「生きていてくれてありがとう」
私はこの世に生を受けてから、一度も生まれてきてよかったと思えたことがなかった。
親から「産まなければよかったよ」「親不孝者」と言われることもあって、私はなんでこの世に生まれてきてしまったのかと何度考えたかわからない。
生み出したのは親であるはずなのに何故か親から怒りの矛先を向けられ、祖父からは性的虐待を受け、学校ではいじめや教師からの人格否定にあい、今思うとわりと散々な過去だった。
事あるごとに「なんで生きなければいけないのか」と親を恨んだ。周囲には普通の幸せそうな家庭ばかりで、どうしようもない虚しさを覚えた。
命を絶つ方法もたくさん考えたし、実行しようとしたこともあった。でも、わたしには実行できるほどの度胸などなかったし、心の奥底で「なんであの人達のせいで死を選ばなければならないの?生きて私を苦しませた人達が感じられないくらいの幸せを感じたい」そう思っている自分がいることに気づいた。
だから、私は生きることを選んだ。
今はフリーランスライターとして、色々なメディアで執筆に携わって生きている。生計をなかなか立てられない期間もあったけれど、今はお金の心配をすることはなくなり、趣味を始めたり旅行に行ったりとある程度自由に生きられている。
家族とも一定の距離を置いて関わっているからか、話すときに傷つけられることはない。
だから今はこれまでのなかで一番生きやすいのだけど、それでも私は生まれてきてよかったとは思えていない。
ただ「周りの人が感じられないくらい幸せに満たされて生きる」そう決めたからには、実現に向けて行動するしかなかった。
少しでもぼっーとして日々を過ごしていると、なんで生きているんだろう?と余計な考えが頭を巡るから、私はわざと人生にたくさんのミッションを設けている。
例えば「◯年◯月までに月収◯万円達成」とか、「◯年までに小説を出す」「某メディアのライターになる」とか。
何かが叶ったとしても他の目標を叶えるために動く必要があるから余計なことは考えずにすむし、クリアして行く過程が楽しくてハマっている。
そんな風にして、毎日毎日やり過ごして生きていたのだけれど、ある時パートナーから「生きていてくれてありがとう」という言葉を掛けられた。
「私が生きていること」には何の意味もないと思っていたから、生きていてくれてありがとうと言われたとき私は涙が溢れてしまった。
そうか私は生きていてもよかったのかと、そう気づけたから。
もしもパートナーがいなくなったとしても、私には「生きていてくれてありがとう」と言ってくれた彼がいた、その事実だけで前を向いて歩き続けられると思う。
パートナーに出会えてよかった。生きていてくれてありがとう。
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