見出し画像

読解力がない人は人の心が読めない?

こんにちは、水那田です。
ココナラのサービスを休止したこともあり貪るように本を読んでいる今月。中でも特別に大切な気づきを今回まとめておきたいです。これは、どれほど大切さを強調しても足りないほど大切な考えではないかと個人的には思っています。そして少し前に書いた『抽象⇅具体の往復力』の話の【補足版】としての意味も持っています。以下の記事をお読みいただいた方にもぜひ読んでいただけると嬉しいです‪^ ^‬

今日この記事で言いたいことは以下三つ。

1・読解力は人の話を正しく聞く能力と本質的に同じ
2・ネットで得る情報と読書で得る知識の違い
3・多読も大事だがスローリーディングも大事

ちなみにこの記事の中で使う語の定義を示しておくと……。多読=数多く本を読むこと。スローリーディング=一冊の本を何度も繰り返し深掘りして読むこと(本の中の言葉や表現を更に深く調べたり実際に体験してみたりと廻り道をしながらじっくり読んでいくこと)。……これを前提に読み進めてください。

※字面でいえば「速読と遅読」になりそうですが、これだと読むスピードの話に見えてしまい、という対比が不明瞭になるため使いません。

1・読解力は人の話をちゃんと聞く力と同じである

◆読書の横軸(多読)と縦軸(スローリーディング)

世の中では多読がもてはやされます。例えば読書が趣味といえば、色々な本を読むことを指す場合がほとんどです。もちろん多読は多くの知識と理解を得るため非常に大切なことです。博学、見識の深さ、教養、これらがどれほど知性に欠かせない要素であるかは、もはや私などが語るまでもないです。

多読をすると、しない人が経験し得ない閃きや洞察を得ることができます。各書物は別々のことを書いているようで、実際はその裏に人間の特質という共通点を秘めています。その共通点、類似性、法則性のようなものに気づけるようになるのです。これらこそ人間の、或いは人々が抱える問題の『本質』です。たくさん読まなければ、これらの共通点を見つけることができません。類似性を見つけるにはそもそも分母の数が必要になるからですね。分母が大きくなればなるほどより洗練された『本質』を見つけられるのです。これは多読(横軸)に思考力(縦軸)を掛け合わすことで起きる読書の最大の力だといえます。ですから、物事の本質を探るには多読が大いに役立つわけです。

一方、スローリーディングも大変重要な能力を培わせてくれるのですね。実のところこのスローリーディングこそ読書の本質的な力である「読解力」を伸ばしてくれる最適な読書法といえるからです。
(……ところでこのような断定的語尾は私自身の確信の強さ=主観的感情 からくるものであり、物事の絶対性を強調する=客観的評価 の意味ではありません。私はまだまだ勉強不足なのであくまで今の時点での個人的確信によります。)

知の世界の縦軸と横軸(前記事より)

「読解力」とは、書かれている文章の背後にある真の意図を読み取る力のことです。これは「人の話の真意を読み取る力」でもあります。その人が話していることの要点を掴む力、その人の話の中で一番言いたかった事は何か、最重要な事柄、主旨、本来の意図を話全体から抜き出してくる力、です。

そしてこれは、いわば『抽象↔︎具体の往復』という思考の縦軸の力と、『知識を増やす、計算する、理解する』の横軸の力の話でもあります。つまりスローリーディングに当たるのが縦軸(深く考える、発想する、創造する)であり、多読が横軸(多く広く情報を取り入れる、問題の答えを見つける)なわけです。縦軸とか横軸とか何のこっちゃと思われた方は前のリンク記事を参照してください。

真の知性とは……つまり、縦軸の力と横軸の力の双方を巻き込みながら相互に作用し合って培われていくものなのです。どちらも大事で欠かせません。先述したとおり横は言うまでもなく必要です。無知から遠ざかることを意味するからです。しかしこの大切な横も、縦の力がないなら思考力の質とパワーが足りず役立たないことが往々にしてあります。
相手の言葉は理解できるのに真意が掴めなかったり、言葉の背後にある本質を読み取れなかったり、すれ違いや認識のズレを引き起こします。思考には縦の力が必要なのです。縦の力をフルで活用するために情報量つまり横軸も必要なのですが、世間ではほとんどこの横軸の力にばかり注意が向けられます。……なぜかというと、社会の仕組み(資本主義社会の構造、都市生活の成り立ち)がそうなっているからなのですね。合理性や効率重視の元に成り立つビジネス、商業体制、経済の市場、都市部における一般市民の消費生活などは、横軸しか必要としない、むしろ縦軸を『邪魔、無意味』とする構造となっていることによります。周りくどいものや無駄を排除しようという効率思考です。

例:語彙力をつけるには何が必要?

語彙力を伸ばそうと決意した人を例に考えてみましょうか。豊かな語彙を扱える人になりたいとは誰しもが願うことでしょう。まずは、たくさん本を読むという行動に出る。なるほど、別の誰かが著した本を読むことでまだ知らない言葉にたくさん出会えます。一つ一つ頭の中にメモして新たな語彙をゲットした気分になります。確かに知識として取得したのですから、自分のものになったと感じてもおかしくありません。

しかしながら、語彙というものはジグソーパズルのピースのようなものです。とすると、それを嵌め込む『枠』であるボードが必ず必要になるのですね。ピースを嵌め込む『枠』が見えていないのにピースだけ持っていても仕方ありません。この『枠』を論理、構造、文脈などの意味で受け止めてください。論理の枠が見えずしてどうして語彙を使えるでしょう。文脈が読み取れないないなら如何にして新たな語彙を使うチャンスを見つけられるでしょう。語彙力をつけたいなら、最適な場面で最適な語彙を頭の抽斗から瞬時に取り出してくる能力を育てることが大切です。言葉をたくさん知れば語彙力が身につくわけなどないのですね。……言葉を嵌め込むための『枠』を見る、これは物事を抽象化する能力に他なりません。枠はロジックを掴む、構造を読み取る、文脈を理解する、ことなので目に見えないものを見る力です。つまるところ、抽象と具体を自在に行き来する力が必要になるのです。

豊かな語彙力をつけるには縦軸の力が必須

現代人は(というより日本の教育体制はといえばよいでしょうか)、これまであまりに横軸の力を重視、強調してきたために学生から大人まで『たくさん知れば理解力がつく』と思い込んでいます。……『抽象⇅具体』の縦軸の思考力について明示せぬまま教育が進められているからです。これこそ知性の仕組みなのに、つまびらかにされないのです。

たしかに、横軸を横という片側の力に過ぎないことを知らぬまま学んで用いたとしても、何かの答えを出したりその場を収めたりする程度の理解力や問題解決能力は付きます。その点は否定できません。しかしそれよりも『もっと奥深い世界』を見ることは叶いません。その世界こそが解答や結論などよりもっと大事な、深く読み取る力なのです。これは誰かの文章を一読したのみで、あるいは誰かの話を一聴したのみで得られる理解とは『桁違いの深い世界』です。多角的に多面的に重層的にかつ高次元から、本来言葉に表しにくい概念や本質を洞察する力のことです。……これを培うために訓練としてできる最善の勉強法が、このスローリーディングというものなのですね。縦と横を巻き込んで進んでいくために非常に有用な読書法なのです。

◆若い世代は読解力が不足してる?

動画で知ったのですが、こういう話があります。元がテレビ番組の話なのでご存知の方もいるかもしれません。
女の子の話を聴いて楽しませることが仕事の二十代のホストが、売上げが伸びないことで、人の気持ちを読み取る訓練を受けることになりました。さて、指導者は彼らに何をさせたでしょう。話術を教えたり女心を説明したりしたでしょうか。いいえ、なんと小学生の国語ドリルの問題を解かせたのです。小学生の国語力なんて、もう何年も前に習得しているはずですよね。ところがいざ問題集を解いてみると彼らはほとんど正しい解答を出すことができなかったのです。そこで何ヶ月か特訓として国語ドリルを解きまくりました。結果、読解力を身につけることで話の意図を掴むことができるようになりホストの毎月の売上げは激増した、ということです。額としては何倍もの増加を見たと思います。番組中この国語ドリルの特訓にアイドルタレントも参加したようですが、彼も最初ドリルをした時は正解率が低かったようです。二十代男性が小学生の国語ドリルを解けない──彼らはもちろん高校や大学を卒業していたりする学力と学歴を持った立派な社会人なのですよ。それなのに、です。

このことからわかるのは、現代の若い日本男性は女の子の気持ちを理解できないことがままあるということ。いくら場を盛り上げて楽しい時間を提供できたとしても話の本意を掴み取ってくれない相手に女性客はお金を払いません。見せかけの言葉はすぐに見抜いてしまいますよね。お金を出せるのは、ああ、この人は本当に私の言いたいことをわかってくれた、と思える時だけなのでしょう。まあ、これは当然ですよね。

Z世代やデジタルネィティブ世代などといわれますが、いかに若い世代が読解力というものを持っていないかを象徴するような番組内容です。これは氷山の一角に過ぎず、数値で表された統計面から見ても日本人全体の読解力の低下は浮き彫りになっています。世界各国の知能を測る統計で日本人は計算能力ではトップクラスなのに、読解力ではかなり低い順位と出ているといいます。果たして、このままいくと日本人の読解力はどうなるのでしょう。(……なんて一介の主婦が嘆いたところで箸にも棒にもかかりませんが笑)

なぜそうなったのか?

背景を考えてみると……。現代はスマホなどデジタルデバイスの発達により、『断片的な情報』が気軽に手に入る世の中です。いちいち長い文章と向き合ったりしなくても、知りたいと思えばすぐに知りたい情報がピンポイントで発見できる。文脈を読む力など無くても簡単に物知りになれる。たくさん知れるから、知識を得た、理解できた、と思い込んでしまう。長い文脈を持たない『情報』というものは「深く考える力、発想する力」(縦軸)を一切必要としません。必要としないから使うこともありません。「知る、計算する、理解する、答えを出す」の横軸だけですべてが片付きます。すぐに解決するから、わざわざ面倒くさい文脈と向き合う必要などどこにもない、わけです。
ところがこれが大問題。使わない脳の筋肉はどうなるでしょう。もちろん確実に『衰え』ますよね。これは自然の摂理です。おそらく今ほど人々の読解力を救うべき時代はないのではないでしょうか。(……と一介の主婦が嘆いたところでいやはや笑)

ここまでで一部、多読という本来読書側(点線より上)の位置にある事柄も単に情報を得ることと文脈上、同列に扱ってしまいました。しかし当然のことながら、スマホなどで検索して得た知識と、読書により得た知識では思考の『圧』がまるきり違います。むろん読書のほうが圧倒的に縦軸の力(深く掘り下げて考える)を使うからです。

上へ向かう思考の力(↑前記事で使った図)

上のイラストは縦軸の力の仕組みを図にしたものです。『抽象と具体の往復力』(文脈を読む際に使う力)の抽象化へと向かう力が非常に能動的であることを示しています。

遮断された知の世界

一方このイラストは、考える筋肉をつける機会を奪ってしまうデジタルデバイスの存在を私なりに解釈して図に表したものです。
赤い点線より上は、すぐ上の図でも示したとおり非常に能動的に考える世界です。文章から本質を抜き出す、つまり文章から概念を抽出する作業はなかなかにしんどいものですよね。対照的に点線より下は、すでに誰かが抽出してくれた思考を受け止めるだけで済む世界です。ある程度の理解力は必要でしょうが、上の世界の能動的思考よりは桁違いに楽なのですね。簡単に問題解決できるツールを得たために、わざわざ好んで能動的思考をする人が若い世代を中心に少なくなっているのだと思います。

2・ネットで得る情報と読書で得る知識の違い

◆文脈を読む力をつける『読書』

一冊の本を読むという行為は、著者と向き合う、会話する、に近いものであり、いわば一つの『体験』なのですね。ネットの情報はあくまで『情報』にすぎませんが、読書から得る知識は様々な観点から分析して精査してきた、いわゆる『ふるい』にかけられて生き残ってきた知恵を含みます。また一人の生身の人間が体験、体感したことをまとめた質の高いストーリーでもあるのですね。著者という一人の人間を知り、その人が辿った人生という文脈を擬似体験する時間でもあります。この文脈の有る無しにより「考える」の質と幅と深さが違ってくるのです。文脈を読む力がなくては読書ができません。(ちなみに小説などのフィクションも含めて読書としています。)

『ネットで情報を得るのではなく読書をすべきなのはなぜですか?』という問いに、それは『考える筋肉が育つからですよ』と答えることができます。
これは散歩と筋トレの関係だともいえます。人にとって運動が大切なのはいうまでもありません。散歩でもしないよりはずっといいですよね。血の巡りが良くなり思考の働きが活性化されメンタルの改善にも役立ち、身体にいいことだらけです。しかし本物の筋肉をちゃんと付けたいなら散歩だけでは不充分です。筋肉トレーニングをしない限り、強い筋肉は到底つかないですよね。ネットで情報を得るのは、いわば散歩のようなもの。一方、読書をするのは脳の筋トレです。考える筋力(=文脈を読む力)を確実に増やす行為なのです。

特に違う部分をまとめるとこんな感じ

さて、元に戻りますね。
これまで、若い世代には特に読解力が不足しつつある、という事実について改めて思いを馳せ、加えてネットで得る知識と読書による知識の違いについても考えてみました。次に、その読書によって培われる『読解力』の中身を紐解いてみたいと思います。読解力の本質に迫り、更にその力を伸ばすために優れた方法であるスローリーディングにも触れてみたいと思います。

◆読解力とは、抽象化して考える力のこと

読書をすると国語力が身につきます。国語力とは、『具体と抽象の往還』のことです。物事を抽象化して考え、高次元の世界から類推し、目的に適ったレベルの具体世界に思考を落とし込む。抽象と具体を自由自在に往復する力のことです。読解力というものの構造を解説すると、これとまったく同じことが言えます。そしてこの読解力とは、相手の話の意図をきちんと読み取る力と同じなのです。先ほどのホストの例からそれがわかりました。この能力についてさらに深掘りするために、一旦これを〝裏返して〟考えてみましょうか。つまりこの読解力を阻止してしまっている要因とは何か。ここを分解してみることで読解力の本質がよく見えてきます。

◆読解力を阻止するものとは…?

①『具体語』に引っ張っられる
②話の『主題』が読み取れない
③言葉に勝手な『定義』をつけてしまう

……これらです。

①具体語に引っ張られる

これはどういうことかというと、抽象度の高い考えを解説するときに、よく話者は例え(例示/比喩)として具体的な事柄を示すことがあります。そこで用いる具体例には、かなりインパクトの強い語や、賛否両論ある考えや、人気に偏りのある人物名や固有名詞などが出てくることもあります。さて、聞き手に読解力がないとどうなるでしょう?
具体例として出てきた『言葉』自体に注意が向いてしまい、話の要点から逸れて、その『言葉』の是非を問うような思考に陥ってしまうのです。……このあとの例は、わかりやすくするため敢えて日常的な言葉を選んでいます。本来はもっと複雑で高度な概念レベルでもすれ違いが起きていますが、基本構造を理解する一例として簡単な言葉の例からみてください。


例:
Aさんが『女性が望むもの』というテーマで演説をしています。
「……多くの女性は、人との交流において誰かからの共感を求めます。例えば、子育ての大変さに直面している母親は、誰かから『気持ちよく分かる』と言ってもらえたり『毎日大変だね』と労いの言葉をかけてもらえたりすると、それだけで『報われた』と感じることがあります。つまり、多くの女性が交流の中で望むものは共感だということができます」
するとBさんが言いました。
「いやいやいや、ちょっと待って。すべての母親が子育てに疲れているなんて思い込みよ。私なんかテキトー気ままにやってるから大変さを共有したいなんて全然思ってない。そんなふうに真面目で頑張り屋の母親像を平気で語ってくれるから私みたいなゆるママは引け目を感じちゃうの。これでもね、私なりに頑張ってるのよ。なんかAさんの話って偏見に満ちてる気がする」
一方隣にいたCさんはAさんの話を聞いてこんなふうに言いました。
「なるほど、確かに。よく男性は相談されたとき解決策を示そうとするけど、女性はただ話を聞いて欲しいだけだったりするもんね。子育て中の母親に限らず、世の多くの女性は誰かからの共感を求めているのかもね」


まずBさんの反応を見てください。
Aさんの話の要点は「大多数の女性は交流で共感を望む」ということであり、それ以上でもそれ以下でもありません。母親の話はこの論旨をわかりやすくするために例えとして挙げたにすぎません。何なら母親の話は他の例にも置き換えが可能ですし、抽象度を下げて一事例を示しただけなのです。
しかしBさんはこの「母親」というワードに何より強く目をとめました。そして勝手に『毎日必死で母親業に取り組んでいる母親の鑑みたいな女性像』を浮かべ自分の日頃の態度との比較を始めました。
そもそもAさんは『子育て中の母親のすべてが共感を欲しがっている』なんて話はしていません。話の大枠における主語は『多くの女性』なのですが、Bさんは具体度を上げた(抽象度を下げた)下位の『母親』という語に囚われすぎて、感情的な反応をしてしまったのですね。彼女にはどうしてもこの語が引っかかるポイントだったのです。
いつもこんなふうにしか話を聞けないのだとしたら、Bさんはかなり具体の世界に引っ張られてしまう人だといえます。具体のみを見てしまうBさんには、Aさんが言いたかった本意はいつまで経っても伝わりません。
一方、CさんはAさんが言いたいことを正確に読み取り同じ抽象レベルの世界から類推し、似た具体例を出すことができました。

下のイラストの①、②、③を見てください。この①の説明をしました。

具体世界しか見ない人の思考傾向


②話の主題が読み取れない

次に、②の要素です。
これはどういうことかというと……ここでAさんが話したのは、『多くの女性は交流の中で共感を望む』です。話の主題(=話の大枠における主語)は『多くの女性』です。『母親』は例示として挙げたに過ぎず(つまり少し抽象度を落として具体に近づけた)、いわば論証のための道具なのですね。しかしCさんは、この道具である『母親』という語こそが主題だと思ってしまいました。相手の話の主題(一体何について話しているのか、一番大切な主語はどの語になるのか)が読み取れないのです。そのためAさんに批判めいた感情を持ちました。

③言葉に勝手な『定義』をつけてしまう

さらに図の③について。
これはどういうことかというと。Aさんの用いた『子育ての大変さに直面している母親』を、Bさんは『真面目で頑張り屋な母親』と定義してしまったということです。
言葉どおりにきちんと解釈すれば、例え意味が重なる部分があったとしても決して『イコールではない』ことがわかるはずなのですが、Bさんは、似通ったもの、意味が近く隣り合わせになっているもの、をすべて同じものとして捉えてしまう癖があるのですね。実のところ、ゆるゆる子育て中の自分であっても子育ての大変さに直面した瞬間くらいはあったことでしょう。しかしBさんがそれを想像してみる機会など一瞬もありません。Aさんがしてもいない言葉の定義を勝手にしてしまったからです。Bさんは『思い込み』という名の発想が得意なのですね。

……このような現象は、世の中であふれるほど多く起きていると思います。たいてい具体世界の断片的な情報が行き交うSNSの世界などでは諍いや反発の原因はほぼこれらだと言えるかもしれません。
文(会話)の中には様々な『語』があります。それぞれの語は抽象度が違います。仮に、話を提示した者が主題とした内容が『具体度1』のレベルだったとしましょう。しかし話を受け止める側は『具体度5』のレベルの話として受け止めてしまう、といった具合です。
日頃抽象化思考をあまりしない人ほど、具体度の高い言葉に引っ張られる傾向が強いので、話者が出した一例に過ぎない語を『話の要点』として受け止めてしまいます。また、話の大枠を掴めないために大枠の主語である話の主題を見抜けません。さらに、具体思考が強すぎてすぐに身近な具体例を持ち出して話者の言葉に勝手な定義づけを始めます。
こうした聞き手の読解力のなさが元で、世界中で無用な論争が勃発しています。できれば、話者の方も極力アクの強い語で例示や比喩をしないよう配慮すべきなのですが、万人に合わせることなど到底無理なので、やはり聞き手の側がきちんと話の要点を掴めないとまずいのです。(まあ、この例では特にアクの強い語は使っていませんけどね。)

ちなみに、ここでは挙げていませんが、コミュニケーションギャップの話になれば、まだまだ阻害要素はたくさんあると思っています。例えば、『話のディテールが感じ取れない』『相手の動機と目的を見抜けない』などです。これらは読解力の範疇を超えてもっと大きな意味で人と人を隔ててしまうものであり、コミュニケーションの壁となる重要な要素です。いずれ読解力ではなく『抽象派と具体派の相違』という観点から心理面の特徴としてまとめてみたいと思います。興味のある方はまた記事を覗いてみてください。

……このように、阻害する要素の側から見てみると、読解力がないせいで人の話の真意が読み取れない人がたくさんいることがわかります。むろんこれを書いている私自身も、これまで過去にBさんのようだった場面、①や②や③の思考に陥ってしまった場面が多々あると感じています。自己の成長を通して解ってきた面でもあります。

これら読解力のない人の背景にあるものは何でしょう
? それはつまり、勉強や読書を通して深い読み取り能力を培うことまではしていない、という点です。これは、横軸の力だけで満足してきた結果なのです。縦軸の「深く考える、発想する」の力こそが真に話を聞く力を伸ばしてくれるものなのです。そこで、この力を伸ばすために、多読のみで満足せずスローリーディングにも目を向けませんか、という話です。

3・多読とは桁違いの読解力を可能にするスローリーディング

スローリーディングとは、何度も繰り返して同じ話に向き合い、真の意図をゆっくりしっかり捉えていく。言葉の背後にある『情緒』や『情感』や背景的な『ニュアンス』を体感的に掴みとれるまでに深く強く読み込む、ことだと捉えてください。縦軸の思考力と書きましたが、本当のところはそれ以上のものを意味しています。もっと人間的に多面的に体験することなので、実際は思考力なんて語には収まらないのかもしれません。

とはいえ、スローリーディングの具体的な実践方法についてはここでは触れません。今回は、how to を語るのが目的ではないからです。私みたいな専門性を何も持たない人間が二言三言で語れるような内容ではないと思っています。いつかきちんとまとめられるようにはなりたいですが。
……確かにこれが必要だな、とかうちの子にはこれを培わせたいな、とか思われる方はぜひ、名門灘校のエピソードを調べられると良いと思います。中高一貫教育のなか中学の三年間一切教科書を用いずたった一つの物語を読みこむことで国語力をつけさせたという伝説の教師がいらしたようです。私立校が公立校より一様に格下だった時代に私立初の東大合格者日本一となり、今では伝説となっているようです。この教師の元で育った方々は東大総長、副総長、最高裁事務総長、弁護士連合会事務総長、神奈川県知事など、各界の頂点へ進むに至っています。これは読解力があらゆる勉強の基礎力でもあることの証明となっていると思います。
この学校では『銀の匙』という一冊の散文を読みながら、例えば「百人一首」が出てきたら皆で百句すべてを憶えてかるた競技での勝利を目指したり、「春の七草」が出てきたら実際にそれを調べ七草粥を作って食べる、など身をもって体験したり、様々なことで廻り道をしながら文章を味わいつくす『国語』を行っていたということです。……恥ずかしながら私はこれまでこの有名な学校の逸話を知らずにいました。
押し付けられる教育でなく生徒自らが好奇心をもって楽しむ教育が確立された世界とは如何なるものか。このような学びの世界を体験した生徒たちが本当に羨ましいですし、今日の教育にその精神が息づいていないことは悲しい現実だなとも思います。この先生の口癖は「すぐに役立つことはすぐに役立たなくなる」だったようですが、現代はそれとは対照的に、速攻で知り速攻で使える情報ばかりがもてはやされています。『ゆっくり深く』ではなく『速く浅く』の方向にばかり知性が流れているように感じます。

参考までに。
下のリンクは私自身、今中学一年生の息子と取り組んでいる小学生一二年生用のドリルです。息子には、テストの点のための勉強ではなく、学ぶの本質(知への好奇心、知の楽しさを体感する)を教えていきたいと思っています。スマホばかり見てしまう息子ですが、まだ遅くないはずと思い実践中です。

https://amzn.asia/d/0iKCDct

https://amzn.asia/d/dpmcTEB

また、話や文章をどこまで理解し読み取れるか、を考えるとき、個人的にはこの三方向があるのではと感じています。

(1)文章を読む
(2)文脈を読む
(3)行間を読む

これについてもまた掘り下げて書いてみたいのですが、今日の記事では、この(1)や(2)の「文章を読む」「文脈を読む」辺りの話をしました。今後の記事では(3)の行間を読む にも触れていけたらな、と思います。

まとめ

1・読解力は人の気持ちを読む能力の根底にある力
現代社会では断片的な情報が飛び交っており、誰でもすぐに情報を得て物知りになれる。長い文脈に向き合わずとも知識を増やせるため知性が育ったと感じるが、実際には読解力がついておらず相手の話の真意を掴めない人が多く育っている。コミュニケーション力の核となる『相手の話が解る(=心を読む)力』をつけるには『読解力』が本当に大切。

2・ネット情報は読書で得る知識とは違う
即知り即解決なネット情報と、誰かの人生を追体験して体感する読書の知識では、思考の深さが違う。読書は『考える筋肉』をつけること。

3・多読も大事だがスローリーディングも大事
読書法として『多読=多くを知ること』と『スローリーディング=深く豊かに感じとること』がある。多読は言うまでもなく大切だが、スローリーディングのほうが本物の読解力を身につける上でより役に立つ。

なお、この記事に書いた内容は、私が自分なりに理解した事柄を自分なりの言葉でまとめたものですが、きっかけになった情報や知識としては以下の本と動画に出てきた解説、エピソードがあります。興味のある方はぜひ見てみてくださいね。

細谷功 著『具体抽象トレーニング』『具体と抽象』
統計学のお姉さんサトマイさんのYouTubeチャンネル
岡田斗司夫氏のYouTubeチャンネル

数年後も息子とともにスローリーディングにちゃんと取り組んでいるか、自戒の意味も込めて書きました。書きたいことを省いても省いても結局一万文字を超えてしまいましたが、ここまで読んでくださった方ありがとうございました‪^ ^‬

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?