見出し画像

卒業の日の桜トンネルで【シロクマ文芸部】

卒業の日も私は一人。
いつものように、一人ですっと校門を出た。
誰にも声を掛けられない。
声を掛ける人もいない。
ただ一瞬振り返り、校舎を、校舎の一番上の階にある
図書室の窓を見上げた。
さようなら。たくさんの物語。
さようなら。読み切れなかった物語。
さようなら。私の静かな幸福な時間。

今年の桜は早い。
川沿いの帰り道はもう桜のトンネルだ。
卒業式の日の中途半端な昼間の時間。
誰も通っていない。
私はゆっくりと歩く。
たまに、はらりと花が落ちてくる。
目白がつついて落とすのだろう。
もっと落ちてこないかな。
少し立ち止まって上を見る。
花は落ちてこない。目白も見えない。
桜の隙間から青い空が見える。
あきらめてまた歩き出す。

ら~ららら、ら。
前から髪の長い人が歌いながら歩いてくる。
ら~らら、ら。
なんだかとても楽しそう、幸せそう。
長い髪を優しい風がゆらして、落ちてきた花がすべり台のようにすべって落ちる。
まだ見えないけどきっと笑顔だ。
花にも風にも小鳥にも愛されている。私と違う。
私は短いボブの髪を傾ける。ほんの少しだけ、揺れる。
風も吹かないし、花も落ちてこない。
今日初めて、悲しい気持ちになる。
せっかく今まで悲しくなかったのに。
一人きりで帰る卒業の日も、寂しくなんかなかったのに。

長い髪のその人とすれ違う。
顔を見ないように下を向く。
「はい、どうぞ!」
声を掛けられてびっくりして顔を上げた。
彼女は笑顔で小さなブーケを差し出している。
ピンクのスイートピーを束ねたブーケ。
「卒業おめでとう」
ためらっている私にそういって、ぐいっとブーケを受け取らせ、
彼女はまた歌いながら、スキップしそうに楽し気な足取りで去っていった。
ら~らら、ら。

私は手にしたブーケを見つめて立ち尽くす。
良い香りがする。
スイートピーって良い匂いがするんだ。
知らなかった。
私は歩き出す。
「ら~らら、ら」
彼女が歌っていた歌が口をついて出る。
「ら~…、ありがとう」
振り向いて、もう見えないあの人に
言い損ねたお礼をつぶやく。
そうだ、高校を卒業した記念に髪を伸ばそう。
あの人のように。
そして、歌いながら歩こう。
小さな声で良いから。
「ら~らら、ららら」

十年後の春の日、髪の長い私は何となく懐かしくなって、
ピンクのスイートピーのブーケを買って桜トンネルを歩いていた。
とても気持ちの良い日だった。
あの日と同じ。
一瞬強い風が吹き、飛んできた花びらが顔を打つ。
思わず目を閉じて桜吹雪をやり過ごす。
ふたたび目を開くと見えたのは…あれは…
あの、向こうから俯いて歩いてくるのは…
私は眩暈をこらえて歩き続ける。
ブーケを渡さなければ。
私に。
ら~らら、ら。

(了)

小牧幸助さんの企画に参加します


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?