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【エッセイ】39

Twitterでなんとなくタイムラインに流れてきた人を、好きになってしまった。
きっかけは忘れたが、なんてことない彼女の呟きが引っかかってなんとなくフォローした。アイコンが峰不二子の正体不明な女。有名人というわけでもないのに、やたらフォロワーが多かった。というのも、彼女の言葉には不思議な力があった。Twitterの制限された文字数も、彼女の言葉と相性がよかった。自由で奔放で、少し毒のあるいい女。ギャルでありながら、三島由紀夫を読んだりもする。彼女の呟きに説教臭さはなく、ただ日々感じた心の声をつらつらと吐き出しているといった具合だった。その時に話題のゴシップは華麗にスルー。とことん自分の人生に徹底しているのが潔い。顔写真を投稿する時はいつもスタンプで一部を隠していたが、全体を見ずとも美しいことがわかった。気づけば彼女の投稿を楽しみにしている自分がいて、会ったこともないのに憧れめいた気持ちを抱いていた。

30代後半にもなって、自分よりうんと若いであろうネットの人気者に夢中になるなんて自分でも呆れてしまった。彼女の発信していることは全て嘘かもしれないし、そもそも女かどうかもわからない。ただ、嘘か本当かなんてどうでもよかった。これが彼女が作り上げたファンタジーだとしても、私はその世界を好きになっていた。彼女は海を愛してると言っていた。夏のために生きてる。秋になると悲しい。小説が好き。まつ毛が好き。
毎日をこなすことにただ必死で、諦めを飼い慣らしていた私にとって、生きることに真剣な彼女の姿は深く刺さってしまった。

投稿を読み漁っていると、彼女はアイリストであることがわかった。まつ毛サロンでエクステやまつ毛パーマの施術をしているらしい。インフルエンサーやモデルとして十分やっていける素質を持っているのに、手に職系の裏方仕事を生業としているところも、さらに私の心をくすぐった。会えるかもしれない。胸が少し高鳴った。人生には自分らしくない衝動に駆られる、よくわからない瞬間というものがある。すっかりファンモードになっていた私は、気づいたら彼女の働くサロンの予約を入れていた。

有名な人だから、果たしてこんな一般人を相手にしてくれるのかと少し心配もあった。有名な美容院でサロンモデルらしき人が手厚い接客を受けている隣で、まるで空気のように無機質な対応をされた過去の経験が頭をよぎる。そんなシミュレーションもしてみたが、なんだかリアリティがなかった。彼女のTwitterで一番惚れていたところは優しさだったから。自分の言葉に対する審美眼を、信じてみたいと思った。

サロンは銀座の一角にあった。私の暮らす逗子から電車で約1時間の小旅行。久々の東京が今までとは違う風景に見えた。海の近くで暮らし始めてまだ数年だったが、すっかりその空気感に慣れてしまい、東京のテンポが遠いものになっていた。海辺の女は化粧をあまりしない。洋服も締め付けのないラフな格好を好む人が多く、ややコンサバ寄りだった自分も土地の空気に流されて気づけば素朴な方に傾いていた。
遅刻をしないように、時間には余裕を持って来た。緊張しながらサロンのドアを開け、ソファに腰をかける。まるで初めてのデートに来た中学生男子のように、緊張を悟られないよう無表情を装っていたら、突然彼女が現れた。

「お待たせしましたー!どうぞ」満面の笑みで現れた本物の彼女は、想像よりずっとずっと美しかった。美しいものを見ると、人は怯む。それを承知の上でかわからないが、彼女にはこちらの警戒心を一瞬で破壊する気取らなさがあった。
「あ、この人には全部本音で話しちゃっていいんだ」と、動物的な本能が私に教えてくれた。街を歩いていたら思わず振り返ってしまうような洗練された雰囲気。それでいて彼女は潮風を感じさせる無防備さを持ち合わせていた。高層ビルが立ち並ぶ東京に、ひとりで海を担いで持ってきているようだ。

「Twitterで見て来ましたって予約アンケートに書いてあって、どんな物好きが来るのかと思いましたよ。私ロクなこと書いてないですけど大丈夫ですか?」彼女はケラケラと笑った。なんだか女子校時代を思い出すような、女同士の自然なやり取りだった。初対面なのにこっちはめちゃくちゃ知ってます、あなたこと。ストーカー的な心の寄せ方だったが、見ず知らずのあなたに夢中になって、勢いでサロンまで来ちゃいましたと私は正直に打ち明けた。

まつ毛パーマを施術されている最中というのは、どういう状況なのか自分ではわからない。仰向けになって顔面を完全に他者に預けた状態、言うならばまな板の上の鯉だ。そんな状態で、私たちは喋り倒した。海のこと、恋のこと、本のこと、人生のこと。あっという間に時間は過ぎ、鏡を手渡されると、下向きだったまつ毛は綺麗な放射線状に上を向き、幸福そうな瞳に生まれ変わっていた。
文字でしか知らなかった彼女は、実際に会うとさらに魅力的だった。スマホで光っていただけのあの言葉たちが、生きているものとして色付いて、私の心は嬉しくなった。「私、後藤さんの生き方、好きですよ」別れ際に彼女はそんなことを言った。

初めて会っただけの客と、30分話しただけ。それでも彼女のその言葉は、30分で私を感じてくれた結果だと思えた。もっと話したいと思ったが、時間制限があるのも乙である。どれだけ楽しかったか、どれだけ嬉しかったか、伝えることはできなかったけれど、間違いなく私の人生の中で特異な出会いの1つとなった。何でも話せる友達は中高の仲良い友達数人程度で、決して顔が広いタイプではない。自分から積極的に、この人と仲良くなりたいと近づいたことなんて一度もない。
でも。たまには衝動に身を任せるのも悪くないなと、ささやかな自分の冒険に興奮しながら帰路についた。

逗子に着き、駐輪場でカバンを漁ると買ったばかりのお気に入りの手袋がなかった。あれ?どこに置いた?記憶を遡るもまったく見当がつかない。
好きなものに飛び込む時は捧げ物をする、とどこかで読んだことがある。たとえば雪山で命を落とす登山家や熊に食われる動物写真家。惚れたものに命を捧げるという意味だ。話は大きくなったが、何かを得るときは何かを捧げる覚悟と諦めを持つべきと私は解釈していた。ふとその話を思い出し、手袋は彼女との出会いに捧げたんだと思うことにした。精算をするために自転車の駐輪番号を確認すると、番号が『39』であることに初めて気づき、思わず「あっ」と小さく声が出た。彼女の名前はミク。手袋も駐輪番号も、彼女の粋なイタズラかもしれない。「サンキュー、また来てね」と彼女がウィンクしている顔が、ふと心に浮かんだ。

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