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【エッセイ】音楽と青春

誰かと仲良くなると、その人が人生で初めて買ったCDを聞きたくなる。その質問をすると誰もが恥ずかしそうにモゴモゴとするのだが、その照れた表情に私の知らない幼い頃の面影が一瞬だけ蘇る気がして、なんとも愛おしい気持ちになるのだ。私が初めて買ったCDは安室奈美恵のSweet 19 Bluesだった。ミニスカートからすらっと伸びた脚だけが写された、シックなジャケット。
それは小学生の私にとって「お姉さんになるための切符」だった。ティファニーブルーに縁取られたセピア色のアルバムを、宝物のように部屋に飾ったのを今でも覚えている。

中学2年の頃、Rockin'on Japanをよく買って読んでいた。偶然目に入った「ロックミュージシャンが選ぶ偉大なミュージシャン特集」に私は首を傾げた。ジョン・レノン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、エリック・クラプトン、ミック・ジャガー……
誰もが知るビッグネームばかりだが、中2の私はジョン・レノンしか知らなかった。
家に帰って父親に聞いてみると「とりあえずジャニスは聴いとけ」と偉そうに言われた。
お小遣いを握りしめ、近所のCD屋さんでジャニス・ジョップリンのベスト盤を買い、早速家で聴いてみた。

「なんだこれは?」今まで経験したことのない衝撃的な声に、心地悪さにも似た違和感を覚えた。それでも聴いていくうちに、「もしかしたらこれがロックなのかもしれない」という不思議な感覚に襲われ、気づけば心臓がバクバクと高鳴った。ジャニスの声はざらりと尖っていて、悲しい叫びのように聞こえた。それはまったく新しい、目を開くような音楽体験だった。
「同級生でジャニスを聴いてる人は私だけかもしれない」という密かな優越感も、さらに私を気持ちよくした。14歳とは、そんな年頃である。

ミーハーから始まり、自分の好きなジャンルを見つけてそれを堀り、コアなところまで行き着いた気になって今度はミーハーをバカにしたり、青春の自意識のこじらせは音楽と密接に繋がっている。そして、その時々の自分を彩った音楽は人生の栞みたいなものになり、そのメロディーが流れると当時の痛い記憶や切ない思い出が洪水のように押し寄せてくるから油断ならない。だが悲しいことに、音楽と心の強烈な結びつきは、年を追うごとに色褪せていく。
今でも毎日音楽を聴くが、10代の頃に感じたような激しい揺さぶりはない。心を鷲掴みにされて、叫び出したくなるような強い衝動に駆られることは、もうしばらく経験していない。

数年前、ブルーノ・マーズのコンサートに行った時。隣の席に高校生らしき男の子がいた。彼は曲の歌詞をほとんど暗記していて、ブルーノに合わせてすべての曲を拙い英語で歌っていた。その熱量に微笑ましい気持ちになりつつ、憧れのアーティストのライブに初めて行った時に感じた興奮を懐かしく思い出したりした。
コンサートが終わり、会場に白い電気がついて出口へ誘導するアナウンスが流れ始めた。さっきまでの熱狂がパチンと切れたように人々は強制的に現実に戻され、私たちは自分の列が呼ばれるのを行儀よく待っていた。隣の少年は、まるでフルマラソンを終えたかのように放心状態で、まだ夢の余韻に浸っているようだった。
少年が、汗をぬぐいながらぽつりと呟いた。
「今まで生きてきた中で、一番楽しかった」
その言葉を聞いて、胸の奥がギュッとなった。あまりにもピュアな心の声に、何かを突きつけられた気さえした。

ランドセルを背負いながら、安室ちゃんのアルバムを抱きしめて帰った日の高揚感。狭い子供部屋でジャニスの叫びを聴きながら、身体の奥から湧き上がる衝動を抑えようと必死だった、14歳の夏の痛み。私には、もうあの頃のような瑞々しい感性は取り戻せない。
それでも心の中の音楽を枯らしたくないと思った。誰かが歌い続けてくれる限り、私は孤独じゃない。音楽はいつだってそばにいる。たとえそれが、10代の頃に感じたような激しい衝撃でなくても、音楽のおかげで私の心は今もたしかに揺れているのだ。

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