心理的安全性の高い場づくり…「共感」からつぎなるステップ
CNVCトレーナー ジェシーのクラスが始まった。(日本時間の7時)
「実践的なセルフ・コンパッション」
覚書
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毎年、目標が自然と立ち上がってきていて、自分の活動の主軸に沿って、直感したクラスを受講してきた。
その中でも「セルフ・コンパッション」「慈悲」に意識を向けることが 人生を素晴らしいものへと導くという経験は私にとって大きかった。
NVCに出会い、自分のプロセスをどこから始めようかと直感したのも、「セルフ・コンパッション」だった。
どんなに集団に共感的な場を設けても、個人の痛みにより突き上がる衝撃が走る。
その衝撃を避ける、出ないようにコントロールする。もしくは自分の居場所を作るために抑えるということが無意識に個人や集団に起きることを見てきた。
その場をホールドするに値するとかしないとかの暗黙も立つ。
それが起こると、その場は共感的に聴く場ではなくなり、心理的安全性がグッと低くなる。
NVCで行う「共感」…話し手が自分につながることを大切にする場所というものが消えてしまう。
本来、出る必要のある声は器があれば出しても大丈夫。コントロールしない。
自分を理解すること、知ることは、目の前の相手に何が起きているのか想像し優しさを向ける大きなヒントになると直感し、常に自分に意識を向けて探求し続けてきた。
この実践があることで、共感の器の深さがどんどん深くなっていく。
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今年は、声が聴かれる器、心理的安心が担保される集団をあらゆる場所に置きたいし、そのことに貢献したいと思っている。
そして、場が設けられたとき、
セルフ・コンパッションを知ることで、集団に依存せず、互いを大事にできる質をさらに深いものへとしていくと信頼がある。
自分に優しさを向けようと取り組むプロセスの中で起こる気づきを話すこと、聞いてもらい承認されること、聴かれる体験が私には大きな力になった。
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シンプルに、
誰もが取り組めるものを目指したいと思っている。
トレーナーそれぞれの持ち味があって、お誘いや方法が違ってくる。ジェシーがお誘いするセルフコンパッションに触れてみたいと思った。
ジェシーは瞑想を大切にしている。瞑想を置いた事例や体験の話がわかりやすい。
何かを意図して瞑想するのではないこと。観照する見つめる。
今日は深く自分にタッチをしていくことからスタート。
(今自分がキュみを持って学んでいる モンゴルのセルフケア「チュアカ」にもタッチの重要性が重なる…)
思考を「+」と「−」に分けて ただ置くことで、思考により薪がくべられる感情のエネルギーに飲み込まれずに観察。
自分の思考の癖に意識的になり、優しさを向けやすくなり必要を自分自身が必要だと認めるスペースが与えられる。
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最後に生き生きしたこと。
地球から与えてもらう視点ばかりを考えていたが、私たちの足から地球にタッチしていることにへの気づき。
これをシェシーから聞いたとき、
その感覚をすぐに確かめたいと思った。裸足で歩きたいと思った。
私にやってくる感覚が私に何かしらの必要を与えると直感した。
そう思った瞬間、気づいた。
依存の思考…。
依存しない生き方へ。
私は今ここにいて、自分が地球の一部であり、この惑星のお客様ではない、共に生きている存在だということ。
それらを感しながら、これから5週間、自分がこのクラスに何を置きたいのか、意図したいかを考えることに興奮した。
🪷
皆さん 自分はどのくらいの悲しみに耐えられますか?
皆さんはどんなセルフ・コンパッションに興味がありますか?
どのように自分に優しさを向けることが自分の助けになっていますか?
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