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パナソニック汐留美術館『フランク・ロイド・ライトー世界を結ぶ建築』、帝国ホテル、山の上ホテル

「門外漢の私でもさすがに名前を知ってる建築家」といえば日本人だと隈研吾、安藤忠雄、黒川紀章、坂茂。外国人だったらル・コルビュジェ、名言の人(ミース・ファン・デル・ローエ)、そしてフランク・ロイド・ライト。
数年前に、東京は池袋の自由学園明日館に行った。無駄なくすっきりと美しく、しかし窮屈さはない。こんな環境の中で学ぶ子供はどんな大人になるのだろう、と感じた。それから数回建築家の展覧会に足を運び、ついに今回、満を持して?「さすがに私でも知ってる」巨匠の展覧会へ。さらにそれを起点に、クラシックホテルを巡ってみた記録。


展示の中で一番印象に残ったのは、ライトが日本でヨドコウ迎賓館を設計した際に衝撃を受けたという言葉だ。それが落水荘につながっていくというのだが、久しぶりに比較文化論のようなことを思い出した。要旨としては「自然災害によって建物が壊れるのは仕方がないことだ、自然に逆らわない」という日本人の発言にライドは大層驚いた、ということだ。そこから自然に対してオープンな在り方になった、ということらしい。
このような、人間が自然をどう捉えるか、という話は学生時代に授業で聞いた。その時の、視界がばっと開けるような感覚をよく覚えている。正確性に欠ける点はご容赦いただきたいが、「日本は台風や地震など自然災害に見舞われることが多く、自然と共存し抗わず、むしろ畏敬の対象とする精神性が生まれた」「西洋では自然は征服するべき対象だった」という内容だ。家の素材も木や紙で作られる日本の家と石造りの西洋の家、といった風に。
浮世絵が影響を与えた、という話はライトに限らずよく聞くが、芸術でも禅宗のような宗教的思想でもないものがこんなところで影響を及ぼしているとは。

また、手書きの設計図や完成予想図のドローイングにも魅せられた。字は人を表す、などと言われたりするが、そういったもので目にする建築家の字は不思議とどれも整っていて美しい。見せることを前提に書かれたものだから、という理由ももちろんあるだろうが、それ以上にその人の全て、骨の髄までその人たる何かがあって、それが一つの作品のように文字にも滲み出てしまっているのではという気がする。

展覧会は平日昼間にも関わらず盛況だった。せっかく都心まで出てきたことだし、展示にもあった帝国ホテルを覗いてみようかと移動した。ただしライトが設計した建物は、今の帝国ホテルには現存していない。それはそれとして、雰囲気だけでも味わってみようかと。

泣く子も黙る帝国ホテル、と言ったら言い過ぎかもしれないが、私の中ではどんな高額な外資系ホテルよりも「ホテルの格」としては帝国ホテルが上だという感覚がある。
さてそんな帝国ホテル、ラウンジでコーヒーくらいは飲んでみようかと思ったがさすがに手が出ないお値段だった。しかし、ロビーにソファが多数置かれていて、そこに座って往来を眺めることはできた。全般的にアットホームでウェルカム感が強く漂っており、敷居の高さを勝手に感じていた側としては正直なところ意外だった。安易に「日本のおもてなしの心」などといったフレーズを口に出すのは好きではないのだが、思わずそんなことが頭に浮かんでしまう。東京駅のステーションホテルに続き、泊まってみたいホテルがひとつ増えた。

バレンタイン仕様?

建物自体は残っていないが、ライトのデザインした照明はフロントにも、コンシェルジュデスクにも、そこここにあった。「ライトのライトだ…」とオシャレなライトにそぐわないギャグが浮かんでしまう。いや、私以外にもそれなりの数の人が頭に浮かんでそっとひっこめたはずよ。

クラシックホテルにはクラシックホテルの、今どきのホテルには今どきのホテルの、旅館には旅館の良さがある。歴史があるからといってこちらに緊張感を強いるのではない温かみがあり、しかし凛と整った雰囲気があるクラシックホテル。私はとても好きだ。

そして、日を改めて山の上ホテル。
2月半ばでいったん閉館するとのことで話題になっていた。ヴォーリズの建築として有名らしく、文豪に愛されたクラシックホテルとしていつか一度は足を運んでみたいと思っていた。しかし「パフェ3000円か・・・」と怯んでいた上に、正直なところ「その気になればいつでも行ける」と高をくくっていた部分がある。他の店舗などでも同じことが言えるが、「いつか」と後回しにしておいて、いざ閉店となってから慌てても遅い。行きたいところにはすぐに行っておかないと、という意を強くした。
閉館が報じられてからの、コーヒーパーラーヒルトップ入店までのハードルは日に日に上がっていった。狂騒曲といっても過言ではないほどに。

外観も中も心が躍る

私が1月末の平日に行った時点では、「11時開店、10時半整理券配布開始」というオペレーションだった。恐ろしいほど並ぶとの情報を得ていたため、出勤時刻よりも早い8時半に到着。この時点で、前に並ぶ人の数をざっと眺めただけで一巡目どころか二巡目にも絶対に入れないことが確定していた。待っている間にも、どんどん私の後ろに接続して列が伸びていく。待機場所は地下で電波が弱く、電話をかけるために列の前後の人に断って10時前にエントランスへ出た。その時点で、ドアマン?の方が「もう100人ほど並び、今日の受付可能人数を超えているため整理券配布終了」と案内していた。人数的にキャパを超えたので今日はもう並んでも入れませんよ、ということだ。私が電話をしている間にも、その案内を受けて肩を落として帰っていく人が何組もいた。
案内通り10時半に整理券配布開始となり、順番が近くなると自動音声で呼び出されるシステムに登録して近くで時間をつぶす。あと何人待ちか、をリアルタイムに確認することができるため、お昼は過ぎそうだとの判断ですぐそばで昼食を取ってのんびりしていると、13時少し前に呼び出しがかかる。朝に並び始めてから、4時間半。そこまでするのか、という声もあるだろうが、本を読んだり書き物をしていると普通の休日の過ごし方とさして変わらないため「待つだけに長時間を費やした」という感覚はない。食後のデザートにちょうどよい時間で、むしろ良かったとさえ思う。

白く明るい空間の中、席についてオーダーすると輝く銀のカトラリーが置かれる。その下には「HILLTOP HOTEL」と名前の刺繡が。見惚れながら待つ。

こういう細やかな意匠に弱い

そしてついに念願のプリンアラモード、憧れのスワンシューに対面することができた。

このお皿がまた素敵

かわいい!バニラの風味がすごい!フルーツがどれも濃い!何もかもおいしい!と、心が少女に戻ってしまう。伝統に磨かれた味。コーヒーもしっかりと苦くて、満足度が高い。この幸せが終わってしまうのが惜しい、できるだけ長くこのままでいたい、という気持ちと、溶けていくアイスクリームとの板挟みだった。

フランク・ロイド・ライト展に足を運ばなければ帝国ホテルを見に行くことはなかっただろうし、帝国ホテルを実際に目にしたことが山の上ホテルに向かう際に背中を押してくれた気がする。ひとつの体験が次を呼び、つながっていくのは面白い経験だった。そして、建築という視覚や空間的要素と、その中で行われる喫食という味覚嗅覚の要素が相互作用することで、強く自分の中にその体験が刻み込まれることも改めて感じた。何事も後回しにせずやってみるものだ、ということも。やりたいことの優先順位はつける必要があるが、今年もいろいろな経験をしていきたいと思う。

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