見出し画像

これは落とし文、だろうか [落とし文シリーズ3]

うつむきがちに夕暮れの道を歩いていたら、落ちている封筒を見つけた。普段なら見ないふりをしてそのまま通り過ぎただろう。でも何故か私はそのとき、かがみこんでその封筒を拾いあげた。封筒が不意に現れたような不思議な感じがしたからだと思う。

違った。
私がその封筒を拾いあげてしまったのはそこに書かれた差出人が見慣れた筆跡の見慣れた人の名前だと、一瞬で感じ取ったからに違いなかった。それは遠い昔、文通していた人の住所と名前と筆跡だった。私はくるりと返して封筒の表を見る。私の実家の住所と旧姓での名前が書かれていた。切手を見てみる。ああ、昔の切手だ。あの頃は60円で手紙が送れたのだ。消印は押されていない。ということはこれはポストに入れる前の、宛名を書き、切手を貼った状態のものだ。しかも昭和の。
それが何故、この令和五年の今、50代の私の目の前に現れたのだろう。そもそもこの人との文通はいつ終わったのだったか。彼は今どこでどうしているのだろうか。あの頃いったいどんな話を手紙でやりとりしていただろうか。
そんなことが頭の中でぐるぐるとうずまき、私は一瞬、時間も日時も年月も消えた音もない空間に投げ出されたが、深呼吸して、今のこの夕暮れの、蝉がまだ盛んにないている並木道に自分を引き戻す。今は会社からの帰り道だ。暑くてうだるような空気の中の、令和五年の七月の午後七時だ。仕事を終えて会社を出て、駅に向かって歩いているところだ。
そう自分に言いきかせても手に持った封筒のせいでドキドキする。だめだ、家までこの封筒を開けずに持って帰るのは無理だ。
私は脇道に入り、公園の噴水の横のベンチへと向かった。噴水があるから多少涼しいだろう。途中にあった自販機に100円入れてオレンジジュースの缶を買う。何故いつもの緑茶ではなくオレンジジュースなんか買ったのだろう。しかも缶で。ペットボトルでもなく。いや、缶ジュースなんて今どき自販機で売っているだろうか?ベンチに座ってから何もかもがおかしいことに気がついた。
慌ててあたりを見回してみる。いつもと何か違うだろうか?見えているビルはいつもと同じだろうか?確信が持てなくて更に胸がドキドキする。急いでオレンジジュースを開けてごくりと飲む。おいしかった。一つ大きく息を吐いて、封筒を開けてみた。

封筒から出てきた便せんには見覚えがあった。何度かこの便せんで手紙が届いた。でもそこには読んだ覚えのない、夏休み中の、待ち合わせの日時と場所が書かれていた。ちょうどこの公園だ。
この文通していた彼とは一度だけ会ったことがあった。いや、なかっただろうか?会って映画を見に行ったのではなかったか、夏休みに。どうやって待ち合わせ場所を決めたのだったか覚えていない。電話したことがあっただろうか。全部手紙で決めたのだったか。本当に会ったことがあっただろうか。一度だけやりとりした写真に写っていた彼を思い出す。私はどんな自分の写真を送っただろう。
今みたいなスマホでなんでも一瞬にやりとりできる時代からは幻のようなあの頃。もう何も正確に思い出せない。
もう一度、便せんを最初から最後まで読んでみる。
最後に小さい小さい文字で、好きです、と書いてあった。
私は顔を赤くする。

「いや、見ないでよ、はずかしいから」
横から手が伸びて便せんをひったくる。
ベンチの横に彼が座っていた。高校生だ。
私は…高校生だ。二人とも制服を着ている。
恥ずかしくて何も言えないでオレンジジュースを一口飲む。彼も自分のオレンジジュースを飲む。
「受験どう?」
と彼がいう。
「うん…地元で受ける」
私は顔をあげずにオレンジジュースの缶を見ながら短く答える。
「僕は…ちょっと難しいかな…」
そうだ、彼は結局浪人したのだった。それでいつの間にか連絡が途絶えてしまったことを思い出す。

思い出した瞬間、手にしたオレンジジュースは小さなペットボトルにであると気付く。ベンチの横には誰も座っていない。私は仕事帰りの疲れた50代のおばさんだ。
封筒も便せんもどこにも見当たらなかった。
私はオレンジジュースを飲み終えると立ち上がり、ずいぶん暗くなった道を駅に向かって歩き出す。
歩きながらふと「落とし文」という言葉が頭に浮かんだ。
好きな人への思いしたためた手紙を、その人が通りそうなところに落としておくという奥ゆかしい昔の手紙。またはその名前を持つ、葉っぱをまるめて卵の揺籃を作る虫。
「またはその虫の揺りかごを模った和菓子」
いつか初夏のお茶席で食べたお菓子を思い出し、つぶやいてみる。
甘さが少し、胸の奥でことりと鳴った。


*やっと少しだけロマンティックなものが書けました。
 満足です。シリーズを終わります。
*「落とし文」についてはこちら👇

*シリーズ1話目/2話目はこちら👇


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?