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ポジティブな作品とネガティブな作品。

昨日のツイッターは荒ぶったね、うん。(?)

今まで、仕事や日常生活でのストレスを発散させるため
絵にネガティブな感情を思い切りぶつけていた。
(いつもではないけど)

作品がどうしても不穏に寄りがちなのだ。
意図的にしろ、無意識にしろ。手癖だ。

その名残で、
「絵を描く=ネガティブな気分」という癖が
付いてしまったのではないか。
絵を描く時に嫌な気分になる原因は、これではないか。
もちろん元々の性格ということもあるだろうが。

そう仮定するなら
「いい気分になるために、ポジティブな感情を描けばいい」
ということなのかな?と思ったわけ。

「ポジティブな絵を描く」ことを
しばらく練習しようと思う。

瞑想

いい気分を作るためにポジティブな絵を描くって、
まるで瞑想のようだなと思った。

最近はストレッチと瞑想を兼ねてやってる。
1日の疲れやネガティブな感情を
呼吸と共に吐き出すイメージでストレッチをする。
結構効いてる気がする。そうであれ。

それと同じで、
ポジティブなものをイメージしながら絵を描くことは
自分の思考にポジティブな感覚を植え付けることであり、
瞑想と似たような仕組みなのかな、と思うのだ。

ポジティブな絵を描こうと思えば、
必然的に、ポジティブをイメージしないといけない。
この「イメージすること」が大事。全ての根幹。
マインドコントロールだよ!(?)

絵を描いて瞑想しようね。

薬と毒

思春期に『東京喰種』や『宝石の国』、
幼少期に手塚治虫や地獄絵図という、
生粋の不穏育ちで創作活動をさせてもらってますが。

べつにポジティブなものを否定するわけではなく、
ネガティブを無視できない性質ゆえ、
作品が重くて暗い雰囲気になりがち。

自分はこういう作品を作れる人間なのだから、
決してポジティブな作品を全面に出したりしない……
口にはせずともそういうスタンスだった。

暗くて重い作品は、孤独な人を救うと信じている。
大袈裟でなく、命を救うのだと。
他でもない自分が救われたと思っているから。
そういう作品を作れることを誇りに思う。

そして同時にこうも思う。

暗くて重い作品は、薬であり毒なのだ、と。

薬は、病人を助けるが、
必要ない人にとってはただの毒だ。
マイナスからゼロに近づけることはあれど、
ゼロからプラスに持っていくことはない。

そうなった時、
今の自分に合っているのはどっちなのかな、と。
桜が咲いて幸せを感じるような奴は、
薬を必要としているのだろうか。

その時の自分に合った作品を
作ればいいし、読めばいいよな。

今の自分は、過去の自分と地続きだ。
過去の自分や作った作品が無かったことにはならない。
過去があったから今の自分の形がある。
どんな自分になろうと、どんな作品を作ろうと、
全部自分だから。

たまにはポジティブな絵を描いたって、
それは自然なことかもしれない。



かっこいいこと語ったか俺!!!!!!!!
さすが俺!!!!!


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