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「頑張ることが偉い」という呪い。

今日のラヅオはお休み!
レディースデー1日目なのでね、子宮を労う。

そこまでダウンしてるわけでもないけど、
絶賛出血大サービス(物理)だからね。
大人しくゲームして過ごすよ。

難しいこと

中学の頃、絵を描くことに取り憑かれ、
それと同時に、承認欲求の奴隷になった。

評価をもらうには「人の心を動かすこと」が必要で、
「人の心を動かす」には、「自分の心を動かす」必要がある。
というのが私の最終的な着地になった。

作品に、どれだけ感情を込められるか。
どれだけ情動や熱、感動を表現できるか。
どれだけ心を燃やすことができるか。

そしてそれは
自分にとって難しい絵だと、
気づき始めている。
認めたくなかったけど。

不可能なことではない。
感情をぶち撒けるような絵を描いたことはあるし、
今までずっと、それを目指して頑張っていた。

そう、つまり。
そういう絵は「頑張らないと描けない絵」だった。

「うおおお!!」とか「好きぃいい!!」とか、
びっくりマークが沢山付きそうな絵。
大声で叫んでいるような絵。
泣きそうなくらい昂った感情の絵。
熱量とか自信とか元気いっぱいの絵。

そういう絵が「評価される絵」で、
それが「正解」だと信じて疑わないから、
自分にはそれが難しいことを、認められなかった。
「評価されない」なんて思いたくなかったから。

けど必ずしも「元気な絵が評価される」わけではないし、
「評価されることが正解」というわけでもない。
「人を感動させること」に囚われ過ぎている。
絵でも漫画でも動画でも。創作の全部で。


あぁ…なんか、思い出したな。この感じ。
学校の部活動だ。

部活では快活で熱血な態度を求められる。
少年漫画のノリこそが正義。
そうじゃない奴は怠惰だから「悪い子」だ。
頑張っている態度で内申点がもらえるのが学校だ。

元気で、頑張って、一生懸命じゃなきゃ、
評価してもらえない。許してもらえない。


それと似てる感覚だ。うわやだ帰りたい(in家)。

頑張って絵を描かないと
認めてもらえないと思ってたんだ。
だからこんなに、一生懸命、創作に向き合って
毎日頭を悩ませながら苦しみながら創作してんだ。

「頑張らなきゃいけない」っていう呪いだ。

頑張っても誰も褒めてくれないって
最初から知ってたはずなのにな。

いや。評価されたいわけでも、褒められたいわけでもなかった。

ただ怒られたくなかっただけだ。

怒鳴られたくない、叩かれたくない、冷たくされたくない。

否定されたくなかったから。頑張ってたんだ。


「否定されたくない」と思えば思うほど、
「頑張らなくちゃ」って自分を追い込んだ。

必死に取り組んでいれば、もしも何か失敗しても
「でも頑張ってたのは偉いよ」って、
少しだけ情けをもらえると思ってた。
許してもらえると思ってた。

くそったれめ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

とにかく頑張ってさえいれば、
少しだけ安心できたよな。
許してもらえるって勘違いしたよな。
誰もお前の努力や苦労なんか見てすらいないのに。

なんで、頑張ることで許されようとしたんだろう。
他人にとってお前の努力なんて意味がないのに。

それに気付いてたのに、
なんで頑張ることをやめられなかったんだ。

どうして、楽をすることを、自分に許してやれなかったんだ。

なんで、気楽に生きることを、選んであげないんだ。


……まあこの話は以前したな?まだ同じ話してるよこいつまじで。

気楽

とはいえ、最近は気楽に生きる練習をしているし、
それが少しずつできていると思う。
ご飯は美味しいし、桜は綺麗だし、
仕事は楽だし、睡眠とストレッチは最高だ。

けれどその中で「絵や漫画を描く」という行為にだけ
こうも段違いな重力がかかるのは、

「絵や漫画を描く」ことは
私にとって「幸せなこと」だからだ。
好きなんだ、自分が思ってる以上に。

そんな大好きなことを
何の苦悩も努力も無しに楽しむということは、
それはつまり
何の苦悩も努力も無しにお金をもらうことと似ている。

なんの代償も無しに幸せを味わっていいものか、と。

けどいいなぁ…。それになりてぇ。


う〜〜ん。この話1ヶ月前もしてたけど、
今現在なにも進捗がないってことか?
どうすりゃいいんだよ。

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