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それが私だから。実は人生、なんでもあり😊

私たち夫婦が、早期退職をして自分の好きなことをするという道に進んでいるということは、ただただ、「自由に生きる」という自分自身の願いの実践でしかない。

それが何か世の中の役に立つのか?
世界を良くすること
世界を美しくすることにつながるのか?

という問いが浮かんだ。

私はずっと、「何者かにならねば」と思い込んで生きていた。
「何者」とは何者に?

例えば、何かを成し遂げて名を上げるとか、
仕事で大成功するとか、
なんだろう、、、思い浮かばないけど、「何者か」だ。

昭和の教育の後遺症かもしれない。

そんな思い込みから私はグイっと方向転換したかった。

私は「何者でもない、私でしかない私」になりたかった。

私の課題はずっと、お金に関するコンプレックスと、対人関係の弱さ。
でも、お金の問題から逃げたがる、人と向き合うのも逃げたがる、それも「私」だ。
何が悪い?と言えるようになったのは、やっとこ最近。

今は、お金の話をオットから持ち掛けられると、聞いてはいるけどすぐ上の空になり、「聞いてへんやろ!😓」と言われ、
対人関係がすぐしんどくなるから、「向き合わない」んだけど、どっちについても、鼻歌歌って逃げる♬感じ(笑)

常識的であろうとし、ちゃんとしようとし、良い人であろうとし、自分を修正しなくてはと、50年以上そうやって生きて来た。うまく行かないなりに、その課題について悩み続け、恥を感じ続け、改善しようと必死でやって来たのだけど根本的には変わらない。

だったら、もう、ええやん!!このままで!

ということにしたら、超ラクになった🙄もうやめとくわ。
私しかありえない私の生き方でいい。それでいいんちゃう?
気分よく生きよう。

お金のことでまたつまづいて、対人関係でまたつまづいたりして、気分悪い思いもするかもしれんけど、それはそん時考えよう。

そうやってつまづいて悩むのも私らしいってこと。
つまづいたりしないかもしれないしね!

ダメでも、ええ加減でも、中途半端でも、いい。
そうやって生きていくんよ。それが私。

私は発達障害のある息子について、心配はして来たけど、高校を出てからは、なるべく口も手も出さずに来た。身内から、冷たいのでは?と言われたこともある。

彼は、高卒からずっと働いていて、3年前には家を出て自活を始めた。
経済的にも生活的にも、一人でちゃんとやっていけている。
ただ、変わり者で不器用で訳わかんないところがあるので、苦労もしているだろうけど、それでも遠くから見ているだけ。

私たち親がいなくなった後も、彼はそうやって生きていくのだから。
それが彼だから。そして彼の人生だから。
彼が幸せであることを願ってやまないのは、親だから当たり前。
でも、私ができることはないと思っている。ただ祈るだけ。願うだけ。
帰って来た時に、楽しく過ごすだけ。

それが彼だから。

私がダメダメな自分を、そのまま受け入れられるようになったのは、不器用に健気に生きる息子のお陰かもしれないなって思った。

みんな、健気に生きている。
人生は美しい。
人は誰しも美しい。

今の自分を、目の前の人を大事にしよう。それだけでいい。
今、今、今の瞬間瞬間を機嫌よく笑って生きる。
まあ、泣いてても怒っててもいいんやけど、泣くも笑うも怒るも全開で生きよう。

多分、一人でも多くの人が、自分らしさを受け入れて自分オッケーにして、
そして機嫌よく笑っていられたら、世界は自然と今より美しくなると思う。
自分臭く生きるというか、それができたら、競争とかする意味なくなるもんね。みんな違うから。

時代は変わった。
時間に追われる生活をやめて、今までの価値観に縛られた生き方からいち抜けたして、肩の力が抜けました。
先の心配よりも、今の幸せを強く感じられるようになりました。

だから、ダメならダメなままの自分で、笑っていようと思う。
別にいいんよ~、世の中の常識なんて時代で変わるようなもんだし、永久に絶対に変わらない価値観なんてないと思うから。
実は何でもあり!だと思っています🤗

誰かの役に立つのか?という冒頭の問いや
世の中をよくすることができるのか?という問いさえ不用な考えで、
ただ、自分臭く、機嫌よく。それを淡々とやること。自分ひとりから、足元から、小さな一歩を踏み出していくことだけ。

何者にもならなくて良いと分かったのだから。気楽なもんだよ~💗


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