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洗脳されているのはお前の方だ

先日、実家に帰った時久しぶりに会った弟と「神様」について話をした。

弟はクリスチャンではないが、母親がクリスチャンなので
弟にも多少のイエスキリストの知識はある。

世界情勢を見ても、そう遠くない未来に
イエス様が戻ってきそうな気配がある。
でも、当然テレビではそんなことを言わないので
聖書を読んだり、自ら情報をとっていかないと、
これまで通りの平和な日常が流れているだけだ。

今が終末だなんて、夢にも思わないだろう。
弟をぶん殴ってでも起こさないといけない。

そんな思いから弟には、時たまキリスト系のYouTubeの動画を送ったしてみたんだけど、ついに弟からこう言われてしまった。

「正直言ってさ、神様の動画送られても全く見てないから。怖いから。
はっきり言って、周りからみたら統一教会と一緒だと思われてるよ。
もう完全に洗脳されちゃってるからww」


おおお、これが噂に聞くあの嘲りか。
教科書に載るくらいの立派な嘲りだ。
まさに、テンプレ通りの反応である。

いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、
みな、迫害を受ける。

テモテへの第二の手紙 3:12 口語訳

義を知る者よ、 心のうちにわが律法をたもつ者よ、わたしに聞け。
人のそしりを恐れてはならない、 彼らのののしりに驚いてはならない。

イザヤ書 51:7 口語訳

こうして、どこの誰だか知らない人の目を気にして、
社会に作られた「まとも」さを手に入れようと、
人々はあの怪しいワクチンですらも受けれていくのだ。
自分は洗脳されていないとでも?
自分は洗脳されてないと言うのなら、なぜワクチンを打った?
周りがなんなんだ?周りと一緒に穴に落ちる気か?
洗脳されているのはお前の方だ!
これから世界は統一されて獣の世界がくるんだから
このまま騙されていたら地獄行きになってしまうよ!

なんてやりとりをした。
弟がそんなこと聖書のどこに書いてるの?
というから黙示録やルカなんかの該当箇所を見せた。

「だめだ頭に入ってこない、読めない」
と言って聖書を突き返してきた。

どうやら聖書は聖霊の助けがないと読めないというのは、本当らしい。
私の話し方もまずかった。
焦って地獄で脅したらカルトと一緒ではないか。
失敗した。
知識で人を変えることはできないのだ。
頭を冷やすため一旦、席を外し、
弟に伝わる話し方ができるよう神様にお祈りをした。

弟の拒否反応は、かつての私にあったものだ。
「今は肉体が聖書を読んだり神を認めるのを嫌がってるんだろうけど、
心の奥底の魂は常に神様を求めてるものなんだよ」
って話した時に、何故だかそれには共感を示した。
そして、何かが溶解したのか、
実は、お祈りをしたこともあるよ」と打ち明けてくれた。
弟の中にまだ灯っていた小さな炎を見た気がした。

弟の背景を考えると私は少し泣けてくる。
弟の子供は、出産時の医療事故により、
話すことも、食べることも、歩くこともできない障害児となってしまった。
そういう素振りを見せたことはないが、
弟は子供を育てるのに人よりも多くの苦労をしてきた、という背景がある。
自分の子供が救急車で運ばれた時は、心の中で神様へ祈り叫んだに違いない。。
お祈りを聞かれたという実感が湧かなければ、
神なんて信じられないと思うのも仕方がない。
いくら兄弟でも介入できない領域・・。

でも、そのお祈りはきかれているはずだ。

当初は話すことも、食べることも、歩くこともできないので、
長生きできないだろうと思っていたが、弟の子供は18歳を超えた。
周りから「可哀想」と言われても
弟は自分の子供の個性を認め、偽善的な同情を跳ね除ける強さを手に入れていた。

私も聖書を読んでから価値観が変わってわかったことがある。
弟の子供は何もできない変わりに、なんの罪も犯していないのだ。
いつもニコニコ笑って、周りの人を和ませ、彼女までいる。
そんな弟の子供を神様が見捨てるはずは無い。
絶対に、絶対に、いつもそばにいて一緒に歩んでくれてる筈だ。

弟は35歳過ぎてから子育てしやすいような職場への転職が成功した。
弟の子供のため自治体が協力して施設を用意してくれたこともある。
自身の大動脈解離の時も助けられ、チャンスを与えてくれている。
運や偶然にそうなった、と人は言うかもしれないが、
私には神様の足跡がところどころに見える。

だから、弟よ。
神様に頼らざるを得ない事態というのは実は恵まれたことなのかもしれない。
共に歩んでいる神様の存在に気がついた時には泣き崩れるだろうよ。

イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。
イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。

ヨハネによる福音書9章2~3節


その夜、子供の頃と同じように弟と隣の布団で寝た。
翌日、検診にひっかかったので病院へ行くことになっていると言う。
弟に「お祈りをして良い?」と聞くと許可が出たので
弟のために何十年ぶりかに声に出してお祈りをした。
「明日の検査結果が何ともありませんように・・・」

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1980年代に流行した「新興宗教」の影響は大きく、
「宗教は怪しいもの」であり「神様を知らないという態度が社会人として常識的」という風潮ができた。
今にして思えばこれはサタンの罠だったなと思うけど、
この刷り込みはなかなかとれるものではない。

職場で自分がクリスチャンだと胸を張って言える人はどれくらいいるのだろうか。
「クリスチャンである」と言うと、少しひかれるのが社会というものだろう。
宗教に誘われるのではないか、と警戒されるのだ。
そういう意味では、創価学会とかの人の方が聞く耳を持っている。

私自身、同じクリスチャンでもすぐ噛み付いてくる宗教くさい毒麦ガチ勢は
苦手だ。そういう人と同列にされるのは、正直きつい。
聖書で言うところのパリサイ人みたいな奴で、人にはいろいろ言ってる癖に自分が出来てない系のやつ。

だから「あの人とは違うんですー」なんて、
人の目を気にするというのは多少なりともあるものだ。

でも、恥なのは、毒麦が生えちゃってる人であり、
福音を恥じとしてはいけないのだ(ルカ9章25)

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翌日、弟の検診結果は「問題なし」だったとの報告があった。
さらに、
「お祈りをしたら聞かれるかどうか、今度から検証してみようかな」
と言ってきた。

弟よ。ぜひそうしておくれ。
きっと、神様が後押ししてくれる。
何故なら、私の祈りがきかれているからだ

偶像への供え物について答えると、「わたしたちはみな知識を持っている」ことは、わかっている。しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。

コリント人への第一の手紙 8:1 口語訳


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