見出し画像

やさしさの循環

私はいつかしっぺ返しが来ると

怖れながら

毎日子育てに追われる日々を送っていた。


発達の遅れがあると思われる長男と

1歳半違いで生まれた長女を抱えて

ただただ必死の日々だった


毎日のように

「精神科に行って安定剤をもらうべきか」と考えながら

そんな暇もなく毎日は過ぎてはいく


私は周りのママ友たちみたいに

子どものお昼寝中にのんびりすることもできない。

長男が日の出とともに目覚め、

ハイテンションでまったく昼寝ができない子で

その分、夕方になると

眠さと疲れで荒れ狂う暴君となり


ご飯を食べていても、お風呂に入れていても

妹にちょっかいを出して

妹が大泣きしだす。

やめさせようとすればするほど

本人もどうにもならないようで暴れまわり

そして二人で泣き叫ぶ、というお決まりの状況を

ひとりでどうすればよいのか

新米母にはなすすべもなかった。


そんな数時間を3人で過ごした挙句

優しい母であろうという小さな努力の甲斐はなく

結果、毎日

まだ言葉が分からないのをいいことに

子どもに向かって

大声で怒鳴り散らすことになるという最低のルーティン。


もう嫌だ!!と逃げ出したくて

泣き叫ぶ二人を置いて玄関の外でへ出ても

どこにも行くわけにもいかず

ドアにもたれてへたり込んで

家の中で「おかあさ~ん!」と泣き叫ぶ二人の声を聞きながら

どうしようもなく、泣いていたこともあった。

しばらくしてドアを開けると

二人は玄関に裸足で立ち

涙と鼻水で顔をぐじゅぐじゅにして

私を見て嬉しそうに

「おかあさんだ!」と言うのだ。。。

本当に今思い返しても、泣ける。

ごめんね、こんなお母さんで。


もともと、おとなしめの性格だったので

自分の豹変ぶりに自分で驚きながら

歯止めが利かなくなることに恐怖を感じていた。

児童虐待のニュースは

自分も紙一重だと感じて恐ろしくて耳をふさいだ。

手はあげないにしても

言葉で虐待しているじゃないか、私は。

ぎりぎりのところになんとか立っている、そんな感じだった。

子どもの寝顔を見ては

自分の言動を後悔し、落ち込み、自信をなくす。


でも、また朝には

同じような長い一日が始まるのだった。


いつか、私は

この子たちが成長してやれやれ、と思う頃、

何か罰が当たるに違いない。

やっと自由になると思ったら、病気になるとか。

そんなことを思いながら過ごしていたことを思い出す。


ようやく3歳になって入った保育所でも

トラブルメーカーの長男のことで

ほかのお母さんから電話がかかってくることもあった。

「迷惑って言ってたよ、〇〇ちゃんのお母さんが」と。

私は

誰彼なしに頭を下げて回り

できるだけ愛想よくして

頑張っているお母さんをやっていて

身も心もへとへとだった。

すでに私の育児は失敗だ、これ以上どうすれば

ほかのお母さんたちみたいに笑っていられるのか、

わからなくなっていた。


ある日、そんなトラブルの多い長男が

二つ上の年長さんの竜馬君になついて

夕方、遊びに行きたい!と言う。

「駄目よ、帰るよ」という私に、

竜馬君のお母さんが

「いいよ、遊びにおいで。

ママは、ご飯作ってから迎えに来てくれたらいいからね」と

長男を連れ帰ってくれた。私は驚いた。

ほかのお友達同士は

保育所のお迎え後も行き来しているようだが、

うちの長男を預かるなんて大変で無理だろう、と思っていたから。


私は、その申し出に少し心が温かくなり、

毎日繰り広げられる

夕方の長男と長女の大騒ぎを今日だけでも回避できると、

ほっと救われた気持ちだった。

男の子二人のお母さんってすごいな、と思いつつも

忙しい時間に大丈夫だろうか、と気になりながら

早めに迎えに行った私に、

竜馬君のお母さんが言った。


「うちもね、長男と次男が年子でさ、

ほんとに毎日泣きたいくらい大変だったの。

うちの大騒ぎを聞いてね、

よく、裏のおばちゃんが

一人を連れ帰ってくれてお昼寝させてくれたり

助けてもらってたの。

だけど、私はそのおばちゃんに恩返しできることがないから、

こうして

あなたを助けられるなら、すごく嬉しいから、

一人で抱えないで遠慮しないで甘えて。

そして、いつかまた、誰かを助けてあげてよ」


長女を抱きながら

うなずきながら涙をこらえるばかりだった。

甘えていいんだ・・・

私もいつか、彼女から今貰っている優しさを

誰かに渡せるようになれたらいいんだ。


その日から

私は一人ではどうにもならないときに

周りの人にすこしずつ

助けてと言えるようになった。


あれから20年余り。

たくさんの周りの人の手を借りながら

長男は成長して

学校の勉強はみんなと同じにはできないけど

ちゃんと仕事に就いて自活できている。


あの頃、子供二人の手を引いて

深い穴に落ちていると思っていた私に

穴ではなくて長いトンネルの出口の光を見せてくれた彼女のことを

いつも思い出しながら過ごしてきた。


今、若い人たちの指導をする仕事をしている中で

学校に合わない子供を抱えるお母さんと話したり

仕事に行けなくなった若者と話すとき

私は精一杯の思いをこめて話を聞くとき

相手の人の「助けてほしい」という声にならない声が聞こえる気がする。

そんな時は

「大丈夫ですよ、一人で抱えないで」と伝える。


無責任に大丈夫と言っているのではなく

最低の母親だった私だって最低なりに精一杯生きていて、

そして今大丈夫だから。

今のあなたも、精一杯悩んでいる、

だからきっと大丈夫になる、

私はそう信じているので伝えます。


一人で抱えきれる自分だったら

優しさをもらったり

また誰かに渡したりという、こんな循環を知ることはなかっただろう。


逆に、あのまま一人で抱え込んでしまえていたら

どこかでプチンと糸が切れて

本当に「最低な」ことになりかねなかったとさえ思う。

私の「弱さ」が私たち親子を救った。

そう思うと、弱さは悪いことではなく、

強いことも良いこととは限らない。


私が一人で抱えられない母親だったからこそ

周りのたくさんの優しい人たちに助けられた私の子どもたちも

本当に優しい子になってくれたと思う。

こうして優しさがまた循環していくのを見ていると

いつか罰が当たると怯えていた過去の私も

あの時の辛い日々があったからこそ

深く癒されているのを感じることができるのだと思う。


絶対に振り返りたくないはずの過去を

今はあの失敗の日々も

しみじみと少し温かい気持ちで思い返すことができるようになった。

頑張ってたよね、わたし、と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?