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何を満たすのか、言葉をどう使うのか。

覚書

今日私はWi-Fiを使いたくて、「ポケットWi-Fiを持って出かけたい」と子供たちに言った。

私がポケットワイファイを持って家を出ることによって家のネット環境がかなり不安定になるため、三男はそれを「嫌だと」言った。三男は自分のニーズを満たすために嫌だと言った。私は三男にお願いとリクエストし続けて、ポケットワイファイを持って家を出ることができた。

次男は友達と体育館で遊ぶ約束をしていた。三男のバスケットボールを借りて行きたいと思っていた。次男は三男に「ねぇねぇバスケットボール貸してよ。と言った。「嫌だ」「ダメ」「貸さない」と三男は言った。それに次男は反応。自分のニーズから外れて考えを言った。「この間俺はお前にこれを貸したじゃないか」とか「なんで俺は貸すのにお前は貸さないんだ」と言っていた。そして貸してもらえないことにしびれを切らして「じゃあいいよ」と言ってバスケットボールを借りずに遊びに出て行った。諦めた。本当の願いに意識をつなぎ続けて諦めずに言葉を表現することがどれほど大切かというのを子供に伝えたいと思い私が動く。

次男は貸してもらえないショックや怒り、尊厳、嘆き、自分が貢献していることをちゃんと受け止めてもらうこと、承認が必要だったのと、今この瞬間にバスケをする事で満たしたい別なニーズがあった。ニーズの方向がふたつ。その違いを理解出来るだろうか。ふたつを混同してしまうと、自分の本来望んでいることが満たせなくなる可能性が高くなる。「今あなたは何がしたい?」「ボール、借りたいよね」

私はあなたが三男にボールを借りることで、満たそうとしているニーズとボールではなく過去のやり取りへの嘆きの理解や承認があること、必要がある。それを私は見ているよ。

そんな存在がいることは役にたつ?と言った。

まぁね。

と、

その後

次男はいいたいこといい、私は聞いた。

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