて主人公が泣く場面がある。苦しむ馬に自分を重ねてやっと涙が出たのだろう。

冒頭のエピグラフにクリスマス・キャロルの4行が引用されている。

牛のもうもう鳴く声に/神の御子はめざめます/けれども小さなイエスさまは/お泣きになりません

泣かないイエスが、沈黙する神にも泣けない主人公にも思える。

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