「斬月」を受け継ぐ者たちの物語 ~小説「仮面ライダー斬月」を読み終えて~

おそらく、これ以上の完成形はありえない。
そんな小説でした。

『小説 仮面ライダー鎧武外伝 ~仮面ライダー斬月~』(以下「小説斬月」と略す)が2020年6月1日に発売されました。
この文章をご覧の方には言わずと知れた、メロンの君の小説です。

呉島貴虎という男は、これまでファンからしても望外なほどに多く、活躍の場を与えられてきました。
TV本編(最高だった)。
Vシネ(最高だった)。
『小説 仮面ライダー鎧武』(最高だった)。
舞台(最高だった)。
そして今回の、小説斬月。
TVシリーズ後に小説版が出るのは慣例となっていますが、鎧武には既に一冊、小説版が出ています。
ひとつのシリーズに対して二冊目の小説版が出るのは異例のこと。
しかも、主役でもなかったキャラクターなのに。
出版されるというだけで、既に感謝が溢れて止まらなかったのですが、いざ読んでみると「これを読みたかった……!」という内容だったのだから、もう五体投地する勢いです。

そんなわけで、「舞台は良かったけど、小説はいいや」とか「舞台観てないから小説だけ読んでも仕方ない」とかいう人のうち、一人でもいいから手に取ってくれる人が増えたらいいなと思って全力でおすすめしつつ、小説の感想など語っていきます。
本は基本的に発売から一週間のうちの売り上げが勝負なところがあるので、おすすめ文はなるべく早いうちに書かねば意味がないですし。
というか私が一人で叫んでいるのに耐えきれないので、誰かに叫びを聞いてほしい。あわよくば他の人の叫びも見たい。

途中までは小説斬月ネタバレも、舞台ネタバレも、公式で出ているようなあらすじ以上のものは含みません(その二つ以外のネタバレは含みます)。
しかし事前に何も情報を入れたくない方はご注意ください。

感想だけ見たい方は途中からどうぞ。
私の過去記事を読んだことがおありの方ならご存知の通り、私情が挟まりつつ脱線もしますが、どうぞ気長にお付き合いください。

【小説斬月をまだ読んでいない方へ】

小説斬月を読む前に、絶対におすすめしておきたいこと。
それは「舞台斬月を履修しておく」ことです。

舞台は円盤が出ています。配信で見られる手段は今(2020年6月1日現在)ありません。
本当は大千秋楽公演が見られる配信版がカーテンコール含めてものすごくおすすめなのですが、無いものは仕方ない。
何とかして円盤を手に入れてください。Amazonでも買えます。
今見たら、Amazon特典の初回生産版ちょっと安めでした(2020年6月1日現在の情報です)

数千円の課金がいきなり求められるのは、ハードルが高いと思います。
ですが舞台版を知らないで小説斬月だけ読んでも、多分この小説の面白さの半分も伝わりません。
今回の小説斬月は、「舞台の小説化」です。
舞台ありきで作られている小説です。
でも舞台の台本をそのまま小説っぽく書き直しているわけじゃないし、舞台の台詞や細かいやり取りなどのあれこれが、すべて収録されているわけじゃない。
舞台を観ていないと、説明不足と感じる部分も多いでしょう。
でも説明は不足していても、描写不足というわけではないのです。
この小説斬月は、いわば舞台を「補完」する存在。
補足でも、焼き直しでもありません。補完です。
貴虎が主人公の舞台版ではどうしても追いかけきれなかった部分を、補って完璧にするための小説だと、私は思いました。

なのでまずは舞台版をぜひ観てほしい。
会場予約特典のビジュアルコメンタリーを持っている人が身近にいたら、借りるのもよいと思います。
ビジュアルコメンタリー、いいですよ。脚本演出の毛利先生と、貴虎の久保田さん、雅仁の丘山さん、アイムの萩谷さんが、舞台の映像見ながらコメンタリーしてる光景が収録されてるやつ。舞台の感想言い合っているかと思ったら、裏話や全然違う話に飛んだりして、キャストのファンなら絶対楽しい。

「でも舞台版なあ、うーん……」とまだ迷う方は、手前味噌ですが、こちらの記事をよろしければどうぞ。
舞台を観た直後に書いた、ネタバレを極力避けた感想です。

舞台版の素晴らしさを語り出すとまた長くなるので、過去記事の紹介に留めておきます。
舞台版、楽しいです。
舞台クラスタの私ですら、こんなにすごい舞台になるだなんて予想していなかったくらい。2.5次元でこんなこともできるんだって、ちょっと感動してしまう。
舞台クラスタも特撮クラスタも満足させる、絶妙なバランスでした。
円盤の映像だと、どうしても迫力が半減されてしまうのが惜しいんですけど。
ヒーローショーでありながら、紛れもなく「変身」した男の物語でした。
小説斬月で読むより先に、映像であれを見てほしい。初日に会場がザワッと揺れたあのシーンを。

小説斬月を読むなら、まず舞台を。

そして小説斬月を読むに当たって、鎧武の各展開について、履修しておくべきかどうか。
完全に私見ですが、ご参考までに。

・舞台『仮面ライダー斬月』
(必要度:★★★★★ 絶対見ておくべき)
私は、舞台斬月が「本編を知らず舞台単体で見ても楽しめる作りになっている」点を非常に高く評価しているので、小説斬月を読む前に最低限必要なのは舞台斬月だけだと言ってもよいと思います。
本当は全部履修してほしいけど。

・「仮面ライダー鎧武」TV本編
(必要度:★★★★ 押さえておくのが吉)
本編を知らなくても舞台が楽しめる作りだとはいえ、本編はすべての基礎なので知っておくに越したことはないです。
本編を知っておけば、舞台も二倍楽しい。二倍です。本当は百倍くらい言いたいところ、敢えての二倍です。
そもそも本編はめちゃくちゃ面白いので。他の媒体に手を伸ばす前に、やはり見ておきたいところ。

・Vシネマ「仮面ライダー斬月/バロン」「仮面ライダーデューク/ナックル」
(必要度:★★★ 可能な限り履修することが望ましい)
Vシネの中でも、やはり「斬月」は貴虎が主役ですし、彼の「ノブレス・オブリージュ」精神について語られるので、舞台への布石として知っておきたい。
「デューク」も、戦極凌馬という男は貴虎抜きでは語れないし、貴虎だって凌馬なくして今の貴虎にはなりえなかった。貴虎好きなら見ておくべきかと思います。
「バロン」と「ナックル」は、一見貴虎と無関係なのですが、小説鎧武へ繋がる予備知識として知っておいた方が楽しい。

・『小説 仮面ライダー鎧武』
(必要度:★★ 知っていたらより完璧に楽しめる)
本当は★5にしたいんですけど、涙を呑んで★2です。
絶対絶対必要かというと、私にとっては絶対絶対必要すぎるんですけど、あくまでも小説斬月を読むのに絶対必要かどうかが基準なので。
ただし舞台の貴虎がなぜ冒頭からあんな行動をしているのか、詳しく知りたければ必須。あと貴虎が実質主人公なので、貴虎好きならぜひ読んでほしい。
本編で死んだ推しはどうせ出ないと思って読んでない人。鎧武がそんな程度の物語で終わるはずがない。安心して読んでほしい。


もちろん、本当は全部履修するのが理想的です。無駄な物語はひとつもないので。
もっと贅沢を言うなら、劇場版も見ておけば完璧です。特にフルスロットル。
でも全部を一気に、と言うとハードルが高いので、敢えて優先順位を付けるなら、こんな感じかなと思います。
尺度は人それぞれですので、他に別の優先順位を挙げている方がいらっしゃれば、より自分に合いそうだなという方を見極めていただけたら。


【ネタバレなしで小説斬月感想】

さんざん舞台版のおすすめも済んだところで、展開のネタバレをしない範囲で小説斬月の話に入ります。
ネタバレありは後から書くので、ネタバレなしの感想でワンクッション。

まず、本っ当に最高!
これが読みたかった! 知りたかった! まさかそんなことがあったなんて! の花道オンパレード!(誤字じゃないですジオウです。念のため)

舞台版を手掛けた毛利先生が執筆されたので、舞台を観ているような臨場感がありましたし、舞台のあの部分、説明はないけどこういうことだろうか、と何となく妄想していた色々な部分に、まさかこんなに的確なアンサーが付くと思いませんでした。

毛利先生が発売2日前にツイッターで「舞台の興奮をもう一度!ご期待ください!」とツイートされていましたが、期待していてよかった。その広告に偽りなし。
私はとてもラッキーなことに、舞台に出てくる「あれ」について何も知らないまま初日に観に行けた人なのですが(自慢)、あのときの変身音が鳴り響いた瞬間の会場のざわつき、胸の高鳴り、すごい物語を目撃してしまったという苦しくなるほどの感動を、小説斬月を読んでいると、もう一度体験できました。

私は常々友人たちに、「私が記憶喪失になったら鎧武の円盤差し入れて。そして私が貴虎を好きと言いはじめたら、『あなたは記憶をなくす前もメロンが好きだったのよ』と教えてね」と言い続けています。
好きなコンテンツにはまり込めばはまり込むほど、これまでの記憶を一度全部リセットして、まっさらな状態でもう一度このコンテンツに出会い直したい、初見のときの感動をもう一度体験したい、とオタクなら考えたことがあるんじゃないでしょうか(主語が大きい)。
何も知らない状態で見られる「初めて」は特別。一度きり。
私にとって舞台版はそれに該当するもので、会場で観た回数を数えるのに両手の指が必要だし、ニコ動やDMMの配信があるたびに毎回観ていたし、円盤が届いてからも観たし、全場面脳内に焼き付いてしまっていて、次の展開も台詞も全部分かってしまっている。
初見のときの感動は覚えているけれど、その感動を反芻することはできても、舞台版に関して初見のときのような新しい感動はもう新しく得られないだろう、そう思っていました。
でも小説斬月を読んでいると、舞台版を初めて観た日の感動が、よみがえるのではなく、新しく湧き上がってきた。
舞台では描かれなかった、私たちの知らない物語が紡がれてゆき、それが舞台の物語とリンクして、一本の線になっていく。
何が起こっているのか全て知っているはずなのに、何が起きるのだろうと身構えてワクワクしてしまう。
舞台を初めて観たあの日の興奮をもう一度、まっさらになって味わうことができた。
なぜそう感じられたのかというと、小説斬月の章立ての巧みさゆえかと思うのですが、ネタバレになりそうなので後述します。

さっきも言いましたが、これは舞台の「補足」ではなく「補完」の物語。
舞台に違う光を当てて、影になっていた部分を照らし出す物語。
「舞台版の小説化」と銘打って発表される物語として、おそらく最高の形を取っているのではないかと思います。



【ネタバレありで小説斬月感想】

※小説斬月のネタバレ、および舞台版のネタバレも当然含みますので未見の方はご注意を!

ざっと順を追う感じで、まとまりなく思いつくまま感想行きます。
ちなみに電子書籍で読みました。
紙の本は私が予約した本屋さんでも6月3日にならないと入荷しないそうです。出たら買いに行きます。

まず表紙! 書影が出たとき「天才か!」と思いました。
いえ、私も最初は3秒くらい斬月を認識できなくて、あれ、小説斬月なのに何で鎧武なのと思ったものです。
然る後、左端に斬月を認識しました。
この斬月、よく見たらカチドキアームズじゃないですか!
でも前立物の満月部分を上手く隠しているので、彫りが入っているところまでよくよく見ないと、カチドキであることは分かりにくい。舞台を知らない人には尚のこと、普通の斬月にしか見えません。
舞台未見勢への書影によるネタバレ配慮をなさっているとはさすが呉島主任だ、と思いました。鎧武もよく見たらアイムだけど、一見「何か色が違う?」くらいにしか見えない。
でも扉でカチドキのシルエットが入っているし(この時点で一度端末を放り出して「かっこいい……」と溜息をついた)、キャラクター紹介ではシルエットのみならずカチドキアームズの姿写真が載っているし(この時点で再び端末を放り出して萌え転がった)、一度手に取ったらもうネタバレに容赦ないんですよね。
なので舞台未見勢には、カチドキの感動をまず映像で見ておかないのはもったいないので、やはり舞台を先に観ておいてほしいなと思いました。

キャラクター紹介も、まず影正が先頭に来ていることに「えっ!」と叫びました。
しかし、よくよく考えてみると、小説鎧武だって「鎧武」の名をタイトルに冠しているのに、キャラクター紹介の先頭は貴虎だったし、物語も実質貴虎主人公だったわけです(異論は認めますが私は貴虎主人公だと信じて疑っていません)。
小説鎧武は、「仮面ライダー鎧武=葛葉紘汰」の意思の継承者である貴虎、光実、ザックたちが織り成す物語。それによって紘汰は何を為したのか、何を残したのか、葛葉紘汰とは何者か、が浮き彫りになっていく展開でした。
そして小説斬月もまた、貴虎の意思に触れた者たちであるアイム、グラシャ、そして影正の視点から語られる物語。呉島貴虎を3人の視点を通して浮き彫りにする展開となりました。
発売前は正直、「舞台版の小説化」なので、貴虎視点、もしくは貴虎視点寄りの三人称で語られていくものとばかり思っていたのですが、なるほどその手があったか! と目から鱗でした。
貴虎の視点は、舞台を観れば追いかけられる。でもアイムやグラシャや影正の過去について私たちは貴虎が知り得た程度のわずかな情報しか持っていない。
小説化に当たって、掘り下げるなら、ここしかない。
ついでに言うなら、さっきネタバレなしの感想で「章立ての巧みさ」と述べましたが、まさにこれ。影正を中心に、貴虎以外の人物の一人称でトルキアという国や貴虎を語っていくことで、今まで見えていなかった景色が見えた。永遠に見えないと思っていた月の裏側がようやく見えた瞬間を目撃した。だから知っている物語のはずなのに初見のときのような、新鮮な感動が味わえた。
大正解な章立てだったと思います。

私は舞台版だと影正を一番好きになったので(一番と言っても貴虎が特別一位なのは言うまでもないですが)、影正視点が多いのは、素直に喜んだところでした。原嶋くんの演技がとても良かったんですよね。
舞台を観ている限り、影正はもう一人の光実であり、「紘汰に出会えなかったifルートの光実」などとこれまでずっと思っていたものです。
しかし小説斬月で、その考えは吹き飛びました。
ちょっとキレやすくて、どこか不器用で、闇を抱えているように見えた影正が、実は「誰かを守る義務」に人一倍執着していて、こんなに処世術に長けていて、しかも地下都市の子どもたちを死なせたくないと、全員を救おうと思っていたなんて。
舞台版はもう一つの鎧武の物語と言うべき構造を持っているので、本編での紘汰は舞台のアイムだし、戒斗はグラシャ、城乃内と初瀬はフォラス、光実は影正、そういう対応をしています。
その中で、消えたリーダーに関しては名前も出ないし、裕也に当たるのだろうとノーマークでしたが、まさか小説斬月で彼のサイモンという名が明かされ、しかも影正の憧れであり英雄――光実にとっての紘汰のような存在であったと明かされるとは思ってもみなかった。
影正は、「紘汰」に当たる人物に既に出会っていた。彼を尊敬していたし、親しみを覚えてもいた。彼のためなら危険を冒す覚悟だってあった。
あと、地下都市へのドライバーとロックシードの流通経路も、上から降ってきたのかディーラー的な存在が上手くばら撒いたのかだろうと思っていましたが、影正がやっていたとは思いませんでした。謎だった部分にやっと正解が来た……。
ディーラーのときの影正が身元を隠すために「仮面」を被るというのが、象徴的だなと思います。
これは「仮面」ライダーの物語。影正の被る「仮面」に、身元を隠す以上の意味が含まれていないはずがない。
仮面ライダーの仮面が本来「悲しみ」や「怒り」を隠すためのものであったとして。影正は仮面の下に、どんな感情を隠したんでしょう?
非道な父への怒り。それに逆らえない自分への憤り。かつて兄を失った悲しみ。兄を死なせた貴虎への恨み……そして地下都市にドライバーをばら撒くことで引き起こされる惨劇の予感への恐れ。そんなモヤモヤと渦巻く己の心を自分自身から隠していたのではないでしょうか。

地下都市への監視カメラの設置の経緯も判明したし、「そうは言っても、殺し合いなんかせずに団結しようと言い出してまとめ上げる人はいなかったのかな」とほんのちょっぴり思っていましたが、それに対しての答えも出ました。
地下都市の子どもたちをまとめ上げようとしていた人はいて、それがサイモンだった。
しかし団結できるかもしれなかった彼らが、どうして殺し合いをさせられる境遇に甘んじているのか。その理由をようやく知ることができた。
そして、影正が地下都市を監視し続けている理由も。
影正が、本編で紘汰が背負い込んだのと同じ、「仲間が目の前で怪物に変わる」瞬間を目撃してしまった苦しみを抱えていることも。
こういう補完が読みたかった……! と影正の過去が語られただけでも大満足でした。
影正がどうしてああいう言動をしていたのか。過去と照らし合わせることで、心から納得のいった部分がたくさんあります。特に貴虎に対する復讐心。
兄を死なせた相手を恨む気持ちだけでなく、地下都市の子どもたちへの贖罪を求める心があったなら、あのめちゃくちゃ重い復讐心にも納得です。
あとベリトが影正のことを「あの顔は見たことがあります」と舞台で言っていたことに対しても。地下都市の子どもが貴族の顔をどこで見る機会があったんだろう、と思っていたのですが、なるほど。ベリトにこんな形で会っていたんですね。

アイムの章、アイムから見た貴虎がどんな人物かがうかがえて面白かったです。
最初は変な奴だと思っていたのに、例の「おっさん」のやりとりで、アイムの心を開く。
そのときの、「あんたは大人だけど、神様とは違うんだな」というアイムの独白。
ここで言う「神様」とは、貴族のことを揶揄した呼び方ですが。
かなり先のページになりますが、私がこの小説斬月で一番好きだった一節が、影正の章の、
「僕は、神様みたいな兄さんが、神様の力を持っていなくても、皆のために努力しているのがすごいと思ったんだ」
という部分です。多分このとき影正は、かつて憧れた、神様の力を持たない兄の思い出の向こうに、そのときの兄ととてもよく似ている今の貴虎を見ている。
アイムと影正、「神様」の持つ意味合いは違えど、二人とも貴虎を「神様じゃない、人間」として見ている。
これ、私が舞台ですごくすごく感謝して感動したところなのですが、貴虎は決して「神様」にはならないんですよね。凌馬も「神になるチャンスを二度も手放した」と言っていたように。
カチドキとは、「人ならざるモノから与えられた」「人が人の身のままで持つことを許された」最強の力である。
それ以上は神の領域。神様になることと引き換えにしか得られない力。
貴虎はあくまでも人間として戦ってきたし、これからも人間として戦い続ける。
人間であるがゆえに弱く、しかし弱さゆえに、一人ですべてを成せないことを知る。人を信じることを知る。
そんな貴虎が持つ最強フォームとして相応しいのは、カチドキをおいて他にない。
そんな貴虎のことを、貴虎の意思を継ぐ者であるアイムと影正はちゃんと理解しているのだなと分かる描写で、小説斬月の中でもとりわけ好きです。

影正が絶妙のタイミングで龍玄として登場し貴虎を助けたことや、雅仁のことを答えている辺りも、どの程度までが計算で、どこからが不測の事態であったのか、影正視点だと細かいところまで分かるのが楽しかったです。
影正がこんなに色々考えを巡らせているとは思っていなかったというか。もっと復讐に駆られて周りが見えていない子かと思っていた。
私が思っていたより、ずっとずっと計算高くて情が深い子でした。改めて好きになってしまった。

グラシャはTV本編の戒斗に当たるわけですが、戒斗は親の工場がユグドラシルの沢芽進出によって潰されたことで家庭が崩壊し、それがきっかけで弱者が虐げられる世界のありようを憎み、強さを求めるようになっていきます。
グラシャの過去について舞台で触れられることはありませんでしたが、両親が実験の被験体となり、両親がインベスになる場面こそ目撃しなかったものの、きっと化け物になってしまったのだと悟るには十分な光景を見てしまったことが小説斬月で明かされました。そして弱くいることの屈辱を知る。
ここまで境遇を重ねてくると思っていなかったです。
グラシャが雅仁に「賢い奴だ」と言われていましたが、こういう背景があったので、他の子どもたちより知っていることが多かったんですね。
グラシャの年齢が思っていたよりずっと若かったのですが、まだ青年と呼ぶにも幼いような子が、一人でずっと抱えていたのかと思うと、容赦ない話だな!(誉め言葉)と思いました。好き。

アイムに紘汰が憑依したシーン、アイムの意識は完全に途切れていたのかなと思っていたら、アイムからこんな風に見えていたのだというのが、不思議なような、やけに納得のいくような。
面白く意外なシーンでした。丁寧に入れてくださって嬉しかったです。

影正の章で、貴虎に関して「彼は誰に対してもそうだ。相手の話を真摯に聞いてくれる(中略)以前はそうでなかったように思う。(中略)でも、今は少し柔らかくなった」と評しています。
これ、小説斬月のあらすじが出たときに、私の周りの貴虎ファンがざわついた部分とも関連があるのですが。
小説斬月のあらすじをご覧になった方は、「目的のためには手段を選ばない冷酷なリアリスト」という部分に「お?」となりはしませんでしたか。私はなりました。
私の知っている貴虎というのは、「目的のためには手段を選ばない(のが正しいのだろうと思いながら)冷酷な(自分になろうと努めるけれどなりきれない)リアリスト(たらんとする人)」くらいのイメージです。
冷酷って部分が一番違和感あります。本当に冷酷な人間はドライバーの量産を却下されたときにあんな困った顔をしない。
でも私がそう思うのは、貴虎が変わっていったのを見てきて知っているからでもある。
貴虎は、冷酷なリアリストな部分を持っているのかもしれません。いや、それを自分のあるべき姿と思っている部分は少なくともあるでしょう。
でも多くの人と出会い、戦い、変わっていく中で、冷酷なリアリストではなくともよくなった。影正の言うように、柔らかくなった。
影正は、貴虎のことを恨むからこそ、貴虎のことを一番よく見ている人物だったのかもしれないなと思いました。
だからこそ、貴虎の中に自分の理想の英雄を見ることができた。
貴虎と向き合うことで、影正もまた変われたのではないかと思うのです。

「変わる」は鎧武の大切なキーワード。
変われない者に未来はない。変われた者こそが未来を摑める。
貴虎は変わった。アイムも、そして影正も。
だから未来に向かって歩き出せる。
影正が最後に生きているのを小説斬月でやっと確認できて、よかったー! と思いました。
あの状況だと、死んでない方が不自然ではあるし、生き延びたのはオーバーロード化が進行しているからでは……などと邪推してしまいそうになりますが。
最後に変われた影正が、たとえどれほどの罪を重ねてきたとしても、償う場が与えられてほしい。変わろうとした者にもう一度チャンスがあってほしい、という祈りが通じたように思いました。
影正の思いを貴虎が受け取って変身した、と舞台を観たときは解釈していたのですが、小説斬月でまさか影正が貴虎の思いを受け取り、継いでいく立場になるとは。
最高の救済でした。
毛利先生が影正生きてるつもりって仰ってたのを信じて待っていてよかったです。
「このまま、眠ったままの方が幸せだったかもしれない」という、貴虎がかつてあの海辺で紘汰から言われた言葉を、今度は貴虎が影正に言う展開もしびれました。
貴虎は、今決して幸せなばかりではないでしょう。でも、眠ったままの方が幸せだったとは思っていないのだという貴虎の思いが、この一言から伝わってきた。
とてもとてもありがたかったです。

あと私が貴虎を好きなのは、勝機が見えないときだって決して諦めないところ。
小説斬月でも、影正が「こんなの、負け戦だ。呉島貴虎は兄さんに勝てない」と思っているのに、その諦めを撥ねのけて、変わったからこその強さを示してみせた。
小説鎧武の方でめちゃくちゃ好きな貴虎の台詞に、「私は何度でも誓おう! 世界を蝕む悪意には決して屈しないと!」と「あいにく無謀ではない戦いというものを知らなくてな!」があるんですけど、舞台の貴虎は、まさにこの台詞で誓った通りの戦いを見せる。
そういうところが改めて好きですし、影正の、そして雅仁の心を打ったのだろうなと思います。
悪意は何度でも断ち切ればいいと、挫折を知ってもなお力強く言い切れる貴虎だから、英雄になれる、憧れになりうる。
貴虎のかっこいいと思っているところを、小説斬月でもドンピシャで描いてくださって、そうそう、これこれ! と感謝のあまり、端末に向かって頭を下げました。

ストーリーと離れたところで大収穫だなと思ったのが、トルキアの公用語があるということ。
トルキア語とは書かれていないので、周辺国の言語(ロシア語とか)が公用語として使われている可能性もありますが。
ともあれ、小説鎧武で走り書きのロシア語をさらっと読めてしまった貴虎のハイスペックぶりがまた更新されてしまった。
公用語を流暢に話している(ただし丁寧すぎて育ちの良さが滲み出ている)の、貴虎の解釈として最高でした……そう、貴虎ってそういう人ですよね……。そういうところ好きですね……。
もう一つ深読みしたいのが、影正による地下都市の子どもたち救出準備、影正本人は「作戦データも何重にもセキュリティをかけ、僕以外は入れないようにしていたはず」と言っていますが、貴虎はその隠し倉庫を見つけたとさらっと言いました。
これを見た瞬間、小説鎧武の「回収してから長い時間をかけて、何とかセキュリティを突破した」凌馬のパソコンのことを思い出しました。
もしかして……貴虎はそこそこ高度なハッキング技術とか持っていたりするのでは……?
推しにハイスペックの気配を察したらこじつけてでも現実にしたいオタクのたわごとなのですが、ちょっと夢を見てしまいました。

そうそう、トルキアの言葉で思い出しましたが、この小説斬月、きっと台本を元に書かれたのだなと思いました。
舞台版の小説化なので当たり前のことを言っているようですが、そういうことではなく。
実際に舞台上で演じられた内容準拠ではないのだなということです。
というのも、貴虎の一人称、舞台では記憶喪失の間は「俺」、記憶を取り戻してからは「私」と使い分けがされていました。
確か台本では全て「私」に統一されていたのが、久保田さんの判断で使い分けをしてもらってよい、ということになって、舞台で観たような使い分けになったのだという話があった気がするのですが、私の勘違いなら教えてください……。(→2020年6月2日追記。この話題に触れた記事がありました。「呉島貴虎が帰ってくる。久保田悠来が、舞台『仮面ライダー斬月』 -鎧武外伝-で紡ぐ、新たな物語 」
こういう一人称使い分けに軽率に萌えがちな身としては、全部「私」と言っている小説斬月は、ああ舞台での使い分けは反映されなかったのね、と正直少しばかり残念に思ったのですが、トルキアの公用語で「私」と「俺」の使い分けに対応できるような一人称が存在しないのかもしれない、そう考えたら舞台と小説斬月は翻訳の仕方がちょっと違っただけで、貴虎が喋ってるトルキア公用語一人称はどっちでも同じということになるかもなあ、などという納得の仕方をした次第です。
そんなこじつけはともかくとして、これはこれで、台本という設計図と、そこから羽ばたいた舞台、それぞれの軌跡がうかがえて面白いなと思います。
あと一カ所、とても明確に台本と舞台上の台詞が異なっている部分がありました。
これは私の記憶が正しければ、初日公演と次の日以降の公演で、台詞が違っていた部分です。初日のみ違っていたあの台詞は、なるほど台本通りの台詞を言ったのかもしれない、それを二日目以降はずっと表現を変えていたのかもしれない、などと今さら思いました。
ずっと「初日に聞いたのは聞き間違いだったのだろうか?」と思っていたのですが、ようやく納得がいきました(と言っても推測なのでこれが正解かは分からないですが)。
どの部分のことだろうと思われた方は、ぜひ舞台の映像と小説斬月の貴虎の台詞を突き合わせてみてください。
私は小説斬月の貴虎の台詞も、舞台上で聞いた貴虎の台詞も、どちらの表現もそれぞれに貴虎らしさが汲み取れて好きです。


アイムと影正が、共にトルキアの未来を作っていこうと誓い合う最後のシーンに至るまで、「こういうのが見たかった!」がびっしり詰まっていて、とても満足でした。
他者の視点から語られる斬月の物語。
貴虎の意思を受け継いだ二人が、ようやく歩き出すための物語。

あの日、サイモンの手を取れなかった影正は、最後にようやくアイムの手を迷わず取ることができた。
それぞれの「変身」が描かれた、最高に仮面ライダー鎧武らしい物語を読ませていただきました。
それでも彼らが壁にぶつかってどうしようもなくなったときは、きっとまた貴虎がやってくるのでしょう。舞台の最後で約束した通りに。

鎧武の物語のひとつの終着点としての舞台。
その小説化として、最高の完成形でした。
出してくださって本当に良かった……。
読み終えた今、幸せいっぱいです。


でも最後に欲張ったことを言うなら、これで鎧武が終わっちゃうのは寂しいので、また鎧武の新展開が何かあったらいいなあと思っています。Blu-rayBOXまだ出てませんしね。ドラマCDとかいいですよね。平成まだまだ終わりませんね。
あと舞台のサントラ、まだ諦めていません。この小説読みながらBGMに流したいので、できればCDでほしいけど、配信でもいいから販売してくれたらいいなと、今後も言い続けていきます。
小説で斬月カチドキのロックシード同梱版出るかなと思ったけど出ませんでしたしね。プレバンで出るのまだ諦めない。

今後も斬月が、鎧武が、多くの人に愛されると良いなと、一ファンは思います。

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