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『共感力』の2つの側面と、4つの性格パターンのまとめ

基本、自分が自分の知識のまとめとして書くnote。
今回は、『共感力』について今の時点で私が考えていることをまとめておきたいと思います。

※この記事は、専門性を何も持たない人間が本を読んで得た知識のみで解釈をまとめたものです。つまり『個人の感想文』みたいなものであり、絶対的な知識として鵜呑みにはしないでください。今後必要に応じて下書きに戻す、あるいは修正する可能性もあります。(追記:2024/03/29)

このまとめができるようになったのは、人の無意識の謎を解き明かすという内容の書籍『スピリチュアルズ』著者:橘伶 から得た知識によるところが大きいです。これもまた、先回の『抽象↑↓具体トレーニング』著者:細谷功 のように、私の頭の中にすでにあったイメージが本のおかげでくっきりと言語化できるようになったために『書く』に至ったものです。


世間では、共感力が一括りで語られている

一般的に「共感力」というと相手の気持ちを察知して思いやったり、同情して寄り添ったりできる能力のことを指すと思います。

まったくそのとおりなのですが、この『共感力』の中身を分解すると、まったく異なる二つの心理機能が働いているのですね。全然違う機能です。にもかかわらず世間では、この二つの違いを明示することなく、一括りにして何でもかんでも「共感力」として扱うことが多いのです。あるときは、共感力の一つの面のみを共感力として呼び、あるときは両者を混ぜ合わせて共感力としていたり。そのせいで誤解や不理解が生まれているケースも中にはあります。

別におしゃべりの中で扱うときはいいんですよ。普段の会話なら何の問題もありません。ただ、ブログでも本でも、人の性格や心理について正確かつ詳細な情報を提示するのが望ましい場面でも〝ひとくくり〟にして扱っていますし、共感力を特徴とするHSPの話などにおいても違いを明らかにしないまま話していることが多いです。おそらく二つの側面があるという事実を明確に認識していないことによるのだと思います。

良い悪いの話ではないです。こんな状況が、私はどうもモヤモヤしてしまうということです。先回書いたように抽象派人間であるせいです^^;

また、この二つの側面による違いのせいで、私はHSPでありながら、自分をサイコパスに近いように感じてしまう瞬間があり、この違和感に首を傾げることが多々ありました。後に説明していますが、この背景には同じHSPでも共感力において二つの側面の どちらが強いか弱いか の差異が生じてしまうせいなのですね。そうした背景にある原因を、私はこれまで読み取れずにきてしまいました。それで今回本による理解という後押しを得たのをきっかけに、はっきり備忘録も兼ねてまとめておきたいと思ったのです。

二つあるから、二つを掛け合わせて四つのパターンが生まれます。つまり、人間の共感力には二つの面があり、性格パターンは四つあることになるわけですね。

ここから『共感力』における二つの側面と、四つの性格パターンを説明していきます、私なりに。あくまでも個人的な理解の話として。私は心理学や脳科学への関心がとても高い人間ですが決して専門家ではないので、当然ながらごく一般人的な解説になることをご了承ください。先回も書きましたが、どれほど人間の本質に迫るテーマを扱っていようと、私のnoteはいわゆる独り言にすぎないのですよ、どれも。一参考としてお聞き流しくだされば幸いです。

共感力の二つの面

端的にいうと、世間で『共感力』という言葉で呼ばれている人間の能力は……以下の二つを指しています。

1・情動的共感(同調:エンパシー)
2・認知的共感(理解:メンタライズ)

まずは、情動的共感である「エンパシー」について。

これは、目の前の相手の気持ちと、自分もまったく同じ気持ちになってしまう(つまり同調、シンクロする)ことを指します。ミラーニューロンという神経細胞の働きによると思われます。

相手が泣いていると自分も泣きたくなる、相手が満面の笑みで喜んでいると自分まで顔が綻んでしまい嬉しい気持ちになる、というものです。

同情ではなく同調なのですね。相手の感情がこちらに乗り移る感じです。一緒にいるだけで、相手の悲しみや喜びが知らずに自分の中でも起きてしまうことです。このエンパシーがとても強い人は、相手の気持ちと自分の気持ちの境目が曖昧になってしまうこともままあります。それほどに強く同調してしまうのですね。

HSPをはじめ、繊細で優しい性格の人にこの傾向が強く見られます。特にエンパスと呼ばれている人はこの能力が秀でているということではないでしょうか。相手が苦しんでいると、自分もひどく苦しんでしまうのです。相手が幸せだとこちらも幸せになります。

「共感力」の言葉の意味をイメージするとき大抵の人は真っ先にこのエンパシーの方を思い浮かべる人が多いかもしれません。


補足:
最近読んだ『共感という病』著者:永井陽右 では、この情動的共感のことを「シンパシー」と「エンパシー」に分けられるというふうにしてありました。そして「エンパシー」は同情のことであると説明されています。確かにそう言えなくもないので、切り取り方により名称は違ってくるのかもしれません。
また、この本も「共感力」について深い知識を得たいと思っている方にものすごくお薦めの本です。紛争地帯でテロに関わる問題の支援活動をしている方の目線から、社会情勢や社会構造の中で「共感」がどう働き人々にどう影響を与えているか、「共感」の明るい側面だけでなく闇の側面をも浮き彫りにしており、大変興味深く考えさせられる内容でした。読み応えあります。
ちなみに、「情動的、認知的」という呼び方はこの本から頂きました。これは『スピリチュアルズ』で言うところの「エンパシー」と「メンタライズ」のことだと分かったためです。

次に、認知的共感「メンタライズ」について。

これは、目の前の相手が『なぜ』悲しんでいるのか、『どのように』悲しんでいるのか、その悲しみが『どれほど』の深さなのか。その理由や過程や度合いを察知したり把握したりできる能力のことです。相手の感情や思いの背景を理解し、見えない部分を洞察する能力のことです。
相手の心の動きを、まるで自分の心の動きのように詳細に掴み取れる、自分の場合と同様に理解してしまうことですね。幅と深さと重みを認知する、意識的に認識し、識別する力だといえます。

精神医学や心理学や心理カウンセラーなど専門的な分野では、この能力のことをメンタライぜーション、メンタライジング、と呼んでいるかと思います。相手の内面を読み取る力、知性的な力のことです。

「エンパシー」が、感情がシンクロしてしまう能力であるのに対し、「メンタライズ」は頭の中で能動的に相手を理解しようとする行為です。感情の背景にあるものを洞察する力であり、その感情が起きた原因と、今後どう扱うべきかなどの『論理』や『構造』が見える、掴める、ということです。

両者は同じ場面で同時に働き、見た目としてはとても似ているように思えるため、混同されるのかもしれません。誰もが誰かと接しているとき、この二つの心理の機能をしらないうちに働かせていますし、ある人は多く、ある人は少なく働かせています。それでもこの二つは、まったく別々の機能だということができます。

なぜ同じ共感力なのに、違う、なんていうのか?

そう訝る人もいるかもしれません。では、この二つがどれほど違う機能なのかを知るために、次の性格四パターンを見てそれぞれの特徴を探ってみることにしましょう。そうすることでとてもよく理解できるはずです。

四つの共感力パターン

まずはわかりやすくするためにざっと四つのパターンに分類してみます。

❶ エンパシーもメンタライズも高い人
❷ エンパシーは高いが、メンタライズは低い人
❸ エンパシーは低いが、メンタライズは高い人
❹ エンパシーもメンタライズも低い人


注意:
当然ながら人間の性格を単純に四つに分けることなどできません。ほとんどの人はこれらの中間のどこかに属するからです。これは「本質を把握するためにあえて抽象化して考える」という手法をとったにすぎません。抽象化とは線引きや分類をすることなので。これにより、中間は中間でもどの辺りの中間に属するのか『程度を測る』目安が得られるわけですね。
抽象化について詳しく知りたい方はぜひこちらの記事も。↓


では、四つの関係を図にしてみます。

共感力における4パターン

上二つがエンパシーが高い人。下二つはエンパシーが低い人。左側はメンタライズが高い人。右側二つはメンタライズが低い人。

ちなみに、水色の文字の「アスペ」「サイコパス」「自閉」これらは私自身が命名したものではなく、『スピリチュアルズ』の中で簡単な区分けの名称として用いられていたものです。左上の「(ギフテッド)」のみ、私が勝手に割り振ったものなので括弧をつけています。

……実は、私はこの区分けの名称ゆえに、そういうことだったのか!と強い閃きを得られたのでした。これをそのまま、「アスペルガー症候群」や「自閉症」として受け止めてみると、個人的にものすごく納得のいくものがありました。

例えば、HSPならば、この四つの枠のうち比較的❶に寄った位置にいるのではないかと私は考えています。根拠は、HSPの大きな特性として「洞察力の高さ」「共感力の高さ」があるためです。
そしてHSPと発達障害の一部の人(この場合図❸に寄っていると仮定します)には、しばしば相似した特徴が見られることも事実です。周りの物事に対してあるいは人との関わりにおいて反応が過敏な点などです。感度が敏感すぎると言いますか。
両者とも繊細で優しく思いやり深い人でありながら、どうにも共感力において何らかの違いがあるように思えていました。そこをどのように説明すればよいのか、わかるようでわからない部分がこれまでありました。ざっくりとは説明できても、科学的根拠を引き合いに出して最適な表現で語ることができなかったのです。これは、私が共感力の中身を熟知していなかったことによります。しかしやっと、この違いに関しての全体像が見えたように思いました。

違いはこの「メンタライズ」の機能だったのですね。両者とも「エンパシー」は高いですが認知的共感の機能に違いがあったのです。空気を読む、読めない、が近いのかなとも思いますが、厳密にいうとかなり違うかもしれません。

そして同じHSPでも、エンパシーとメンタライズの高低に個人差があると思います。これにより、メンタライズの方が優勢な人は、エンパシーが優勢な人から見るとやや共感力が低いように見えることも起こりそうです。私が感じる違和感はこの辺りに原因がありそうです。

また、サイコパスと言われるパーソナリティーに属している人たちは、メンタライズの能力に対応するだけのエンパシーが存在していません(図❷を参照)。
この人たちは、メンタライズは働くため人心を掴んだり人を操る能力は飛び抜けており、おのずと人々を率いる組織のリーダーになりやすいのです。端的にいうと他者の心の動きが読め操れる人といえるでしょうか。

「読める」という能力は、「感じる」とはまったく無関係の能力です。言うなれば、思考は働いていますが感情は働いていません。思考で相手の心が把握できるために、相手に対して「感じる」人間の場合と見た目が同様の行動を取ることもできてしまいます。理屈がよくわかっているからですね。言動や感情の動きの因果関係がわかり、理屈に則って予測ができるわけです。翻って、「感じる」の場合は、思考ではなく感情が大きく揺り動いています。理屈として頭でわかっているわけではなく、気持ちが自然にシンクロしてしまうのです。

「サイコパス」という言葉はよく「シリアルキラー 」と混同されたりしていますが、サイコパス=シリアルキラー では当然ありません。そればかりか世の中の多くのサイコパスは、大企業のトップ、組織のリーダーとして活躍しており、決断力が人一倍早く、目的達成能力の高い人間です。つまり社会的なヒエラルキーの中でトップに立てる人が多く、崇拝されていることすらあるのです。

例えば、組織のトップなら組織を存続させ成長させるために潔い決断を迫られる場面が多々ありますよね。
こんなときサイコパスなら、会社存続のために何百人何千人という被雇用者をクビにすることだって躊躇うことなくできてしまいます。これがサイコパスでない人であった場合どうなると思いますか。多数の人間の生活の糧をばっさり切り捨てることにひどく心が痛み、強い罪悪感を覚えるはずです。決断ができないために組織を守り成長させていくという目的を果たすには力が足りない場合が多いのです。こういうタイプの人は心は優しいのですが、いわば大企業のトップや大きな組織のリーダーには向かないケースがほとんどなのです。

サイコパスは、なすべき事柄の優先順位を明確につけてそれをためらわず実行できる人なのです。エンパシーが極度に低いので、いちいち誰かの心情に思いを馳せたり心を痛めたりしません。逆に、人の心の動きを把握する能力はとても高いので、思うままに人を操ることもできます。人間社会の仕組みをよく理解しており、コミュニケーション術を持っています。だからどうしても、社会的に成功を遂げたり、組織のリーダーという立場に収まってしまったりするのですね。

また、よく誤解されていることですが、サイコパス=反社会的 これも違います。むしろサイコパスは目的達成のためなら人一倍強い自制心を働かせることができ、強い理性を持ち合わせています。他者の心を読み取る能力に長けた、しかしエンパシーの薄い人のことです。頭が切れて行動力と決断力があってリーダーシップに秀でていますが、一定数の人々から、心が冷たかったり人を平気で見下したりする人とみなされてしまうことがあるはずです。仕事はできるけど人間としての温かみに欠けている、少なくとも私なりの理解としてはこんなイメージです。

心が冷たい。……なら、サイコパスは共感力がない人となるではないか、と言いたいあなた。わかります。つまりその場合、「エンパシー」という意味でのみ切り取って共感力という言葉を使っているわけです。しかし世間では、人の心を推し量る能動的な心理機能のことをも共感力と言ってしまうため、こういう意味の定義で用いる場合には含まれてしまうのですね。「共感力」という言葉は、場面に応じて無意識のうちに二者を切り分けたりくっ付けたりして幅広く扱われています。

また、自閉(図❹参照)に関してはいうまでもないかもしれません。実際にはスペクトラムとなっており、❸と❹のグラデーションの中に属する人が大変多くいるといえると思いますが、ここでもあえて極端な自閉症の例で考えてみるとよくわかります。目の前の人が泣こうが苦しもうが無反応であり、なぜ泣いたり苦しんだりしているのかも理解ができない、という心理状態を指しているというわけですね。

そして、勝手に括弧をつけて付け加えてしまった「(ギフテッド)」(図❶参照)について。これは誰かがこうだといっているのを聞いたわけではないのですが、個人的にはこういうことなのだろう、と強く確信しています。彼らの共感力の高さについてはよく説明されていますが、これにはエンパシーもメンタライズも両方が共に異常に高い、という特徴があるはずです。それらの点が一般的な人々と大きく違っている部分でもあります。ギフテッドは知性も感情もあらゆる点が飛び抜けて高く強く深い人たちなので、共感力においても非常に豊かで激しいものを持っている、と今の時点で私は認識しています。(ちなみに、ここでは2Eと分類される人たちのことを厳密に解説いたしません。そこまで踏み込んだ話ではないことをお断りしておきます。)

……ここまで4パターンの個々についての特徴やイメージを色々挙げ連ねてしまいましたが、これらはすべて私がこれまで数多くの書籍を読み込んで得た知識に基づいたものであり、私なりの解釈、私なりの表現にすぎません。……重ねて言いますが、私は専門家ではないため正確な説明としては言葉が不足していたり理解が及んでいない部分も多々あるとは思っています。
独断と偏見による意見としておけば、まあ問題はないのでしょうが、書籍から受けた影響が強いため、そこまで的外れでもない自信があります。したがって、これもいわば独り言であるとしておくのが無難かと。

しっかりと理解したい方、より深い理解を得たい方はぜひ関連書籍を読んでみてください。ネット上の断片的な情報は、収益に繋げるために受けを狙っているものが多いので説明がむやみに過剰だったり足りていなかったりします。この過不足は、特定の人々に対し非常に悲しい誤解を招いています。このnoteも含め、又聞きのみで情報を鵜呑みにしないことはとても大事なことです。

今回はとてもざっくりとした内容にはなりましたが、主には私自身の備忘録として、一般的に「共感力」と呼ばれる言葉には二つの側面と四つの性格パターンがあることについて書いてみました。知識欲の高いあなたの何らかの参考、あるいはより多くの知識を探ってみるきっかけなどになれましたなら幸いに思います。

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